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カテゴリー 信頼と好意の諸相
配信日 07年2月13日  (10年9月10日 記述を追加)
タイトル 好意不感症
ダメダメ家庭では、親は子供のことなど関心がない。
それこそ、「子供なんて、『ふ・つ・う』に育てばいいや!」
「ワタシに迷惑をかけなければ、それでいい!」
そんな感じ。
これって、何も、ご近所にいる他人の子供についての話ではありませんよ。自分の子供について、このように思っているわけ。ダメダメな親にしてみれば、『自分は子育てと言う面倒を背負い込まされた、かわいそうな被害者。』という認識なんですからね。

そんな親は、子供の将来なり、現在の困りごとを、親としてサポートする意識などこれっぽちもないわけ。だから、そんな家庭の子供としては自分だけで物事を解決する必要がある。
だから、そんな環境の中の子供は、自分の意向が実現できない現実の世界より、妄想の世界に生きるようになってしまい「恋に恋して暴走」なんて事態になってしまうわけ。

このような妄想への親和性が高くなると、ちょっと人から親切にされただけで、「あの人・・・きっとワタシのことを好きなんだ!」なんて勝手に認定して、「あの人には、このワタシが必要なのよ!」なんて思い込み、それこそストーキングするようになってしまう。

ちょっと親切にされると、そのように勝手に好意認定する事例については、以前にこのメールマガジンで配信しております。ダメダメ家庭の周囲では結構ポピュラーな事例なんですね。

勝手に好意認定・・・のケースもあるわけですが、逆のケースもあります。
人からの好意に異常に鈍感というケースです。
人からの好意がまったく認識できないし、理解できない・・・そんなパターン。

そもそもダメダメ家庭では、親が子供の面倒を見るなんて、考えていない。このことについては、いつも書いていますし、今回も最初に書きました。
つまり・・・親は自分の子供に好意を持っていないわけ。
子供にとって、「好意」とか「愛情」においてもっとも身近な存在といえる自分の親から、「好意」とか「愛情」を受けられない。
そんな状態から、どうやって「自然な好意」とか「愛情」を理解できるようになるの?

ダメダメ家庭では、親からの好意がないというだけではありません。ダメダメな親は被害者意識が強くスグに逆上したりする・・・そんな環境の中では、子供としては「自分で自分を抑圧する」ようになってしまうわけ。自分なりの希望や感情を持っていても、親からスグに否定されてしまう。スグに否定されることが習慣化しているので、もう、生き生きとした感情そのものを持たなくなってしまうわけ。自分自身で自分の感情に抑圧を課すような子供が、「人の気持ちがわからない」人間になるのは当然でしょ?

だからそんな人は、周囲の人から親切にされると、いびつに捉えてしまうようになるわけ。「あの人・・・きっと、ワタシに恋しているんだ!」とか・・・逆に、ただ単に「ふーん・・・」と感謝もない状態。
親切にされて「ありがとう!アナタは親切な人ねぇ・・・」なんてことで済むようなケースでも、不自然に捉えてしまうわけ。

もちろん、世の中には、何事も鈍感という人もいますよね?
しかし、ダメダメ家庭の好意不感症は、人からの好意に対しては実に鈍感であっても、その他の面では結構鋭敏だったりするものなんですね。
文学なりその他の芸術に対して、的確な視点を持っていても、いざ「自分が好かれる」ということがサッパリ理解できないわけ。だって、そんなことは自分の育った家庭では「なかった」ことなんだから、理解しようもない。

まあ、何事も鈍感というのなら、話は簡単で、周囲の人間もそんな人を理解しやすい。「アイツは鈍い人だなぁ・・・」でオシマイ。
しかし、「人からの好意」だけが鈍感な人については、周囲も理解できにくい。しかし、まあ、意外にも容姿端麗だったり、別の面で妄想系だったりとかの、あるいは、その人の名前とか、ちょっとしたマナーとかの、その他の要素を考えていけば、ダメダメ家庭出身の「好意不感症」のケースか、単なる鈍感なのかがわかるものなんですね。

まあ、そんな好意不感症は、本人にはどうしようもない。
重要なことはそれを自覚するしかないわけ。
人からの好意なんて、本を読んで「学ぶ」ものではないでしょ?
だから、後になって習得しようがないわけ。だから、その欠落については、覚悟を決めるしかないわけです。

自覚しないでそのまま行ってしまうと、結婚の際にはどうなるのでしょうか?
だって、人からの自然な好意が理解できないわけでしょ?どうやって相手を選ぶの?

いわばフィーリングで感じ取れる好意が理解できないので、ある種のマニュアル的に表現される「形式的に整った好意」に飛びつくようになってしまうわけ。
誰にでもわかる、分かりやすい好意。マニュアルどおりの行動と言葉で示される好意。
そんなスタイルでないと理解できない。

それに、好意に不感症ということは、「キライ」という感情にも不感症ということ。そもそも出身家庭では、そんな状態が「自然」だったわけですから、「キライ」という状態を不自然とは感じられない。
「あの人からは、どうも嫌われているなぁ・・・」と思ったら、一般的にはその人を避けるようにしますよね?しかし、そんなことも感知できないんだから、自分を嫌っている人にも、平気で近寄って行ってしまう。そして、ますます嫌われることになる。

相手から嫌われているという、相手の感情は理解できなくても、相手から避けられているという自分の被害については理解できるのがダメダメ人間。だから、その事態を解消しようと、それこそストーキングなどの面倒なことをやってしまう。
そうして、「どうして、わかってくれないの?!」とか、「どうして、こんなことに?!ああ!ワタシって、何てかわいそうなの!!」と、親譲りのおなじみの嘆き節。

そんな嘆きを上げていると、得体の知れない宗教団体や、マニュアルどおりの善意を売り物にするボランティアの連中が寄ってきて、まさにお約束の甘い言葉が登場することになる。
「まあ、なんてお気の毒な!アナタは全然悪くはないのよ!」
そうやって、「かわいそうなワタシ!」という認識がより深まってしまって、「自分は被害者の側だから・・・」と、事態を主体的に解決する発想がなくなってしまい、事態の認識からより遠くなってしまう。

他者が自分に好意を持っている・・・そのことを自然に感知する。
そんなことは意識して習得できるものではありませんよ。家庭の中で、それこそ自然に身に付けるようになるものでしょ?しかし、ダメダメな実家ではそんなことは身に付かない。
だから、その点を意識して、自分自身が「好意不感症」であることを意識するようにするしかないわけです。

しかし、認識なり思考を抑圧しているので、逆に言うと、誰でもわかるような明確な形に惹かれてしまう。
いかがわしい宗教団体などの「甘ったるい」言葉に惹かれてしまうわけ。
そうして、見事にカモにされることになる。
あるいは、結婚生活という形を求めて、「な〜んとなく」の流れで結婚し、「な〜んとなく」で妊娠し、子供を作ってしまう。
そうして、「ふつうの形」を作ろうとするわけ。
しかし、人の気持ちがわからない好意不感症の親に育てられる子供がマトモに育つわけがないでしょ?

結果的にトラブルが多発し、それを解決することもできず、結局は、トラブルを見ないという対処となるばかり。
ということで、ますます、認識を抑圧し、思考を抑圧し、生き生きとした感情を抑圧することになる。

好意を理解できない人間が唯一相手になってくれるのが、その人の子供だけ。
しかし、好意も、嫌悪も認識できないままの人間が子育てをすれば、その子供から蛇蝎のごとく嫌われることになることは、本来は小学生でもわかること。
しかし、子供から嫌われても、「嫌われている」という認識自体ができないし、多少はできても、その認識を抑圧してしまい、やっぱり何も対処しない。
だから、スパイラル的に悪化してしまう。

そんな事例は、ダメダメ家庭の領域では、ポピュラーなものでしょ?

(終了)
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発信後記

自然から遠いのがダメダメの自然。
自然にわかるものは、ダメダメ家庭においては自然にはわからない。

分からないこと自体が、周囲の人も、ダメダメ家庭の人の双方とも、自然にはわからない。

まあ、いつもながらの逆説的な言い回しですが・・・そんなものでしょ?
R.10/9/10