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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) | |
配信日 | 07年3月16日 (10年5月22日,10年6月13日,10年11月21日 に記述追加) | |
タイトル | 誰に言っているの? | |
ダメダメ家庭の人間とのやり取りでは「で、結局は、何が言いたいの?」と思わされることが多い。そもそも、当事者意識がないので、自分が本当にやりたいことなんてないわけ。そんな人だから、自分がどうしても相手にわかってほしいこともない。 だから、人とのやり取りにおいても「あーでもない、こーでもない。」という議論のための議論になるばかり。 そんな人の話を聞いても、「で、アンタ・・・いったい何が言いたいの?」と思わざるをえないのは、当然と言えば当然。 これとは似ていますが、ちょっと違うパターンもあります。ダメダメ家庭の人とやり取りをしていてよく感じられるのが、「で、アンタ・・・アンタのその言葉は、いったい誰に対して言っているの?」ということなんですね。 たとえば、ある人と面と向かって話をしているのはいいとして、「その人が言った言葉が誰に宛てた言葉なのか?あるいは誰に言及した言葉なのか?」聞いていて不明になることがあるわけです。面と向かって話をしているはずなのに、その実感が湧いてこない。 「たぶん・・・ワタシに対して言っているんだろうけど・・・何だかなぁ・・・」 と、やり取りをしながら怪訝な思いを抱くことになる。 たとえば、会話の中で出てきた、こんな言葉を考えてみましょう。 「Aさんが末期がんであることを知っているの?」 さて、この文章の意味は?意味と言っても主語がないから分かりにくい。 主語を補うと、たとえばこんな物言いとなる。 「Aさんは、Aさんが末期がんであることを知っているの?」 また別の補い方もあります。 「アナタは、Aさんが末期がんであることを知っているの?」 あるいは、話の流れでBさんという人の事がちょっと前に話題になっているとして、 「Bさんは、Aさんが末期がんであることを知っているの?」なんて補い方もできる。 上記の3つの文章って、意味が全然違うでしょ? 日本語は主語を省略することが多い。まあ「分かりきった」場合には、主語の省略もあるでしょう。しかし、何でもかんでも省略してしまったら、意味がわからなくなるでしょ? このようなことは、このメールマガジンでは「あいまいな物言い」ということで以前に取り上げたことがあります。ダメダメ家庭の人間は、そもそも会話の能力がないのに、それに加えて、妄想への親和性が高い。現実でのやり取りと並行して、アタマの中の妄想が走っているわけ。妄想の世界の内容が、突然に現実のやり取りに反映されちゃうんだから、聞いていて「何それ?」と思わざるを得ないんですね。 また、そのような対象をあいまいにした物言いをしたがる理由は別にもあります。 ダメダメ家庭では、親は子供のサポートはしない。そもそもダメダメ家庭の親は被害者意識が強く「自分が一番かわいそうな人間なんだ!」と思っているので、子供は「自分より恵まれている」と勝手に認定してしまっている。だから自分の子供へのサポートなんてしないわけ。そんな環境で育ったので、子供の側は「何かあっても、親は頼りにならない。」「自分の身は自分で守らないと!」と切羽詰っている。 やり取りをしても、常に「逃げ口」を意識するようになるわけ。 そんな人だから、言葉でのやり取りでも、相手から突っ込まれた場合の逃げ口を残すようになるんですね。 やり取りをしている相手の問題に直接的に言及したのはいいとして、その相手から正確無比な反論を食らってしまった。 さあ!どうする? そんな時はコレ。 「いやいや・・・別にアンタについて言っているわけではないんだから・・・」と、あいまいに弁解することになる。 逆に言うと、そんな感じでいつでも逃げられるように、言葉の人称を不明確にしておくわけ。 しかし、そんな風に言われても・・・やっぱり思うのがコレ。 『じゃあ、誰について言っているのさ??』 返って来る回答なんて、こんな感じ。 「うーん・・・別にぃ・・・」 日本語は曖昧模糊とした言語ですよね?しかし、そんな日本語ですら、主語や代名詞の扱い方に注意すれば、それなりに明晰な表現をすることが可能です。 しかし、「逃げ口」を残したいダメダメ家庭の人間は、むしろ明晰さを回避する言い回しをするわけ。 「相手に対して、どうしてもわかってほしいことを、相手にわかりやすく伝える。」 そのような意識よりも、 「相手に突っ込まれた場合に備えて、逃げ口を残しておく。」 そんな発想の方が優先されるわけ。 だから主語や代名詞などの人称がぼかされてしまう。 それだから、聞いていても、「それって、いったい誰のこと?」なんてなってしまうわけ。 しっかし・・・そんな人とのやり取りが楽しいわけがないでしょ? 会話というのは相互理解が目的でしょ? そんな、あいまいなやり取りで、お互いの何がわかったの? だから、相互理解を目的としてやり取りをする人は、そんなあいまいな人から離れて行ってしまい、結局は、ダメダメ同士で群れるようになるわけ。 まあ、そんなダメダメグループが盛り上がるネタは、周囲の人の悪口くらい。それだったら、面と向かっている人に直接的に宛てた言葉と言えないでしょ?そもそも第3者の悪口なんて、「相手にどうしてもわかってほしい!」と言った類のものではないでしょ?そんな物言いの中に浸っているものだから、「誰に対して言っているの?」なんて物言いがますます進行するようになってしまう。 近隣でのちょっとしたやり取りでも、「一体、誰に言っているの?」なんて思わされることも多いのですが、それを壮大なスケールでやっているのが北朝鮮ですよね? 北朝鮮のコメントを聞いていると、その内容の「珍妙さ」はともかく、「いったい・・・誰に対して言っているの?」と思ったりしませんか? 『○○さんに、自分が△△と考えていることを、わかってほしい。』 彼らのコメントは、そんなスタイルのコメントではないでしょ? 誰に対して言っているのか、聞いてもわからないようなコメントなんだから、事態なんて何も改善しませんよ。だって聞かされた方は、「この私に宛てたものではないんだろうなぁ・・・」と思うだけ。 まあ、そんなダメダメ人間たちが唯一言いたいことは、 「ワタシは悪くない!」 そんなところでしょ? だから、そんな言葉は、相手に宛てた言葉でなくて、自分自身を納得させるための言葉なんですね。自分自身の妄想の中でやり取りをしているんだから、主語が不明確なのは、ある意味において当然でしょ? あるいは、この点「誰に対して言っているの?」という点が実に不明確なのは、インターネットの掲示板でしょう。掲示板のような場では、確かに特定の人に宛てた文章ではなく、まさに不特定の人に宛てている。 しかし、自分の書き込みの文章の内容をそれなりのレヴェルまで理解できる人に宛てないと意味が無いでしょ? 合意してもらうにせよ、あるいは、自分の至らぬ点を指摘してもらうにせよ、それなりの理解力を持った人間であることが前提ですよ。 不特定多数が見る掲示板での書き込みの文章は、「特定の誰に対して言っているのか?」という点については、文章を書いた人にしてみれば、何ともしようがないわけですが、せめて「どんな人に対して言っているのか?」という点について、常にアタマに入れておかないと、やり取りにならないでしょ? しかし、そんな点が明確な書き込みの文章なんて、現実的にありませんよね? そもそも、対象が明確になっているのなら、特定個人に宛ててメールを出せばいいだけ。 あるいは、自分自身による内面での対話を進めたい、そしてその成果を後世に残したいということなら、自分なりにサイトを立ち上げればいいだけ。 掲示板の世界だと、自分との対話でもなく、ある人にこのことを分かってほしいという会話でもないでしょ? 逆に言うと、どうしても伝えたいことがない人は、そんな掲示板のようなところに引き寄せられてしまう。 そして、「どんな人に対して、どんなことをわかってほしいのか?」という会話の基本と無縁のまま。伝えたい気持ちよりも、「逃げ口」を重視したままで、やり取りをすることになる。 抑圧的なダメダメ人間にしてみれば、言いたいことはあっても、相手にわかってほしいことはない。やり取りが自己確認で終わっていて、他者という存在が心理的に存在しないわけ。 相手にわかってほしいことがあるのなら、その「相手」についても、それなりに考慮しますよ。しかし、言いたいことで留まっている状態だったら、対象についてはどうでもよくなる。 逆に言うと、「誰に言っているのか?」という点が不明確で、対象が不特定ということは、「わかってほしいことは何だろうか?」という点から逃避する心理的な抑圧がみえてくるわけ。 あいまいな物言いをする人間は、その心理として「逃げ口」を意識している。だから、そのあいまいな表現の問題に突っ込んだりすると、ヘタをすると逆上したりする。それこそ、「アナタの先ほどの言葉は、いったい、誰に対して言っているの?」などと、実に素朴な質問すると、逆上することもあるわけ。 まさに「逃げ口」を塞がれたように感じるんでしょうね。 もちろん、いつもその点を突っ込まれるというわけではないでしょう。 だから、そのような逃げ口を残した物言いが習慣化してしまう。 だから、物言いがどんどんとあいまいなものになってくる。 あいまいな物言いをして、やり取りの相手から反論や突っ込みがなかったからといって、じゃあ、何が伝わったの? 相手から突っ込まれなかったからといって、相手が納得したわけでないでしょ? 逃げ口を残そうとして不明確な言い回しをして、それで本人は、「うまくやった!」と思っているのかもしれませんが、そんな不明確な言い回しこそが、実は「突っ込みどころ」だったりするわけです。 だって、「この事案については、ワタシはこのように考えている。」なんて端的な言い回しをされたら、その考えが自分と違っていても、人それぞれの見解の相違ということでお互いが納得できるでしょ?「ふーん・・・・アンタはそう考えているわけね。よくわかったよ!」でオシマイ。 しかし、「こんな考えがあることを知っているのかなぁ・・・」なんて言い回しだったら、「知っているって誰が?」とか「その考えって、誰が言っているの?」とか「アンタ自身はどう思うの?」とか、それこそ「その言葉で、結局は、アンタは何が言いたいわけ?」などと、次々突っ込まれるだけ。 ヘタをすれば、この私のような人間から「そのような時には、『自分としては、○○のような事態を、△△の視点から考え、□□の点が問題だと考えております。ただ、★★さんは別の☆☆の点を指摘しているようです。アナタはどのように考えますか?』と言えばいいだけですよ。どうして、そのような的確な物言いができないの?」などと具体的に指摘指導するような人間までいたりする。 購読者の皆さんも「こんな考えがあることを知っているのかなぁ・・・」なんて物言いに接したこともあるのでは?一見とおりがいい言葉のようですが、よく考えると意味がわからないでしょ?言いたいことがあるのなら、はっきり言った方が相手にも伝わりやすいんじゃないの?まあ、その人のダメダメのレヴェルを判定するには、非常に便利な言い回しなんですね。マトモな人はそんな言い回しはしませんよ。 「自分の考えを、自分の言葉で、そして、伝えようとする相手について明確に意識して語る。」って・・・会話の基本中の基本でしょ?その基本が出来ていれば、一番「突っ込まれない」わけ。 あいまいな物言いをして、その「あいまいさ」は、当人にしてみれば「逃げ口」と思っているのかもしれませんが、その「逃げ口」って、実は格好の「攻め口」なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 本文中で取り上げました、「こんな考えがあることを知っているのかなぁ・・・」とか、「こんなことを言っている人がいることを知っているのかなぁ・・」なんて物言いが頻発しているのは、政治とかマスコミの世界でしょうね。 実によく出てくるでしょ? 自分がそのように考えているのなら、自分の考えを、十分なデーターや資料を基に堂々と説明すればいいだけ。 「ワタシは現状をこのように認識し、この点を改善したいと考えているので、このようなことをしたい!」って、言った方が聞いている人にもわかりやすいでしょ? とおりがいい言葉って、ある意味、自分の程度の低さを隠したいという心情があったりするもの。そんな人間は、結局周囲にグチを言っているだけ。 それこそ、政治家でもマスコミでも・・・そんな言い方をする人って、そんな調子でしょ? |
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R.10/11/21 |