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カテゴリー ダメダメ土曜講座(事件・トラブル編)
配信日 09年4月25日
タイトル 清水由貴子さんの自殺事件
先日の4月20日に、元芸能人の清水由貴子さんという方が自殺されたとのこと。
49歳で、独身で、障害があるご母堂の介護をなさっておられたようです。
8歳年下の妹さんと3人家族だったとか。
ちなみに、彼女は芸能人時代は、萩本欽一さんのグループに属していたんだとか。
私個人は、その清水さんと言われてもピンと来ない。

このメールマガジンでは、たまに芸能人の問題を取り上げることもあります。
何もゴシップ的な関心というよりも、ダメダメ家庭出身者に最も適した職業が芸能界であって、逆に言えば、その分野での騒動は、ダメダメ家庭の問題とつながっていることが多い・・・そんな観点から取り上げております。

今回の清水さんの「自殺」ですが、何も芸能人に限るというものではないにせよ、このメールマガジンで取り上げているダメダメ家庭の諸相が発現していたりするもの。
今回は3人家族のようですが、「老いたる親を一人で介護」の果てに殺害・・・という事例は、ポピュラーでしょ?

49歳の清水さんですが、その年齢だと、一般的には結婚して、子供もいる年齢。
それに、妹さんが同居ということですから、妹さんも独身なんでしょうね。
これは、いわゆる介護の問題の観点からだけでは、理解できないでしょ?
介護疲れは確かにあるでしょうが、それ以外の観点から考えてみることも必要なんですね。

たとえば、その介護ですが、そのまま介護を続けて、5年後に、ご母堂がお亡くなりになったとしましょう。そうなると、明るい未来が待っているの?
現実的に見て、そうはならないでしょ?
ご母堂がお亡くなりになって、介護の必要がなくなった状態で、新しい未来が開けていくというものではないでしょ?

たとえば結婚して夫も子供でもいて、子供の成長が楽しみ・・・そんな状態だったら、5年間辛抱すれば・・・と我慢することもできるでしょう。しかし、彼女の場合はそうはいかないでしょ?
結局は、「希望」を捨てないとやっていけない状態でしょ?
希望を捨てているんだから、自殺もしますよ。
逆説的になりますが、希望を捨てないと、生きていけないわけですし、希望を捨ててしまうから、生きていけないわけです。

自殺というものは、過去なり現在の問題というよりも、未来の問題なんですね。
人というものは、介護「疲れ」では死なないものですよ。
自分に介護以外の未来が見えないからこそ、死んでしまうわけ。

じゃあ、その自分の未来について、誰かに「相談」できるでしょうか?
その清水さんは、芸能界においては、萩本欽一さんのグループだったそうですが、じゃあ、かつての親分の萩本さんに相談できるの?もし、皆さんが、深刻な悩みを抱えていたら、萩本さんのような人に相談しますか?

萩本さんは、例の北京オリンピックでの聖火ランナーなどをやって、「ボクっていい人でしょ?」と、雰囲気を作っているでしょ?
沿道の人とハイタッチしたかったとかの、歯の浮くようなセリフをのたまいましたよね?
そんな「いい人」に対して、現実的でシリアスな問題を相談しても、権威筋認定の正論を言われてオシマイですよ。それこそ「人は生きているだけで、すばらしい存在なんだ!」なんて、歯の浮くセリフでお説教されるだけ。
しかし、そんな現実無視の正論で事態が解決するわけがないし、当人が納得できるわけもない。
それが何となく見えるから、相談できないわけ。
最初から結論が見えているような相談」は、本当に困っている人は、避けるものですよ。
それにダメダメ家庭の人間は、「相談の仕方がわからない」。
そもそも子供時代に親に相談した経験がないので、それこそ仕事上のボスにも、どうやって相談していいのかわからない。

明るい将来が見えるわけではないし、そのことについて相談もできない。
単なる介護の問題というよりも、そんな状況だったら誰だってイヤになっちゃいますよ。
今回の事案だって、介護疲れという過去の問題よりも、将来へ希望を持てないことと、現在の時点において、相談相手がいないこと・・・そのような現在と将来のファクターの方が大きいんですね。

そう言えば、その清水さんは、東京では葬儀をしないように言い残していたとか・・・
清水さんにとって、東京は故郷の地。どうして、産まれ育った場所で、そして仕事場である東京を避けるの?
しかし、故郷を嫌うのは、ダメダメ家庭の人間にはありがちなこと。
それを自分で認めれば、まだ対処の方法があったでしょうが、なんでも彼女は「いい人」だったとか。
以前に「いい人」キャラの芸能人として、拒食症でお亡くなりになった「カレン・カーペンターさん」を取り上げております。
カレンさんの友人は、彼女が「いい人」の呪縛の中で心を病んで行ったのを見て、「彼女も、お酒でも飲んで乱痴気騒ぎを起こして、警察沙汰にでもなるようなバカができれば、死なないで済んだのに・・・」と残念がったとか。

「いい人」だからこそ、困難な現状を打破できない。それは、この家庭問題に限らず、真理でしょ?ダメダメ家庭の人間がマスターしなくてはならないのは、「迷惑を掛けない」方法ではなく、「上手な迷惑の掛け方」なんですね。

(終了)
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発信後記

ちなみに、カレン・カーペンターさんの友人がいう「お酒でも飲んで乱痴気騒ぎを起こして、警察沙汰にでもなるようなバカ」をやった人ですが・・・
まあ、そんな人自身の問題というよりも、そんな人を政府の政策に巻き込んではダメでしょう。芸術家というか芸人は、そもそもそんなリスクがある存在。もともとカタギじゃない人。別の言い方をすると、もともとバカをやることが織り込み済みの存在。

音楽関係で警察沙汰というと、あの有名なバッハも刑務所に入れられたことがあります。これは職場放棄。あとヴァイオリニストで作曲家のパガニーニという人も、事件に巻き込まれて刑務所に入ったことがあったはず。あと、貴族にして作曲家のカルロ・ジェズアルドは自分の妻を殺しています。

芸術家というか芸人というものは、その作品や成果を、離れた場所から上手に使うもの。それこそ上記の前科者の皆さんですが、作品は残っていて、人類の財産となっている。
芸人がバカをやったくらいで、組織がメチャクチャになってしまうなんて、それは危機管理の問題ですよ。

今回の騒動のオバカさんですが、その人自身の危機管理の上では、結構なこと。
このような発散をしないと、逆に言うと、内に向かってドッカーンになりやすいわけ。
「いい人」というものは、それだけ自分を解放していないわけだから、その発散が自分自身に向いてしまう危険性と隣り合わせになっているわけです。

バカをしでかしてしまう「脆さ」や「危うさ」こそ、その芸能人の輝きに直結しているもの。光が濃ければ影が濃いもの。輝きがまばゆいほど、苦悩は深かったりするもの・・・でしょ?
R.10/12/21