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カテゴリー | 様々な二重否定表現 | |
配信日 | 03年9月29日 (11年2月5日 記述を追加) | |
タイトル | 子供のために離婚しない! | |
備考 | 「離婚」は意味的に否定形なので、それを否定した「離婚しない」は、二重否定表現となります。 | |
追記 | 管理者による補足文章があります。(09年11月30日 アップ) | |
さすがにダメダメ家庭では、夫婦の離婚という問題も現実的に遡上に上がって来るものです。 夫婦は離婚を全く考えていなくても、子供の方が両親の離婚について考えていたりすることもあります。 両親の苦労を子供が背負い込んでいる状態ですね。 親が自分たちの問題を将来に先送りしていて、眼前の問題から目を背けていても、「先送りされた先」である子供としては、だからこそ考えなくてはいけない状況になってしまう。 しかし、多くのケースに該当するのは、親である夫婦の側が先に離婚を意識するケースでしょう。 「もう、あんな人とは暮せない!」というわけです。 そのような時に必ず登場するのが、今回の文章で取り上げる「子供のために離婚しない。」というセリフです。 誰だって、一度はそのセリフを聞いた事があるのでは? テレビや新聞の人生相談ではレギュラーのお題ですものね? 子供にとっては両親揃っていた方がいいのだから、親としてはガマンして、離婚しないでおく・・・例えどうしても離婚するにしても、子供が成人するまで離婚するのを待とう・・・という考え方です。 実際に、テレビでの人生相談のコメンテイターさん??の回答も、このような「もう少し子供のためにガンバッテみなさいよ!」と言うものが多いのでは?まあ、私はそのような番組を見たりはしませんが。 しかし、そのようなテレビの人生相談は一種のシュールなギャグの場とも言えるでしょ? そもそも何故に、離婚のような重要問題を、テレビのコメンテイターさんのような一見さんに相談するの? 勿論、離婚を考えているような夫婦に身近に相談相手がいないことがあるのかもしれません。しかし、それ以上に、「あえてテレビでの相談」という側面もあるのでは? 何故かというと、テレビでの離婚問題では、必ず「子供のためにがんばってみなさい!」とアドヴァイスされるからなんですね。 相談者はあらかじめ結論などは、予想しているわけです。無意識的にですが。 離婚相談を持ちかける側は、むしろ、「子供のためにガマンしなさい!」と、誰かから言って欲しいだけなんですね。 何と言っても、テレビのコメンテイターはこの2つの状態の子供を比べている。「絵に描いたような朗らか家族での楽しげな子供」と「両親が揃っていない寂しい子供」。 この2つのうちでどちらを選択するのかというのは自明でしょ? しかし、実際に比べなくてはならないのは、「両親が揃っていない寂しい子供」か、「1週間に一言も話をしないような両親を見続けている子供」の2つのパターンでしょ?この2つのうちでどちらの状態を選択するのか?実際的には、この選択なんですね。 この選択は難しい! しかし、コメンテイターは「朗らか家庭での楽しげな子供」をイメージしているので、「子供のためにガンバッテ!」とアドヴァイスすることになる。今の家庭でも、がんばれば、子供に朗らかな表情が宿るかもしれない・・・・って、ホントかな? では、相談を持ちかけた側が、そのアドヴァイスを受けると、どのような意味があるのでしょうか? 一つには、これからの家庭内のトラブルへの気持ちの問題です。 そのアドヴァイスを受けた後で、何か不都合があった場合には、このように考えることができてきます。 「だって権威あるあのお方が、ガマンしろ!って言ったんだもん。」 離婚しないという選択から来る問題は、権威筋のアドヴァイスのせいにしてしまえるわけです。他人のせいにしてしまえれば本人はラクになりますよ。 それともう一つのメリットがあります。「子供のために離婚しない。」わけですので、これからのトラブルや問題点は「子供」が原因になってしまう。「子供のため」から「子供のせい」に心理的に変換されてしまう。「悪いのは全部、この子供のせいだ!」というわけです。 そもそも離婚が話題になっているような夫婦は、今更の状態。 それは一緒に暮している子供にも伝わってしまっているわけです。 一緒に暮していて、「両親の仲がよくない。」ということくらいわからないような鈍感な子供ではどうしようもない。その家庭の子供としては、「人に合わせて」、必死の作り笑いでその修羅場と化した家庭を生き抜いているわけです。 あるいは、子供の側が、「ウチはふつうの家庭だ!」と必死に自分自身を騙していたりする。しかし、自分を騙すのが習慣化してしまえば、「人の気持ちがわからない」人間になってしまうだけですよ。 そんな子供の前に、この言葉が親から発せられる。 「お前たちのために、ガマンして、離婚しないでいてやってるんだ!」 勿論、離婚すると、経済的な問題、世間体等、様々な問題が発生するのが通例です。 しかし、それは本来は、大人である親自身の問題でしょ?それを「子供の養育上、両親が揃っていないとダメ。」、という理屈にすりかえられても子供としては困るだけ。 大体、離婚しようかどうかなどが問題になるわけですから、お互い「顔を見るものイヤ。」という状態ですよね?本当にその家庭は修羅場そのものでしょ?子供としては、この状態が延々と続くよりも、もっと悪くなるかもしれないけど、何らかのアクションを起こして、状況の打破を図った方が希望が持てることになりますよ。 「お互い顔を見るものイヤだ!」という夫婦を、これからずっと目の当たりにしなくてはならないのかぁ・・・子供にはこの現実の方が滅入ることですよ。 それに、そのような「子供のために離婚しない。」ガマン強い夫婦が、艱難辛苦の結婚生活のあとで、どのようなことを子供に言うのかについては、子供だって予想できるわけです。 「本当は離婚したかったのだけど、おまえ達のために離婚できなかった。この10年間は本当に辛かった。私たちにこの恩返しはしなくてはいけない・・・」 現在だって十分に気の滅入るものなのに、将来も親からの愚痴が約束された状態となってしまう。 このような子供がどうなるかなんて、言うまでもないでしょ? 実際に「子供ために離婚しない。」とおっしゃる方を、『この人が自分の親だったらどう思うかな?』『自分がこの人の子供だったらどう考えるのかな?』そんな観点で、よくごらんになってくださいな。 『ああ!子供のためにガマンするなんて、なんてこの人は立派なんだ!』 という感嘆とは別の感想が出てくると思います。 そんな感想は、その人の子供も持っているものなんですね。 「子供のために離婚しない。」という考えも、自分の主体的な覚悟を持っての判断なら、それはその人なりの尊厳のあり方といえるでしょう。 「子供にとっての、よき母親」の姿を自分なりにイメージした上で、その判断を取るのなら、それもありでしょう。あるいは、「子供にとっての、いい家庭」を具体的にイメージする必要もあるでしょ? しかし、ダメダメな親は、「よき親の姿」「いい家庭」を何もイメージしていないのに、「子供のため」という言葉だけが出て来ることになる。 そもそも、「離婚しない」という物言いは、ダメダメ家庭にお約束といえる二重否定表現でしょ?本当に子供のことを考えているのなら、「離婚しない」という物言いではなく、「このような点を改善していきたい。」とか、「このようなことができる家庭にしていきたい。」とでも言いますよ。離婚しないということに留まっていることに安住しているんだから、つまり修羅場がいつまでも続くと言うことでしょ? 「こんな家庭にしていきたいから、オマエも協力してくれ。」と子供に対して要請するのなら、子供としてもまだ付き合うこともできますが、子供を前にして「離婚したいけど、オマエがいるからしょうがないから、離婚しないでやってやる!」と言い渡されても子供としても対処ができませんよ。 しかし、「子供のため」という名目がついたので、親としてはラクになる。 結局は、離婚するという自分の判断が怖いわけです。 自分なりの判断が怖い人間だからこそ、結婚する際にも、じっくり考えることなく「てきとう」に結婚し、そして、目先のトラブルに大騒ぎして、結局は判断を先送り。ただ、先送りばかりしていると、周囲の目があるから、「子供のため」という大義名分をつける。 そうして、周囲に対して「かわいそうなワタシ!」と同情を求めることになる。 ダメダメ家庭を作る人間は、自分たちのダメダメさが「ふつう」となってしまう周辺環境を求めるので、そんなダメダメな環境では「子供のために離婚しない。」と言っておけば、周囲から実際に同情を受けたりする。 同情を受けるので、「かわいそうなワタシ」という被害者信念が、確信となり、勝手な自己憐憫が増殖するばかり。 そんな親の元で育った子供がマトモに育つわけがないじゃないの? 実際に「子供のために離婚しない。」と語っている家庭の子供はトラブル多発だったり、親譲りで「てきとう」に結婚して、子供の側が離婚することになったりするものでしょ? 「子供のために離婚しない。」という物言いは、判断の先送りとか、引き返す勇気の不在に立派な大義名分を付けただけ。そして、そのネタとして子供を利用してる分だけ、タチが悪いものなんですね。 ちなみに、長崎での例の事件・・・古い方・・・の家庭も色々とあったようですが・・・ 加害者の少年に、このような気持ちもあったことは確実でしょうね。 あの家庭の場合は、「子供のために再婚する。」といったケースでしょうが。 |
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以下に 管理者による補足文章です。(09年11月30日 アップ) | ||
このようなメールマガジンを発行しているせいか、この私に離婚相談を寄せられる女性の方もいらっしゃいます。 せっかく?バックナンバーにこのような文章をアップしているのに、相談の文章の中に、やっぱり「子供のために離婚しない!」という表現があったりします。 ということで、少々追加の文章を載せておきます。 私としては「子供のために離婚しない。」という「考え方」なり「生き方」を否定しているわけではありません。信念を持ってそれを実行しているのなら、それはその人の考えであり、それなりに尊厳があるといえるでしょう。 しかし、その考え方なり生き方を、言葉に出してしまったら、もはや「子供のため」とは言えないでしょ? 本当に子供のことを考えているのなら、自分自身を完全に騙し、自分自身を完全に殺して、よき妻、よき母に徹する必要があるでしょ?そして、騙した自分のまま、「棺おけ」まで行く・・・その覚悟があった上で、「子供のために離婚しない。」と考えているのなら、ある意味において見上げたものですよ。 周囲の人なり、ヘタをすれば子供の前で、「子供のために離婚しない。」なんて言っていれば、その時点で「子供のため」とは言えませんよ。あるいは、それこそ、テレビの人生相談で大々的に「子供のために離婚しない!」なんてPRされたら、そんな姿を見た子供は幸福なの?そんなわけないでしょ?子供が、そんな言葉を目の前で言われたら、その親に対して、気を使って、そして家庭内で精神的に疲れ果ててしまうことになる。そんなことは、誰でも分ることでしょ? ダメダメな人は、周囲の人や、それこそインターネットの掲示板などで、「ワタシは子供のために離婚しないわ!」と言ったりするものですが、もうその時点で、「子供のせいで、離婚できない、かわいそうなワタシ!」と同情を求めているわけ。 別の言い方をすると、相談という名目でグチっているだけ。 周囲から被害者として認定してほしいだけ。 逆に言うと、何か不都合なことがあると、「○○のせいで・・・」とかで、他者を理由として持ち出して、自分を納得させるような人だからこそ、最初の段階でいい加減な判断しかできないわけです。 「子供のために離婚しない。」と周囲に言ったりするような人は、別のシチュエーションでも、同じように「○○のために、△△しない。」と言ったりするもの。そうやって、「悪いのは、全部○○のせいだ!」と自分を納得させ、自分を被害者の立場においてしまう。 そして、結局は、自分で自分を憐れんでいるだけ。 「子供のために離婚しない。」と強い覚悟を持っているのなら、もうその時点で、そんな考えを思ってもダメなんですね。「自分は、この夫と結婚できて、幸福だ!」「いい子供に恵まれて、幸福だ!」と完璧に自分を騙す必要があるでしょう。 その覚悟と決意があってこその「子供のために離婚しない。」でしょ? その言葉は、自分に対して一回切りで発するものであって、他人に対して、いわんや子供に対して頻繁に発するものではありませんよ。 |
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R.11/2/5 |