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カテゴリー | ダメダメ家庭が持っている発想 | |
配信日 | 08年7月30日 (11年1月27日 記述を追加) | |
タイトル | 恵んでアゲル | |
ダメダメ家庭の人間は、序列意識が強い。 会話の能力がないので、コミュニケーションが命令と服従の関係しか存在しない。同格や対等の間柄で、「相手の話を真摯に聞き」「自分の考えを相手に分かりやすく伝え」、そして、相互理解を達成し、合意を積み重ねていく・・・そんな会話の発想を持っていない。だから、やり取りにおいては、「命令を与える側なのか?」「服従しなくてはいけない人なのか?」初対面で判断することになる。やり取りにおいては、お互いの序列を決定することが最初と作業となってくる。 そして、ダメダメ家庭の人間は、恩着せがましい。 被害者意識が強いので、何をするにも、自分の被害を考えてしまう。被害とまでいかなくても、「こんなことは、ワタシはしなくてもいいんだけど、アンタのためにわざわざやっているんだよ!」なんて持ち出しを意識することになる。 だからこそ、「○○してあげる。」なんて物言いが多くなる。 そんなに、自分が億劫と思っているのだったら、本来なら、しなければいい話ですよ。 しかし、逆に言うと、恩を着せて、自分が上の序列である状態にしたい。 ダメダメ家庭の序列意識や被害者意識・・・それが組み合わさると「○○してアゲル。」という言葉になるわけです。 今回は、その一環として「恵んでアゲル」という言葉を取り上げましょう。 その「恵んでアゲル」という言葉は、まさにボランティアの人たちの「オハコ」の言葉と言えます。 そもそも「恵む」という言葉だけでも恩着せがましいのに、さらに「アゲル」なんて言葉が組み合わさっているんだから、最強コンボですよ。 さすがに実際の言葉として「恵んでアゲル」なんて言葉を平気で使うような人は滅多にいないもの。しかし、言葉として実際に口にする以外に、発想としてそのような発想をする人は多くいるわけです。 そして、ダメダメ人間が持つそのような「恵んでアゲル」という発想をアタマに入れておくと、スッキリ理解できることも多いものなんですね。 たとえば、ちょっと前(08年)に神奈川県の綾瀬市で、知的障害者の方の施設を、その土地の大家さんの女性が放火して、施設にいた方々が焼け死ぬという事件がありました。 なんでもその女性は、海外ボランティアにも熱心だったそう。フィンランド系の日本の国会議員のボランティアのお手伝いをなさっていたようです。 そして、ご近所さんには自分で育てた野菜をおすそ分けしたりもしていたそう。 そして、その事件があった後での、周囲の人たちによるコメントが、まさにダメダメの領域でお約束のもの。 「あんないい人が、どうしてこんなことを?!」 その女性は、施設の人にイジメを受けているとこぼしていたり、 施設からの賃料が下がったと文句を言っていたりしていたそう。 ・・・とのことですが・・・ この女性の心理を理解するには、今回の「恵んでアゲル」という発想をアタマに入れておけば、簡単に理解できる話です。 その女性は、何事も「恵んでアゲル」の精神を持っていて、そのような状況を作りたがる人間だと理解できれば、すべて筋道が通ってくるでしょ? ご近所に、野菜を「恵んでアゲて」、 カンボジアの人々には、衣料を「恵んでアゲル」。 なんて立派なことをしているんだろう?! ああ!ワタシって、なんていい人なの?! しかし、そんな「いい人」だからこそ、殺人をするわけです。 そもそも「恵んでアゲル」の精神なんだから、その根底には被害者意識がある。 「このワタシが、わざわざ、こんなことまでやってアゲルわ!」 「だから、ワタシに感謝してね!」くらいならともかく、現実的には、「このワタシの『持ち出し』にも配慮してよね!」と思っている。 「持ち出し」って、結局は被害のことでしょ? そして、その「持ち出し」への配慮が不十分だと、自分の被害が認められないわけだから、被害者感情が刺激され、立腹することになる。 彼女が言う「施設の人からイジメを受けている。」・・・って、ちょっとヘンでしょ? 私は何も、差別的に申し上げるわけではありませんが、知的障害者の方はイジメはしません、と言うか、できないでしょ?イジメができるくらいなら、知的障害者とは言えませんよ。入所者の側ではなく、スタッフの人からイジメられていると考えていたら、逆に言うと、議論の場を持って、自分の考えを説明し、関係を解消すればいいだけですよ。 しかし、会話の能力がなく、説明能力がないダメダメ人間にしてみれば、そんなことはできない。 あるいは、彼女が語っていた「施設からの賃料が下げられた。」という不満はともかく、そんなにお金にシビアな状態だったら、海外ボランティアを止めるのが先でしょ? しかし、「恵んでアゲル」ことに執り憑かれしまうと、その状態から脱却できない。 施しをすることによって、 安直に、自分の役割ができて、 安直に、上の序列が得られるんだから、止められませんよ。 誰かに何かを恵むことによって、「人の役に立っている。」「人の上に立っている。」そんな自分の姿に酔いしれるばかり。 それに、恵むという手法によって支配関係を確定させることで、会話によって合意形成することから解放されるわけですからね。 相手に恵んでやらないと、自分は周囲の人から相手にされないと、ボランティアをやっている多くの人は深層心理的には思っている。 相手に弱みがないと、自分の相手をしてくれないと感じている。 他者からの感謝でしか、自分を語れない。 自分自身の言葉で自分自身を語れない。 恵んであげているという意識なので、相手を序列的に下に見ている。 逆に言うと、他者を自分より下に見たい。 「あ〜あ、せっかくオレたちが、助けてやっているのに、アイツらって、なんてダメなヤツなんだ!ああ!助けてあげたオレたちって、報われないよなぁ・・・」 そして、 「そんなことをやっているオレたちって、なんていい人なんだ?!」 そんな上からの物言いをしたがるもの。 いわば、恵んでアゲルことによって、グチですら、上からの物言いで語ることができる。 そして、根底に被害者意識があるものだから、都合が悪くなったらスグにトンズラしてしまう。 「まっ、どうせこんなことはしなくてもいいわけだし・・・」 「うまくいかないのは、アイツら自身のせいだ!」 「オレたちは、一生懸命にやっていた!」 「あ〜あ、ワタシの苦労を分かってほしいわ!」 ボランティアの人々って、現実にそんなものでしょ? なんでもその女性は、教会にもよく顔を出していたそうです。 その教会の人が事件後に、「こうなる前に、このワタシに相談してくれたら。」とおっしゃっていました。 そのコメント自体は、結構ですが、その教会の人も、こんなにお約束の満載の人の問題を「事件前に」察知できないくらいの愚鈍な人なんだから、そんな程度の洞察力の人に相談してもムダですよ。 ちなみに、その放火した施設には息子さんが働いていたそうですが・・・ 息子さんはともかく、ご主人はどうなっているのかな? 序列意識が強く、同格の間柄ではコミュニケーションが取れない女性なんだから、まあ、簡単に推論ができますが・・・ この女性のケースは、いささか極端なケースでしょう。 しかし、「恵んであげている」というスタンスを取ろうする人は、その「施し」というか「持ち出し」に対価がないと、被害者意識に浸ってしまう危険が付きまとっているもの。 「こんなに恵んであげているのにぃ・・・」 「あの人たちは、どうして分かってくれないの?!」 「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなのっ?!」 そして、相手にその不満をぶつけてしまう。被害者意識があるので、心理的には報復に近い。だから限度も何もない。 このメールマガジンではボランティアの連中のことを、ボロクソに書いたりしていますが、私の感情の問題ではなく、「恵んであげないと」当人自身の存在価値がなく、相手になってもらえない・・・そんな人たちからは距離を置いた方がいい、と言うプラグマティックな観点を申し上げているだけです。 今回、放火されてしまった施設の人も、ボランティアの連中には気をつけなくては・・・と、実感として分かったかも?まあ、本来は、火をつけられる前に、自分自身についてよく考えてみれば、分かることなんですが。 それこそ、購読者の皆さんは、以前にイラクで捕まったワカモノたちと一緒に何かしたいと思いますか? 自己責任という一般概念の問題はともかく、あんなワカモノたちと一緒に何かすると、トラブルになるのは明白でしょ? あんなワカモノに恵んでもらって喜んでいるイラクの人々の精神も、ちょっと問題でしょ? しかし、被害者意識が強いと、他者から恵んでもらうことで「自分がかわいそうな被害者」と確認できて、気分がいい。恵んでもらうことで、補償というか賠償を得た感覚になる。だから、被害者としての立ち位置に自信を持つことができる。 また、会話の能力がない人間としてみれば、誰かに恵んであげて、相手をしてもらって、結果的に構ってもらって気分がいい。 双方の利害が一致することになる。 まあ、双方ダメダメなら「ご勝手にどうぞ!」なんですが、お気楽にその手の善意を受けたりすると、「ワタシはこんなにも恵んでやっているのに・・・」という被害者意識を持たれてしまい、ヘタをすると犯人認定を食らってしまう・・・ それこそ、おすそ分けという名目などを持ち出し、何かとモノをくれたがる人は、まさに「恵んでアゲル」というスタンスへの執着があるわけです。 その時点で、警戒すればまだしも、何も警戒しなかったら、今回の事件のような事態が発生する危険があるわけです。 恵んでアゲルというのは、親切心というよりも、恵んでアゲないと、相手にしてもらえないという恐怖心なり、合意形成能力がないがゆえに、命令によって片が付く関係にしておかないと、何かあると対処できないという恐怖心とつながっているもの。そして、説明能力がなく、自己逃避なので、そんな自分の恐怖心を認識できないし、説明できない。だからこそ、ますます不満がたまってしまう。 そんな不満があるがゆえに、そして恐怖があるがゆえに、何かあると過激な行動になったりするわけです。そして、当人の心理としては、それは報復となっている。だから、その過激さも加減がないものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 このメールマガジンは、現在は「まぐまぐ」と「カプライト」と、「メルマガ天国」の3つの発行元から配信しておりますが、メルマガ天国は発行元自体が7月31日をもって終了となりますので、メルマガ天国からの配信は今回が最後です。メルマガ天国さんにはお世話になったことを、ここで感謝したいと思っております。 このメールマガジンの発行を開始した当時は、Nifty系列のMackyもあって、そこからも配信しておりました。発行元もだんだんと減って来ましたねぇ・・・ メールマガジンという媒体自体が、この時代から合わなくなってきているんでしょうね。 今だったら、やっぱりブログが主流なんでしょうが、私はブログにある文章で参考になるものって見たことがありません。 ブログって、書く方も、読む方もラクに接することができるのがメリットでしょうが、それがデメリットでもある。 しかし、ブログだと単純に感想を書いていけばいいだけですし、それを読んでやっぱり感想を持てばそれでオシマイで済んでしまうので、そんなお気軽なスタイルが今日的なんでしょうね。 しかし、カンタンに読めるのはいいとして、たまにはちょっと重いのも読んでみてはどうでしょうか? 何もネットにある文章ばかりではなく、従来からの書籍もあるわけですから、世の中にはいっぱい関連する本もありますからね。 ただ、ダメダメ家庭の分野の書籍だと、ことは単純ではない。家庭問題だと、そもそも書籍になる段階で、毒にも薬にもならない中身なり文章が選択されてしまう。権威筋ご用達の、ご正論だけの文章の書籍ばかりになってしまっている・・・現実はそうなっているでしょ? 私が、このメールマガジンで、文章などを取り上げることがありますが、家庭問題を論じた学術書というか指南書を取り上げるのではなく、家庭問題を取り扱った芸術作品を取り上げるのは、そんな理由もあるわけです。 指南書からは、何の指南も示唆も得られない・・・家庭問題は、そんな面もあるわけです。 現実を真摯に見つめるしかないわけ。 だから難しいんですね。 |
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R.11/1/27 |