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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神
配信日 06年1月30日 (10年5月5日,11年2月16日 記述を追加)
タイトル 罪の意識 (後ろめたさ)
「ダメダメ家庭の人間は強い被害者意識がある。」って、もうお約束の書き出し。
自分が一番の被害者だ!」と勝手に認定しているので、自分以外の人間の被害なんて全然お構いなし。周囲の人に被害を与えても、至って無頓着。
だから、ある意味において「罪の意識」なんて起きようがない。

同じようなことは、何回も触れていますし、たとえば「ごまかしが多くなる」なんてお題で配信もしています。「ワタシの親は平気でウソをつく人だ。」と私に説明してくれた女性がいましたが、その人自身も平気でウソをつく人で、その点を指摘されるとお約束の逆上状態になるだけ。
「だってぇ〜、ワタシはこんなにかわいそうな人なのよ!それくらいいいじゃないの?!」と涙目になって騒ぐだけ。
まあ、そう言いたければ勝手に言っていればいいのですが、誰か別の人を相手に言ってほしいもの。まあ、マトモな人間はそんなことを言う人を相手にはしませんよね?

そんな人に限って、「ワタシは自分の親を反面教師にしているわ!」と豪語したりする。
しかし、現実的には「子は親の鏡」そのもの。
親から被害者意識を受け継いで、現実的には、更にパワーアップしていたりする。
親譲りの被害者意識があるから、スグに逆上し、勝手な理屈で報復行為をすることになる。逆に言うと、報復という大義名分を付けることによって、自分を被害者だと認定するための儀式とするわけです。
逆に言うと、加害者意識・・・まあ、別の言い方をすると「罪の意識」があれば、無茶はしないものでしょ?

サッカーでブラジルの選手が来て、そのブラジル人は「日本のプレーヤーも、もっとズルくプレーすればいいのに・・・ちょっと、バカ正直すぎるんじゃないの?」なんて言っていたことがありました。
ブラジル人のサッカー・プレーヤーは「ズルい」ということが、「いいこと」であるようです。しかし、同じサッカーのプレーヤーでもアルゼンチンのプレーヤーは「汚い」と言われたりします。汚いプレーというと、韓国だったり、イスラムの人もそんな感じですよね?

ズルいとなると、「こそっ」と悪いことをやって、バレたりしたら、「あれ?バレちゃった?ごめんなさ〜い。」と詫びる。そんなものでしょ?相手に怪我をさせるようなことは決してしませんよね?相手に配慮した上で、ちょっとインチキをしたりする・・・それがズルいというもの。ズルいことの背景には加害者意識がある。
それに対し、「汚い」となると、むしろ被害者意識がある。「オレたちは、こんなにかわいそうな存在なんだから、恵まれているオマエたちをやっつけてやる!どんな悪いことをやってもいいんだ!」そんなものでしょ?

スポーツなどを見ている時には、結構、国民性なども見えたりするんですね。
ダメダメな地域は、被害者意識があるので、平気で「汚い」ことをする。しかし、そんなことをするから、人からますます相手にされないわけでしょ?そうなると、お約束の逆上に入ってしまい、思考から逃げてしまう。

加害者意識と被害者意識の関係というと、浮気とレイプの関係もそれですよね?
浮気はバレたら、「ごめん!」と謝るもの。まあ、人間は「あやまち」も、色々とあるでしょうヨ。
しかし、被害者意識がある人は、むしろレイプの方に走ってしまう。「オレを相手にしなかった女たちに復讐するんだ!」そんな感じなのかな?

レイプというと、先日に京都大学のアメフト部の学生が、他の大学の女性学生を部屋の中で酒に酔わせてレイプする事件がありました。
あの事件は不思議でしょ?
京都大学のアメフト部ですよ。最優秀の大学の、最優秀の運動部ですよ。下卑た言い方で、入れ食いなんて言い方もありますが、いずれにせよ無理しなくても合意を取り付けることなんて簡単でしょ?どうしてわざわざレイプするの?
若い男女が合意の元に何しようとOKですよ。「ワカイモンはお盛んだねぇ・・・」でオシマイになるだけ。
それも、部屋で一緒にお酒を飲みながら鍋をつついていたわけでしょ?何もわざわざレイプしなくたって・・・まさにタッチダウン目前でしょ?安全策で十分ですよ。ギャンブルする必要なんて微塵もありませんよ。
求める結果を得るために、どの程度までリスクを取るのか?そんなことを日頃からアメフトでやっている連中がどうして?

きっと彼らに被害者意識があったのでしょうね。「オレたちは女たちからの被害者だ!」「女たちに復讐するんだ!」そんな意識なり無意識があったのでしょう。だから、わざわざ過激なことをしてしまう。レイプした側の心理としては、レイプが女性への報復行為となっている。ただ単に肉体的な快楽を求めているのなら、ドンファンのようにお互い合意の上で遊べばいいだけ。きっと今回の事件の学生は、母親にかなり問題があるダメダメ家庭の出身だったのじゃないかな?

まあ、「浮気」なんてしないに越したことはありませんが、加害者意識・・・いわば「罪の意識」を持ってやっているのなら、まだ、救いようがあるといえるでしょ?
「罪の意識」があれば、その浮気が本気になってしまっても、元の配偶者に対して配慮した形で離婚となりますよ。
しかし、「オレはアイツと結婚したことによる被害者なんだ。」という被害者意識が背景にあれば、離婚する際にも、何も配慮はしないでしょ?
そして、そんな事態は、結婚前から想定できるものなんですね。

「罪の意識」というか「やましさ」とは全く無縁の人は、逆に言うと、被害者意識が強い。「オレは何も悪くないんだ!」「オレこそが被害者なんだ!」「悪いのは全部アイツのせいだ!」と確信を持っていて何も疑いがない。そんな加害者意識がない人間ほど「自分が人に与えている被害」つまり「加害者としての自分」を考えない。だって、「自分こそが一番の被害者」という認識なんですからね。
加害者としての自覚がないがゆえに、だから本当の加害者となってしまう。

ヨハネの福音書で有名なシーンがありますよね?
「不倫を犯した女性を、石で殺せ!」という騒動になったとき、キリストが『アンタたちの中で、罪を犯したことがない人がやれば?』と言った話です。
結局は、皆は「自分自身が罪を犯した経験」を思い出し、その女性は解放されることになる。
まあ、マトモな人間だからこそ、自分自身の罪を指摘されると、振り返ることができる。しかし、心の底からダメダメな人間は、自分自身の罪を指摘されても全くの他人事。
それこそキリストのような場面に遭遇しても、平気でそんな女性を石で打ち据えたりする。そして家に帰って平気で罪を犯す。
そういうものでしょ?

ダメダメ人間は自己逃避であり、自分自身の問題は何も考えない。
自分自身の欠点だけでなく、たとえば、「このようなことをやり遂げたい!」という目標も持っていない。とにもかくにも、目先に発生したマイナスに断片的に食いつくことになる。
断片的に食いついているだけなので、他者に対して行った自分が行った非難についても、スグに忘れてしまっている。だから、先ほど誰かを執拗に非難したことを、後になって自分でもやっていたりする。それこそ、電車でのキセル行為とか、タバコのポイ捨てとかについて、人がやった行為には異常にかみついても、後になって自分では平気でやっている。しかし、自己逃避であるがゆえに、そんな自覚はなく、むしろ、自分がやっている欠点を、誰かに投影して、その投影先を攻撃するようになる。
そうして、「悪いのは全部アイツのせいだ!」と、ますます確信していくことになる。

別のところで書いていますが、自己逃避であり、自分自身の問題点をまったく自覚していないがゆえに、他者の欠点に対して、過剰に食いつき、そして、限度もなく糾弾することになる。つまり、モラルハラスメントとなるわけです。
モラルハラスメントも、自己逃避という観点からみると、理解しやすいでしょ?
自分について何も知らないが故に、「後ろめたさ」とか「やましさ」とは無縁でいられるわけです。

浮気とかスポーツでのちょっとしたインチキでも、「そんなことはやらなきゃいいじゃないの?」という話はもっともですが、加害者としての意識というか、ちょっとした「やましさ」とか後ろめたい感情があれば、相手に配慮するものなんですね。だから無茶はしませんよ。逆に言うと、「やましさ」とかを感じたことがない人間は危険人物といえるでしょ?
加害者になることが、いいことであるわけがありませんが、せめて悪いことをする時は、「後ろめたい」気持ちを持つ・・・これが最低限の節度というわけです。しかし、自己逃避のダメダメ人間はその「後ろめたい」気持ちなど微塵もない。

ダメダメ家庭は自己逃避であり、被害者意識だけがあるので、そんな家庭に育った子供も同じようになってしまう。だから加害者としての意識が育たない。加害者としての意識がないからこそ、大きな事件の加害者になる。世の中ってそんなものでしょ?

健全な加害者意識というと、ちょっと論理矛盾と思われる方も多いでしょうが、人間は生きていれば、色々とありますよ。
聖人君子でないと、生きる資格がないというものではないでしょ?
自分自身の至らぬ点と上手に付き合っていけばいいだけですよ。
被害者意識が強いダメダメ家庭においては、自分自身の「至らぬ点」なり「罪」との接し方を習得することができない。
自分の問題を指摘されると、「オマエも悪いことをやっているじゃないか!」などと、思考停止を求めて逆上してしまう。
そうして、「オマエが悪いんだから、オレがこんな目になってしまったんだ!」という論理にしてしまう。

何でも、風俗業界で一番嫌われるお客はそんな人なんだそう。
行為が終わった後になって、相手をしてくれた女の子に説教するお客がいるんだとか・・・「おい!キミ!こんな仕事をしていると、親御さんが泣いているぞ!」などと、女の子に説教するんだそう。
いわば相手をしてくれた女の子を犯人認定することで、「コイツのせいで、ボクはこんなことをしてしまったんだ。」と自分自身で勝手に認定してしまう。
相手を犯人認定するくらいなら、そんな「遊び」などはしなければいいだけでしょ?
「遊び」なら遊びで、上手に遊べばいいだけじゃないの?
そんな遊びに後ろめたい気持ちをもったのなら、女の子にチップでも渡したり、あるいは、自分の奥さんにお土産でも買って行ったら?

商売の世界で、その手の行為の後で、相手をしてくれた女性に対し説教するくらいならともかく、自分がレイプした相手を「オマエが誘惑したから、オレがオマエをレイプしてしまったんだ!」と犯人認定してしまって、それこそ女性を処刑してしまうような事例は、イスラム世界では、よくニュースになっているでしょ?
「オマエが悪いんだから」→「オレの側は被害者なんだ。」という理屈にしてしまうわけです。

その手の人は、「後ろめたさ」というか「罪の意識」との付き合い方がわからないので、相手を犯人認定して、自分を被害者の側に置いてしまう。
このようなことは、いわゆる説教泥棒なる人たちにも共通しているでしょ?
「今度からは戸締りを厳重にするんだぞ!」と、泥棒した後に被害を受けた側の人に対して説教する泥棒がいるんだとか・・・
そんな説教は、「この家は、戸締りをしていないから、泥棒に入られてしまったんだ!」と言葉を持ち出し、相互で確認することで、泥棒した側が、「ボクこそが被害者なんだ!」と主張しているわけです。
この手の人は、逆に言うと、「いい子ちゃん」志向なんですね。
自分が、いい子ちゃんでなくなってしまった状態に直面したら、自分に対し弁解をする必要がある。だから、不都合な事態の理由として、他のものを犯人認定して、「ボクは悪くない!」と自分に納得させたいわけです。
自身の加害者認定への耐性が低いので、自分が加害者として認定される前に、相手を加害者認定してしまおうとするわけです。

罪の意識とか後ろめたさとの付き合い方がわからない人は、聖人君子になるか、「アイツのせいで・・・」と誰かを犯人認定してばかりの人になるか、極端に分かれてしまう。
とは言え、現実的には、聖人君子になどにはなれるわけもない。というか、聖人君子は、むしろ罪の意識から生まれるものでしょ?
現実的には、罪の意識がない人は、周囲に問答無用の説教をし続けて、モラルハラスメント状態になり、そして、「オマエのために、オレが被害を受けた。」という関係性を画定させるための、儀式的な報復行為を繰り返し、周囲に迷惑をかけ続けるものでしょ?

(終了)
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発信後記

強い被害者意識によって、他者に被害を与えることに躊躇しない・・・という例は、北朝鮮が典型ですよね?
「オレたちが一番の被害者なんだ!」
彼らの行動を理解するためには、そのような点を頭に入れておくことは不可欠です。

逆に言うと、彼らがその「強い被害者意識」を持っている限り、話し合いで事態は解決しません。そもそも会話の能力がないわけですし、「自分が一番の被害者だ!」と思いこんでいるので、まず自分自身が受けている(と思っている)被害への理解を求めることになるもの。これはダメダメ家庭を考えるにあたって基本中の基本。自分たちが他者に及ぼしている被害なんて、彼らは考えたりしないわけ。

それを周囲が説明しても、そんな説明されること自体を、「被害」ととらえてしまうわけ。
児童虐待の現場での親の発想も全く同じでしょ?
R.11/2/16