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カテゴリー 判断と選択
配信日 08年1月8日 (10年10月10日 記述を追加)
タイトル 誰でもいい
このメールマガジンでは、実際に起こった事件を取り上げることもあります。まあ、昨年(07年)に発生した長崎の事件(猟銃発砲事件)も集中的に取り上げたりもいたしました。
私としては、別にあの手の事件を面白がっているわけではありませんよ。ダメダメ家庭を考える視点を説明するには、みんなが知っている事件を元にした方が説明しやすいし、理解しやすいでしょ?

かと言って、あの手の事件解説が、このメールマガジンの趣旨ではありません。そんな具体的な事件の中から、別のダメダメ家庭の問題にも適用できる一般的な視点を取り出したいと思っているだけです。だから、あまり頻繁にあの手の事件を取り上げるのは、ちょっとぉ・・・とも思っているのですが、ダメダメ家庭の皆さんは色々とやってくれますからね。

先日も、東京で高校生が、商店街で無差別に切りつけた事件がありました。なんでも、その犯人の高校生は、「オレは悪くない!」と言いながら切りつけたそう。
「悪くない!」という物言いが、ダメダメ家庭にお約束のものであることは、このメールマガジンで頻繁に触れております。購読者の皆さんも、報道の記事の中に「悪くない」という言葉を見たとき、「ああ!あのメールマガジンが書いているとおりだ!」と思ったでしょ?
いやぁ、まあ!ホントウに勉強になるメールマガジンだなぁ・・・

その「悪くない」という言葉は、実に頻繁に触れておりますので、今回は、その文言を取り上げることはいたしません。今回の文章で取り上げるのは、「誰でもいい」という言葉の方です。
その高校生によると、何でも「誰でもいいから殺したかった。」んだそう。
「誰でもいいから」「対象としては無関係な人でもOK」となる。
それは論理的には通っている。しかし、心理的には、そのような単純なものではないわけ。

さて、ダメダメ家庭を作る親には強い被害者意識がある。子育てだって親である自分が押し付けられた被害だと考えている。そんな親は、子供に対して「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」という物言いがお約束の状態。
そんな家庭だから、ダメダメ家庭の子供は、自分自身を強く抑圧するようになるわけ。
どうせ、自分の希望を親に対して語っても、無視されるだけですからね。だったら、最初から希望を捨ててしまった方がラクでしょ?
ダメダメ家庭の子供は、自分自身の思考を抑圧し、自分自身の感情を抑圧せざるを得ない。
このような抑圧は、それこそ昨年末での長崎の事件でも顕著でしたよね?

抑圧ということは、考えないこと、そして言わないこと。
そのような心理的な抑圧状況によるトラブルを考える際には、「言われていること」「したこと」から考えても何も得られません。むしろ、「どうしても言おうとしないこと」それが、一番重要になるわけ。

さて、今回の「誰でもいい」との言葉ですが、本当に「誰でもいい」のなら、殺す対象は、何も人間でなくてもいいんじゃないの?それに、何も生き物でなくてもいいじゃないの?ゲームセンターに行けばその手のゲームってあるのでは?そんなゲームを相手に、ドンパチと遊べばいいじゃないの?生身の人間だったらよくて、ゲームなどの架空の人間だと不可だったら、「誰でもいい」とは言えないでしょ?

あるいは、その犯人の高校生は親と暮らしているわけでしょ?
つまり、その高校生が一番頻繁に見ている人間は、親である可能性が高いでしょ?
もし、誰でもいいのなら、一番「手近な」存在をターゲットにするのが、自然な発想じゃないの?
ゲームなどの安直な対象をわざわざ避け、もっとも手近な人間を、わざわざ避け、そして、わざわさ外に出かけて、そして、「誰でもいいから・・・」なんて言葉は、実際の行動とはつながっていませんよ。

つまり、犯人の高校生にしてみれば、深層心理的には「誰でもいい」というわけではないわけ。だって、手近な対象を、わざわざ避けているんですからね。
本当に殺したい人は別にいて、それは誰なのかを考えることが、彼においてはアンタッチャブルになっているから、言葉の上では「誰でもいい」となってしまう。
「自分が一番不快に思っていることは何なのか?」
「それが誰につながっているのか?」
「どんな理由があって、こうなってしまっているのか?」
「自分としてはどうしたいのか?」
考えようとしても、抑圧状況の中では、その思考が続かない。

彼にとって、一番殺したい人は誰なのか?
まあ、言うまでもないことでしょ?
そのような点は、まさに長崎の事件(07年年末の猟銃事件)ともまったく同じなんですね。

自分では言いたくないし、考えたくないけど、内心では○○が憎い。しかし、その○○のことを考えたくないし、それに対する憎悪を認めたくない。だから、その○○以外なら『誰でもいい』。
しかし、まさに言おうとしない、その○○こそが、一番重要な人物でしょ?
自分が一番よく知っている人だからこそ、その人について考えることを抑圧すると、まさに「誰でもいい」なんてことになってしまう。

このようなことは、何も殺人事件だけではないでしょ?

結婚相手の条件を語る際にもあったりするでしょ?
「えっ?このオレが、どんなオンナと結婚したいのかって?うーん・・・オンナなら誰でもいいや!」・・・そんな物言いの人もいたりしますよね?
その手の人は、自分が一番よく知っている女性が・・・つまり自分の母親が、不快な存在というわけ。
一番よく知っている女性が、不快なんだから、具体的な条件も考えられない。「どーでもいいや!どうせ、オンナなんかあんなモンだろ!
「誰でもいい」は、要は「考えたくない」という心理と一緒であるわけ。そして、希望がないという感覚とも共通している。

あるいは、就職する際の会社の選択でも「どんな会社でもいい。給料がもらえれば・・・」そんな感じになってしまう。それって、自分が一番よく知っている会社員・・・まあ、往々にして自分の父親の姿の反映だったりするわけ。

同じようなことは、学生だったら、「進学する学校はどこでもいい。」なんてことになりますよね?

あるいは、結婚後の新婚生活のイメージでもそのパターン。
「どんな家庭を築きたいかって?うーん・・・まあ、生きていればそれでいいや!」
そんな「許容幅が広い」パターンとなる。

そんなに許容度が高いから、小さなトラブルも「許容」してしまって、やがては大きなトラブルになる。そうして、そんな人は誰かに相談を持ちかけることになる。
相談を受ける側が、「結局は、アナタ自身はどうしたいの?」と聞くと、
『今の状態でないのなら、どんな状態でもいいです・・・』なる回答。

まあ、そんなに「許容度が高い」からこそ、小さなトラブルが積み重なって、切羽詰まった事態になっているわけですが、抑圧的な人間は、現状認識や思考そのものを抑圧しているんだから、そんな認識もない。
そうして「こんなに色々なトラブルも我慢しているワタシなのに、どうしてこうなってしまうの?!」と大仰に嘆くことになる。

私に相談してきた、あの人も、まさにそのパターンだったけど・・・まだ生きているかな?

「誰でもいい」あるいは、「どんな状態でもいい」なんて言葉は、非常に許容範囲が広くて、「なんでもウェルカム!」なんて単細胞的に考える方もいらっしゃるかもしれませんが、現実はそうではない。
許容範囲が広いのではなく、単にアンタッチャブル領域が広いというだけ。別の言い方をすると、物事を具体的に考えることができないというだけ。具体的に考えることができず、だからこそ一般論的にならざるを得ず、一般論的だからこそ、「誰でもいい」となる。

結局は、そのアンタッチャブル領域がさらに拡大して、ドッカーンとなってしまうもの。
繰り返しますが、「誰でもいい」という言葉は、一番重要な存在なり、一番具体的な存在について何も言えないということになるわけ。それだけ自分自身を抑圧しているわけです。

多くの希望があるから、「どこでもいい」という言葉になるのではなく、希望が持てないからこそ、「誰でもいい」し、「どこでもいい」となる。そんなことは、チョット考えればスグにわかることでしょ?

別のところにも書いていますが、お腹が空いて死にそうな時に、「何でもいいから食べさせておくれ!」と周囲に依頼するのと、お腹が好いていない時に、「夕食の献立は何でもいい。」と回答するのは意味が違うでしょ?片や「食べることに対して異常に執着があり」、片や「食べることに対して、関心がない」わけでしょ?
同じ「何でもいい」という言葉でも、方向性は全く逆だったりするわけ。

「夕食の献立は何でもいい。」という言葉は、あえて口に出す言葉ではないでしょう。
頻繁に登場してくるのは、「何でもいいから食べさせておくれ!」という言葉の方でしょ?
つまり、「何でもいい」という言葉が、実際に登場してくる背景には、それだけ切羽詰まっていることを表しているわけ。
だから、重要なのは、「何でもいい」という選択の幅ではなく、「とにもかくにも、空虚を埋めなくてはならない。」という切迫感の方なんですね。

品川の事件でも、その高校生の空虚感こそが存在となっているわけ。
憎悪が実在しているというよりも、空虚感が存在している。
憎悪が実在していれば、殺す対象については「選ぶ」ことになるでしょ?
しかし、空虚感が存在しているんだから、まずは「埋める」ことになりますよ。
だから、「誰でいい」という言葉になるわけ。

長崎の事件も、今回の東京の事件も、実はまったく同じ心理が背景に存在しているわけです。
事件中に「誰でもいい」なんて言っていた今回の犯人は、進学の際にも、「どこでもいい」と言っていたのでは?逆に言うと、その時点で、気がつけば、あんな事件にはならないわけです。
とはいえ、肝心の親にその気がないのだから、まあ、現実的にはドッカーンと行ってしまうものなんですね。

(終了)
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発信後記

最近は抑圧状況から来る事件が多発していますので、またまた、そんな内容になっております。
いつものように、品川の警察なりマスコミの連中が、どのように解説するのかはわかりませんが、どうせ失笑するレヴェルなんでしょうね。

しかし、言わないこと、しないことから考えるというダメダメ家庭の基本がわかっていると、理解するのにも困難な事例ではないんですよ。
今までこのメールマガジンで書いてきたことを組み合わせると、簡単に説明できてしまうでしょ?

最近は、実際の事件に関連したお題を取り上げることが多くなっていますが、事件が起こってしまっているんだから、こちらとしても取り上げざるをえない。しかし、このメールマガジンの文章を理解していると、事前に予想ができるでしょ?
私としては、それが目的で発行しているんですよ。
この文章に近い内容としては 09年8月31日配信 スパム感覚 という文章があります。
あるいは、08年5月26日配信 プライオリティを付けられない という文章も関連した文章です。
R.10/10/10