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カテゴリー | ダメダメ家庭と学校の目次に戻る |
配信日 | 04年1月21日 (10年1月25日,11年1月11日 記述を追加) |
タイトル | 「命の大切さ」を教える学校 |
児童が自殺したり、殺人事件を起こしたりすると、その学校の校長がテレビに登場して、「これから我々も『命の大切さ』を子供たちに教えていかないといけない。」とかコメントしていますよね?あるいは、イジメ事件が発覚した後でも、そんな校長さんのコメントがあったりしますよね? まあ、「お約束」って、ヤツでしょうか? しかし、逆に考えると、校長が「命の大切さを教える。」とコメントする学校において、このような自殺や凶悪な少年犯罪が起こっているとも言えるわけです。 論理的にはどちらとも判断できないでしょ? 私はここで論理の問題を考えるつもりはありませんヨ。 ここで皆様に疑問を提示したいのは、 「その『命の大切さ』って、どうやって教えるのでしょうか?」 そんな点です。私にはさっぱりわかりませんヨ。 皆さんだったら、子供にどう教えますか? 問題集で勉強させるのでしょうか? 以下の問いに答えよ。正しいのはどちらか?マルをつけよ。 ( )命は大切である。 ( )命は大切でない。 殺人事件を犯した少年も、自殺した子供も上記の問題に対しては『正解』が答えられますよね? 参考書を使って勉強するの? 「基礎から学ぶラクラク『命の大切さ』10日間特製コース!」 「誰でもわかる『命の大切さ』総合講座」 そんな参考書があるの? あるいは、「さあ!みんな!今からノートに『命は大切だ!』って、10回書きましょう!!」 そんなスタイルで『教育』するんでしょうか? あるいは、子供から疑問があがったとしたら? 「先生!命って、どうして大切なんですか?」 もし、子供がそのように尋ねて来たらどう回答するの? 『ばっかやろ〜!命は大切なんだよ!そう覚えとけ!ゴタゴタぬかすヤツはぶっ殺すぞ!』 まあ、一般的な学校の教員だったら、そのように回答しますよね? まあ、少しはマトモな教員がいるとしたら、 『あなたのご家族のこととかを考えてごらん?君たちが死んだら周囲の人は悲しむでしょ?だから命は大切なんだよ!』 と言ったりするかもしれません。 しかし、ちゃんとした家庭の子供だったらいざしらず、ダメダメ家庭だったらねぇ・・・ 家庭のことを考えるとますます自殺したり、事件を起こしたくなるでしょ? そもそも、マトモ家庭の子供は「命の大切さ」なんて、わざわざ学校で教える必要なんてありませんよ。 だって、「子供を大切にしている親がいる。」んですからね。 命の大切さという抽象的な一般論を使うまでもなく、自分自身が親から大切にされているわけです。 だから、問題となるのはダメダメ家庭の子供なんですね。 ダメダメ家庭では子供を大切にしているわけではないので、「命は大切だ!」と言うことを、学校という場で『学問的』なり『学術的』に学ぶことになる。まさに、子供がテストにおいて正解を出せるように習得することになる。 しかし、子供としては、学問的に学んでいるだけで、一般論的な知識として習得されているだけなんですね。 問題集には正解を出せても、実際の生活では実感していない状態となっている。 そもそもダメダメ家庭では、親は「あ〜あ、生きていても何もいいことはない!」「人生は辛いことばかりだ!」「あ〜あ、子供なんて作るんじゃなかった!」「もう、こんな日々はイヤだ!早くお迎えが来ないかなぁ・・・」なんて子供の前でグチっている。 『アナタのご両親のことを思い出してごらん。』という学校側からのアドヴァイスを受けても、ダメダメ家庭の子供は「生きていても何もいいことはない。」「子供なんて生むんじゃなかった!」そんな親のグチを思い出すだけ。そんな状態なのに、どうやって『命は大切だ!』なんて実感として得ることができるの? あるいは、子供が知っている人がお亡くなりになった後で、自分の親が表情一つ変えなかったり、あるいはうれしそうにしていることもある。そんな親の表情を見続けていたら、「人が死んだら悲しい。」なんて実感は起きようがないでしょ? そんな家庭の子供としては、自分が死んでも、親はヘラヘラと笑っているだけだろうなぁ・・・と、思っているのは当然でしょ? あるいは、誰かがお亡くなりになって、嘆いたり、同情するにせよ、「あ〜あ、あの親御さんもお気の毒に!今までかかった養育費がムダになってしまったわ!ああ!もったいない!」とか、「あんな自殺事件を起こしたら、親の体面が丸つぶれだ!格好が悪い!」そんな感想を子供の前でするだけ。 費用だったり、体面の方ばかりを心配している家庭環境なのに、どうやったら「命の大切さ」なんて実感できるの? 結局は、ダメダメ家庭の子供としては、結局は、学校向けの学問的な正解と、ダメダメ家庭の現実を踏まえた実感のダブルバインドになるだけ。 そして、そのひずみが限界点を超えて、実際の事件になってしまう。 そんな事件の後になって、校長さんが「我々は命の大切さをいつも子供たちに教えていた。」「これからは更に教えていく必要がある。」というコメントになるだけ。そのコメントどおりに、事件後の学校では、「命の大切さ」という権威筋認定の教義を、更に強圧的に子供に対して叩き込むことになる。 そんな問答無用の日々では、子供だって、ますます命の大切さなんて感じられないでしょ? その学校が、本当に子供の命を大切に思っているのなら、子供からの相談なり問いかけに対して、真摯に対応するのが重要じゃないの? 子供が困っているのを見殺しにしたり、あるいは、「子供のことを愛さない親はいない!」という理屈で、すべてのトラブルの原因を子供に押し付けて、学校側は安全圏からご高説。 児童虐待の通報もしない学校が、どうして「命の大切さ」を教えることができるの? やることと言ったら、教科書の記述を問答無用に連呼するだけでしょ? それに、わざわざ学校において「命の大切さ」を教える必要があるということは、家庭では「習得」することができないということになるでしょ?そんなことは、子供でもわかる論理ですよ。つまり、学校で「命の大切さ」を教えるということの最大の意味は、その家庭では教えることができないという現実と向き合うことでしょ? だったら、そんな家庭環境から子供を引き離すことが一番必要なことじゃないの? しかし、事件を起こすような学校の教員はそんな当然の思考もできない程度なんですね。 逆に言うと、そんな程度の知能だからこそ、ダメダメ家庭の親もそんな学校に自分の子供を放り込んで、「命の大切さを学校で勉強して来い!」と命令するばかり。 「命の大切さを教える。」とコメントする校長の姿ですが、世間的には立派に見えるのでしょうが、実際には子供のことを何も考えていないわけです。 だから、そのような学校はダメダメな学校なんですね。だから現実として事件が起きてしまう。 家庭においても学校においても、ダメダメの要因の一つとして、コミュニケーション能力の不足の面もあるでしょ?口に出して「言う」だけで物事が解決すると、単純に考えていることが問題なんですね。それだけ、相手の意向なり疑問を受け入れる発想を持っていないわけです。 学校だって「命の大切さ」を考えるには、それこそ動物でも飼った方が実際的でしょ?ただダメダメな学校は、授業で教育すればことが足りると思っている。 そんなダメダメな学校に子供を通わせる親もやっぱりダメダメなんですね。 だからこそ、ダメダメ家庭とダメダメ学校が連携し、スパイラル的にダメダメが進行し、そのひずみが子供に集約し、実際の事件となってしまうわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 まあ、ちゃんとした学校でないとちゃんとした教育はできませんよね? そして、そんなダメダメ学校は、ちょっとしたことでスグに見分けがつくものなんですよ。 |
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R.11/1/11 |