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カテゴリー ダメダメ土曜講座(トピック編)
配信日 09年8月22日 (10年9月29日 記述を追加)
タイトル 反論するは何のため?
やり取りにおいて、片一方が某かの見解を表明する。
相手方は、その見解に納得することができない。
そうなると、登場してくるのが、反論。

反論というものは、その人のダメダメを如実に表しているもの
ダメダメ家庭の人による反論は、相手を見過ぎるんですね。
別の言い方をすると、「相手に勝とう」とした反論になっているわけ。
別の言い方だと、説明よりも説得、あるいは、もっと強い言い方をすると「説き伏せる」ことを志向していると言えるでしょう。
説き伏せることを志向しているから、自分自身が納得するまで、その「説明」を作りこんだりはしない。「わかるからいいじゃないか?」とか、「議論に勝てばいいじゃないか?」というズボラな精神があったりするもの。
結局は、相手に合意してもらおうとするよりも、「相手が黙ればそれでいいじゃないか?」そんな発想になってしまう。
結局は、「つるし上げ」をして、相手を黙らせるようなことをするわけ。

相手をやり込めても、本来は無意味でしょ?
話が合わない人間などとは距離を置けばいいだけ。
そもそも相手の理解力なんて、こちらにしてみれば何ともしようがないマターなんだから、その点にこだわっても意味ありませんよ。自分なりの最大限の説明で、相手が「たまたま」納得してくれたら一緒にやればいいだけ。出来る限り、詳細で具体的で、客観的な「説明」をすればいいだけ。
相手を説得しようとして「必要以上に強い言葉」を使うのは、自己逃避や自分の自信のなさの証明のようなもの。相手を向きすぎた反論は、まさに自己逃避そのものですが、逆に言うと、自分から逃避しているがゆえに、その自己逃避は自覚できない。そうなると、スパイラル的に自己逃避が進行し、ますます相手を見るようになる。

相手を見るにせよ、相手そのものを通過して、相手の背後にある普遍性まで見通さなくてはならないもの。それが相手の見解に対する反論においての説得力になるわけ。
「アナタは、こんなものを見て、こんなことを考え、こんな表現手段があったので、このような文章になったのでしょ?」
「だから、アナタが抜け落ちていたこの観点を加えてみると、アナタが先ほど言っていたものとは別の結論になりますよ。」
そんな反論は、とてつもなく説得力があるでしょ?
いわば、「俯瞰した視点」からの「見透かした」状態。

人の文章を読むと、その人がどの地点まで目を向けているのかがわかったりするもの。
やり取りの言葉どまりなのか?
相手の人の「背景」まで、あるいは信念まで目を向けているのか?

表層なのか?深層まで到達しているのか?
洞察力の底の浅さが見えてしまうもの。

相手の深層まで見ての文章だったら、他の人にも通用したりするもの。いわば普遍にまで到達している状態といえるでしょう。
特定個人への文章でも、あるいは、特定個人を説明した文章でも、普遍にまで到達している文章だったら、読み応えがあるもの。
そんな洞察力なんて一般人には無理なんだから、そんなことよりも、自分の考えを具体的に淡々と語る方がその文章に厚みがでてきますよ。
だって、その人にとって、もっとも実感できる存在は、自分自身でしょ?
もっとも実感できる存在を素通りして、はるかかなたの事件を議論しても、浮ついているだけですよ。そんな浮ついた言葉が普遍に到達するわけがないじゃないの?

ダメダメな人による反論は、決して普遍にまで到達しない。
ただひたすら「あら探し」をして、すさんだ表現のメールで送ってくるもの。
相手の問題ばかり見て、自分自身ががらあきになっているもの。

「なぜに反論するのか?」
「何を分かってほしいのか?」
「それをどうやって表現するのか?」
それを考える前に反論してしまうのがダメダメ人間というもの。
他者に対して自分の意向を伝えられない上手に人間に限って、他者に期待する。
というよりも、他者に伝えたい自分自身の見解を持っていない。
だからこそ、周囲からの評価が気になる自意識過剰状態。
だからこそ、「周囲からの評価を上げよう」と、必死で反論するようなことをしてしまう。

そんな反論を読むと、
「こんな反論をする人は、普段はどんな会話をしているんだろう?」
「将来は、子供とどんな会話をするんだろう?」
「そんな子供がどうなっちゃうんだろう?」
「どんな親によって、育てられたんだろう?」
「そりゃ、事件も起こるわなぁ・・・」
と思ってしまうんですね。

自己逃避であるがゆえに、「アイツの考えは間違っている。」「アイツの考えを正したい!」「考えを変えさせたい!」などと、表面上は思うことになる。反論の大義名分がほしいわけ。逆に言うと、そんな大義名分を掲げることにより、自分の説明なり反論の程度の低さを弁護してしまう。
「こんな立派な目的があるんだから・・・表現の多少の不適切さも許されるだろう・・・」

相手の考えを変えようとすると、まさに「どうしてわかってくれないの?」などと言いながらつきまとう「ストーカー」になってしまう。
ストーカーのような個人レヴェルならともかく、カルト団体の人たちもそんな感じでしょ?

カルトの人たちは、「アナタたちはカルトだ!」と言われると、過剰に反応するもの。そして「ワタシたちはカルトではないんだ!」と必死に反論したりする。
挙げ句の果てには、「ワタシたちをカルトだと誤解しているあの人たちの考えを、何とかして正したい!」と過激な手段を取ることになる。
「考えを変えさせたい!」という目的で行われる過激な手段こそが、カルトを証明するものでしょ?

本来なら、「アナタたちはカルトだ!」と言われても、「アンタのような愚鈍なオバカには分からないんだよ!」とアタマを指さしてニヤっとすればいいだけ。
「あの人たちの考えを正したい!」と必死に行動するから、まさにカルトになるわけです。

「相手に勝とう!」「相手の考えを正そう!」あるいは、「相手を黙らせたい!」
そのようなパターンの、相手に対して攻撃的な反論のパターンもあるわけですが、守備的な?反論のパターンもあります。守備的な反論というと、要は言い訳。
自分は悪くない。」と様々な言葉で弁明するわけ。

弁明はしても、自分自身の考えを客観的に説明することはしない。
説明することや、説明を受けることが心理的に恐怖なので、「言い放ち」で済む状況を求める。だからこそ、インターネットの掲示板のようなところに住みつくことになる。

そんなところは、説明して、相手から合意を取るという発想はなく、常に言い放ち,書き放ちでしょ?
言葉の上では反論という言葉でも、まるで論はなく、単なる揚げ足取りに終始。
しかし、ダメダメ人間は、合意という発想自体が存在しないんだから、そんなやり取りしかできないわけ。

自己逃避で、自分自身の考え自体がないんだから、何かに対して反論するという形でないと自分を語れない。
しかし、そんな形での自己主張は、実質的に他者の主張に依存しているだけ。
肯定であれ、否定であれ、完全な依存でしょ?
一生懸命に反論する人は、逆に言うと、自分で主張したいものそのものが存在しないわけ。
自分で達成したいものがないし、だからこそ、分かってほしいこともない。

そのような事態は、インターネットの掲示板だけでなく、インターネットのニュースサイトでのコメント欄を見たりすると、そんな場では一生懸命になって否定している人ばかりでしょ?
そんなに否定するよりも、自分が肯定しているものに取り組み、その成果を公表すればいいだけですよ。
一生懸命な反論は、逆に言うと、反論するしか能がないということを自分で語っているようなもの。そして、反論することで、ますますその状態に安住してしまう。

攻撃的にせよ、守備的にせよ、自分のために反論するのだったら、結局は自分のためにはならないわけ。

反論という状況こそ、「お互いが納得できるように・・・」という精神が必要になるもの。
そんなやり取りによって、たとえ、その見解で合意ができなくても、相互理解が達成できれば、有意義なことでしょ?
「合意形成=相互理解」とはいえなく、論理的には「合意形成⊂相互理解」となるもの。
そして、相手が反論してこないと言っても、相手が合意してとはいえない。

そもそも相手を黙らせるようなやり取りをしても何が楽しいの?
相手を黙らせて、当人としては得るものがあったの?
ちょっとでも自分で考えれば、そんなことはしないはずでしょ?
だからこそ、反論のスタイルから、その人について色々と見えてくるものなんですよ。
その手の人は、自分で考えたくないがゆえに、考えることが怖いがゆえに、「熱く」反論しているわけです。
いわば、「反論しなくちゃ!」と強迫的に追い詰められているわけ。

一所懸命に反論している人については、そう見ると、すんなり理解できるようになるでしょ?

(終了)
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発信後記

今回のような内容は、頻繁に配信しております。
ダメダメ人間にしてみれば、そのダメダメっぷりが最大限に発揮されるのが、この反論というシチュエーション。
自分自身で伝えたいことをまとめる前に、反論をしてしまう。
逆に言うと、反論をすることで、自分自身の考えをまとめることから逃避するわけ。

ちなみに、今週は、ある見解を提示された後でダメダメ人間がする対応・・・そんな観点での文章を集中的に配信してきましたが、来週は、様々な作品を紹介いたします。いわば作品紹介週間です。
月曜日は購読者さんからの投稿の文章です。

まさかこのメールマガジンの購読者さんは、夏休みの読書感想文をまとめるという宿題を抱えている人はいないでしょうが、たまには本でも読んで色々と考えてみてはどうでしょうか?
R.10/10/16