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カテゴリー 自己への抑圧
配信日 08年1月4日
タイトル 抑圧状況下における犯人探し
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。常に自分を被害者の立場に置き、「自分に被害を与えた加害者は誰なんだ?」と犯人探しに明け暮れている。
そもそも、「ワタシは○○による被害者です。」という形でしか、自分を語れないわけですから、犯人探し、それイコール、自分のアイデンティティになってしまうわけ。

犯人がいないと、自分自身も存在しないわけ。
ギャグを書いているようですが、まさに韓国人なんて、その典型でしょ?
「日本の○○のせいで・・・オレたちは・・・」
という形でしか、自らを語れないでしょ?
あるいは、女性運動も同じですよね?
「オトコたちのせいで・・・ワタシたちは・・・」が、いつものパターン。
しかし、逆に言うと、それだけ韓国人は日本に依存しているわけですし、女性運動の活動家は男性に依存しているわけです。女性運動をするよりも、その女性がやりたいことをサクサクやっていけばいいだけですし、やりたいことへのハンディキャップがあったら、その点について改善を求めればいいだけ。まずは、自分がやりたいことを明確にすることが必要でしょ?自立の鍵は、自分自身にあることなんて、幼稚園児でもわかりますよ。
周囲の状況を見回しているだけの状態のどこが自立なんだか?
しかし、自分なりの目標を掲げてしまえば、自分なりに努力しなくてはならないし、付随する責任も発生する。
しかし、「アイツのせいで、上手く行かない・・・」と言っていればいい状態は、当人にしてもラクなもの。周囲に対してグチっていればいいだけ。
だからこそ、「上手く行かない」理由がほしいわけ。

そのようにダメダメ人間は犯人探しに明け暮れている。
ただ、その犯人認定する対象にもお約束があるわけ。
そもそも、被害者意識が強いダメダメ家庭では、子育てだって「親がこうむった被害」と捉えている。そんな家庭で育ったので、子供としては「親に迷惑を掛けられない。」と切羽詰った心情になってしまう。
そんな張り詰めた状態だからこそ、トラブルが多発し、子供としては、それを自分だけで解決しようとして、ますますトラブルが大きくなるばかり。

しかし、どんなにトラブルが大きくなっても、やっぱり親には頼れない。
ちょっとでも親を頼ろうとすると「いったい、誰のために日頃からワタシたちがこんなに苦労をしていると思っているんだ?」と、親からイヤミを言われるだけ。
そんなことだから、親の存在は、思考の対象外になってしまう。
ダメダメ家庭の人間にしてみれば、親なり実家というものは、その思考においてアンタッチャブルな存在といえるわけ。
何か犯人探しをするにせよ、親なり実家はまるで思考の範疇外となっている。

しかし、ダメダメ家庭出身の人間にしてみれば、まさに親の問題なり実家の問題が、一番のファクターでしょ?トラブルが起こったのなら、その本当の「犯人」はその人自身の親ですよ。しかし、肝心の親の問題はアンタッチャブル。
だから、現実的には何も改善せず、別のものにクレームをつけ続けることになってしまう。

ダメダメ家庭出身の人間は、
「何かを犯人認定したい!」
という切実な欲求と、
「親に迷惑を掛けてはいけない!」
という強迫的な心理の間で、葛藤することになる。

と言うことで、以前に、その一例として、「遠くから考える」というお題で配信いたしました。自分とは直接関係ない存在を、犯人認定するわけ。
いわば、一番重要な存在である親とか実家を、「すっ飛ばして」、遠くの存在を犯人認定するわけです。

そうすると、形の上では犯人認定できるし、親をすっとばして遠くの存在を犯人としたので、実家にも迷惑が掛からない。
このような犯人認定される「遠くの存在」となると、それこそ社会制度とか、時代とか、あるいは、別の国とか・・・そんなもの。
あるいは、そんなものが組み合わさって、立派な?陰謀史観に到達することもある。
「これは、ユダヤ人による悪辣な陰謀だ!」と勝手に納得することになる。

そんな陰謀史観までにはいかなくても、
「ああ!我々はアメリカによる被害者だ!」
「ああ!なんてヒドイ時代なんだ?!」
そうやってグチっていれば、親に迷惑は掛からないし、当人としても、心理的にラク。

そうやって、「それなりに」考えて、遠くのものを犯人認定するわけ。遠くのものなので、当人としては対処のしようがない。「ああ!オレって、なんてかわいそうなんだ?!」とグチっているだけ。

しかし、別のパターンもあります。
「親に迷惑をかけるな!」と言われ続けているので、そのような家庭の子供は、思考なり感情を抑圧するようになっている。どうせ、ヘタに希望を持っても、親から一刀両断されるだけで、その希望が成就するわけでもない。
だから何も考えないことで、その修羅場を乗り切るわけ。
まさにダンテが言う「この門より入るもの、希望を捨てよ!」の境地になってしまうことになる。

感情を抑圧し、思考を抑圧しているのはいいとして、そんな人でも、曲がりなりにも社会生活があったりするもの。
かと言って、そんな人はトラブルばかり。
日頃から心理的に切羽詰まっているんだし、会話の能力もないんだから、トラブルも起こりますよ。
トラブルが起こると、やっぱりやるのは犯人探し。
「いったい・・・誰のせいで・・・このオレは・・・うまく行かないんだ?」

この犯人探しの心理はダメダメに共通でも、それに強い抑圧状況が加わると、遠くのものを犯人認定することはできなくなるわけ。
だって、思考を抑圧しているので、遠くの存在なんて、そもそも認識することもできない。

「時代が悪い!」とか「アメリカが悪い!」とかで納得できれば、周囲としてもとりあえずは放っておいてもいい。しかし、思考を抑圧していると、「自分の目に見える」ものしか認識できないので、遠くの存在を犯人認定できなくなってしまう。
抽象的な概念を犯人認定できなければ、まさに目の前の具体的な事物を犯人認定するしかないじゃないの?

まあ、典型的に現れているのは、家庭内暴力ですよね?
当人の目の前にいる配偶者なり自分の子供を犯人認定して、報復する。報復することで、「自分はコイツらによる被害者なんだ!」と自分で確認することになる。

そもそも思考そのものを抑圧しているので、その思考だって、論理だったものではない。
とにもかくにも、自分の目の前に存在するものを、犯人と認定してしまう。
抑圧というものは、思考のアンタッチャブル領域と言えるわけですから、まさにアンタッチャブル領域が大きくなってしまうと、その思考の領域も、実に小さいものにならざるをえない。まるで、多くの針の穴を通すように、くねくねと考え、誰かを犯人認定してしまう。
思考そのものが抑圧されているので、そもそもその認定した犯人が本当に犯人なのか、自分自身にも自信がない。だから自分が認定した犯人が、発生したトラブルの加害者であると、確認する行為を行うことになる。
まあ、よくあるのは、嫌がらせですね。
嫌がらせをすることによって、つまり心理的には報復行為をすることによって、「自分は、○○による被害者なんだ!」と自分に確認させるわけ。

そんな姿を見せられた周囲は、「あの人がうまくいかないのは、○○さんとは全然関係ないのに・・・逆恨みしちゃって・・」となるものでしょ?

しかし、この手の逆恨み行為は、ダメダメ家庭の周囲では現実に発生するものなんですね。
実際に、この私は、ある人に対して『アナタは、その△△さんに犯人認定されちゃっているんですよ。』と解説したことがあります。すると、「あの人がトラブルを起こしているのは、ワタシとは全然関係ありませんよ。」と怒られちゃいました。怒られた私も苦笑い。

もちろん、その人のトラブルとは関係ないことくらいは私にはわかっていますよ。しかし、抑圧状況にある人間は、大きなアンタッチャブル領域を避けながら犯人認定を行うので、その犯人認定の思考も、合理的な推論にはならないわけです。目先に存在する目立つものを、「とりあえず」犯人認定してしまう。そして「とりあえず」犯人認定した人物を、犯人として確定させるために、それにフィットした情報だけを集めようとしたり、あるいは嫌がらせをして、自分自身の心理の中で確定したりするもの。

ダメダメ家庭の人間にしてみれば、犯人探しは、「自分の現状を打開するための問題点を明らかにする」ことではなくて、「自分自身がかわいそうな被害者である」ことを納得させるための儀式なんですね。自分が納得できればそれでいいわけですし、自分が納得しやすい存在でないとダメであるわけ。「それによって、どんな感じで改善していくのか?」なんてことは考えない。ただ、「アイツのせいで・・・」と他者を恨むだけ。だから恨みやすい対象であることが必要になってくる。

長い一般論でしたが・・・

昨年(07年)末の長崎県での発砲事件ですが・・・
昨年末より言及しておりますが、この事件が絵に描いたように典型的なダメダメ家庭の事件であることは皆さんも容易に理解なさったでしょう。このメールマガジンで勉強された?皆さんは、周囲の人に対して、あの犯人の心理を解説した人も・・・いたかも?

あの事件の犯人も、「自分がうまくいかないのは誰のせいなのか?」という犯人探しの心理を強く持っているわけ。かと言って、彼は心理的に強く抑圧されているので、犯人探しの思考そのものも十分にできない。犯人探しの「思考」そのものも長続きしないわけ。スグにアンタッチャブル領域に引っかかって止まってしまう。犯人探しの思考ができないのに、犯人探しをしたい・・・その上、親に迷惑を掛けてはいけない。

となると、目先に存在する友人くらいしか犯人認定できないでしょ?
その他で、考えられるのは、学校の教員くらいでしょうか?
どっちを犯人認定してもいいわけですが、あの発砲事件の犯人は、「犯人認定」の心理と、「アンタがうらやましい」という心理もあったわけでしょうね。
うまく行っている人間に対するルサンチマンの心理もあったわけ。

「アイツは上手く行っているのに、オレときたら・・・」そんな感情が、「アイツのせいで・・・このオレは・・・」という犯人認定の心理に転化するわけ。
まあ、発砲事件まではともかく、ご近所のトラブルメーカーさんの心理も、これに近い心理があったりします。

あるいは、先日書きましたが「関係チェック」によって、「頼りになる」人認定を受けてしまうと、その期待に応えないと、「裏切り者」認定に変貌する可能性もあるわけ。
あるいは「自分を好いてくれる」認定をした人が、邪険な態度をとったりしても、やっぱり「裏切り者」認定に変化してしまう。裏切り者、これすなわち、犯人でしょ?

そんな「犯人認定」の思考に対して、「合理的ではない」と指摘するのは論理的に可能ですが、そんな指摘は現実的には意味がない。だって、抑圧状況下においては、思考そのものも抑圧されているので、「合理的な思考」も「不合理な思考」も違いはないわけ。重要なことは、「いかに自分が納得できるのか?」その点のみ。逆に言うと、納得しにくいのなら、過大な嫌がらせをすることによって、「犯人確定」の儀式を挙行して、自分を納得させることになる。

あの長崎の事件だって、本来は実家の問題であることは誰だってわかること。しかし、その実家の問題がアンタッチャブルになっているので、犯人探しすら合理的にはできないわけです。

犯人探しをする人の心理は「どうして、このオレがこんな目に?!」なんですが、そんな人間にヘタに近寄っていくと、近寄って行った側の人が、
『どうして、このオレがこんな目に?!』という事態になってしまうもの。
あの事件でも、実際にそうだったでしょ?
私がよく書いていますが、「避けるしかない」んですね。

(終了)
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発信後記

今回のようなお題は、このメールマガジンで実に頻繁に書いています。
購読者さんの中には、「また、これかぁ・・・」と思った方もいらっしゃるのでは?

ただ、抑圧された人間の発想なり行動というものは、抑圧状況にない人間にとっては、実感として理解しにくいわけ。だからこそ、頻繁に書くことも意味があると思っております。

あの長崎の事件においても、犯人が精神的に抑圧されていることを無視して議論を進めても、何も知見は得られません。まあ、現実に長崎の警察から有効な知見が発表されてはいないでしょ?警察どころか、いわゆる、権威筋の方々からも、ロクな見解が出てきていませんよね?

抑圧状況を理解するには、これも頻繁に書いていますが、「何をしたのか?何を語ったのか?」から考えるのではなく、「何をしなかったのか?何を言わなかったのか?」その点から考えると、すんなり見えてくるものです。抑圧、これすなわち、言わないこと、しないこと・・・とも言えるでしょ?

まあ、どうせこのような事件は、また起こるでしょうから、その折は、皆さんも犯人の心理を考えて、文章にしてみてくださいな。と言うことで、投稿をお待ちしておりますよ。
R.10/12/8