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カテゴリー ダメダメ家庭の序列意識
配信日 05年8月22日 (10年11月24日 記述を追加)
タイトル 序列意識
ダメダメ家庭は、会話ができない。
このことは、このメールマガジンで何回も書いています。
相手の話を聞いて、自分の意向を相手にわかりやすく伝える・・・そんなことができないわけ。
会話により相互理解を達成し、それによって、合意を積み重ねて行きながら物事を進めるという発想自体が存在しないわけ。
やり取りと言っても、合意形成を基本としているのではなく、「命令と服従」の関係を基本としているわけです。

だからこそ、序列関係にこだわる必要がある。
やり取りにあたって、相手の「序列が上」とか「序列が下」だったら、話は簡単と言えます。
相手が自分より上の序列だったら、相手の話を、「黙って」「文句も言わずに」聞くだけでしょ?
相手が自分より下の序列だったら、相手に配慮もせずに、自分の言いたいことを、「言いっ放せば」いいだけでしょ?相互理解は必要ありませんよね?命令と服従だけでいいわけです。

会話ができない人間にしてみれば、対等の相手という存在が一番厄介な存在な存在と言えるわけです。だって、命令や服従ではなく、相手を説得し、合意をとるという会話の能力が要求されるわけですからね。
説得する技術なり、合意をとる会話の能力の問題だけでなく、そもそも「相手に対してわかってほしい自分自身の考え」そのものがないのがダメダメ人間。
相手に分かってほしいことそれ自体がないままで、やり取りをされても、その相手としては途方に暮れるだけですよ。
だから、対等の関係でのやり取りでは、相手から、つっこまれてしまうこともある。

だからダメダメ家庭の人間は、序列関係に拘るわけ。
「相手が自分より上か?下か?」「命令する側なのか?服従する必要があるのか?」そのような序列関係を、まず最初に確認しようとするわけです。
また、やり取りの最中でも、常に序列を意識することになるわけ。
「この面では、相手の方が上の立場だな?」とか・・・
「上か?」「下か?」といった感じで、常に序列を判断しながら生きているわけ。

それこそダメダメ家庭の精神が凝縮された国と言える韓国などは、その典型でしょ?
「どっちが歴史が古いか?」
「どっちが強いか?」
「どっちが本家なのか」
そんな感じで、常に序列が意識されていますよね?

序列を決めても、相手のことが、より理解できるわけでもないでしょ?
しかし、ダメダメ人間にとっては対等の相手というのが一番厄介であることを理解できれば、そのような韓国人の心情も理解できるわけ。序列が決まらないと心理的な不安に陥ってしまうわけです。
実際に、韓国の歴史教科書においては、序列の確定を倫理的なこととしております。
それこそ、男尊女卑も、倫理的なことをされているわけ。
男女の間に序列を設けることは、韓国人にしてみれば、倫理的なんですね。
だって、会話から解放され、命令と服従だけでやり取りが済むようになるでしょ?
それだけ人の立場というか役割が明確になるんだから、それを倫理と言ってしまう人も存在するでしょう。

あるいは、日本の中のダメダメのメッカといえる大阪も典型ですよね?
東京のモノを見て、
「フンっ!大阪の○○の方が勝っているぞ!」
そんな物言いは、大阪人では、おなじみのものでしょ?

東京と大阪で「どっちが勝っているか?」なんて、どうでもいいじゃないの?
どうしてそんなに順番をつけなきゃならないの?
人間は人それぞれなんですからね。

しかし、会話ができないダメダメ人間は、対等という状態に耐えられない。
だから序列を持ち込まざるを得ないわけです。
逆に言うと、スグに序列を持ち込もうとする人は、対等という状態がキライであることがわかります。
そんな人は、相手の話を聞き、相手に対して自分の意向をわかりやすく伝えるという会話の能力や意欲が欠如しているわけ。
そんな人に近づいて行ってもロクなことはないんですね。だってそんな人は「コイツは自分より上か?下か?」そんなことしか考えないわけですからね。楽しい会話や、その結果としての相互理解なんて絶対にありませんよ。

対等という状態に耐えられない、序列意識の強い人間であるので、下の序列の人間には容赦がない。
まさに「オレの言うことを文句も言わずに聞け!」と、そんな調子。
そんな人が家庭内でどんな感じで自分の子供とコミュニケートしているのか?
そんな家庭がどんな雰囲気なのか?それについては、あまりにわかりやすいことでしょ?

序列意識が家庭内の雰囲気となってしまっていると、このような序列意識は物言いに現れるものです。
逆に言うと、ちょっとした物言いを見るだけで、その家庭の雰囲気が分かったりするもの。

序列関係を基本に人間と見る人間は、その物言いが「上からの物言い」になったりするわけです。まさに、「自分はオマエよりも上の序列なんだ!」とその物言いのスタイルで主張するわけ。
そんな物言いが習慣化しているので、「上からの物言い」が、対等の関係の相手に対しても出てきてしまう。
そんな上からの物言いをされた相手側は、怒る人もいますし、呆れるパターンもありますし、そして、この私のように、「この人の家庭環境は・・・きっと・・・」と、検討材料にするような人もいる。
もちろん、そのような「上からの物言い」に対して指摘したり、注意するような親切な人のパターンもあります。

しかし、その物言いを指摘されてしまうと、「こうなってしまったのは、親のせいだ!」と被害者意識がでてくることになる。
ちょっとした注意に、いささか逆ギレに近い反応が返ってきてしまったので、『アンタ・・・アンタの子供と、どうやってやり取りしているの?そんな物言いをしているの?それって、ちょっとマズイんじゃないの?』などとさらに指摘したら、さらに逆ギレすることになる。
「子供にはワタシが必要だわ!」と、顔を真っ赤にして主張する。
逆に言うと、そんな上からの物言いをする人間の相手をしてくれるのは、自分の子供だけというのが実際のところなんですね。

そんな物言いばかりの雰囲気で育った子供がどうなってしまうの?
あるいは、その子供が、学校内で、そんな序列に基づいた言動をすればどうなってしまうの?
その子供が成長して、また、親譲りの序列意識に基づいて、自分の子供とやり取りしていき、序列意識が連鎖していくことになる。
あるいは、ボランティアなどをして、「恵んでアゲル」と上からの物言いをするようになる。

逆に言うと、序列意識が強い人の親の物言いは、上からの物言いとなっているケースが多かったりするもの。序列で人を見る発想は、対等の関係において、相手から合意をとるという発想そのものがないということ。
だから、スグに命令と服従の関係に持ち込もうとするわけ。
「アナタに教えてあげるわ!」「アナタたちにこれを恵んであげるわ!」などと上からの親切をアピールする人は、実際に、ちょっとのことで逆上するものでしょ?
序列意識は、会話の不全なり、被害者意識と直結しているものなんですね。

(終了)
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発信後記

この序列意識と、善意が結びついたりすると、以前に取り上げました「ボランティア関係者」が誕生するわけです。
ボランティアといっても、公園でゴミ拾いをするようなものはともかく、「人助け」のようなマターとなると、そんなことをしている人には注意が必要なんですね。

人助けなんて、相手から「助けて!」と言われたらすればいいこと。わざわざ出向いていってまで助けたいと思うということは、往々にしてこの序列意識が根底にあったりするものなんですね。
備考 この文章を作成している段階では、「序列の上下」と「格の違い」については、厳密に定義しておりませんでした。
序列の問題と、格の違いについて、より詳細に考えた文章をご参照いただければ幸いです。
08年10月31日配信文章「格に対するセンシビリティ」
R.10/11/24