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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 07年1月9日 (10年6月30日 記述を追加)
タイトル 夢の他者依存
タイトルに「夢」・・・なんて言葉が出てくると・・・
「ああ!あの事件ねっ?」・・・そして「やっぱり!」「取り上げると思った・・・」と思われるでしょ?
あの事件は(歯科医の子供の3人兄弟の2人目が3人目を殺害した事件)・・・まさに購読者さんがちょっとコメントなさっておられたように、典型的な事件で・・・
まあ、このメールマガジンを購読されておられる方々だったら、事件の当事者の心理については、おおよそは見当がつくでしょ?
・・・というか、典型的とわかるのだから、その当事者の心理を文章にまとめて投稿してくれればいいのに・・・
コッチは、身体がダウンしているんだからさぁ・・・頼むよぉ!

と、思って投稿が来ないかなぁ・・・と待っていたのですが、どうやら来そうにないので、結局は私が書くことにいたしました。
今後も、残念ながらこの手の典型的な事件は起きるでしょうから、その時には投稿をお待ちしております。「今現在、文章をまとめているから、ちょっと待って!」という連絡だけでもいいですよ。

私は、何もこの手の事件が起きた時に、「またまた起こった!」と狂喜しているわけではありませんよ。正直言って、やりきれない。だって防ぐことはできた事件ですからね。
それに典型的な事件であるがゆえに、書いていてもいささかマンネリ化してきてしまっている。書く側も、もう切り口がなくなってきている状態。
と言うことで、この事件を取り上げないことも考えたんですが、まあ、購読者さんの期待もあるでしょうし、それに、事件で亡くなられた女性のためにも、あるいは、事件の犯人になってしまった青年のためにも、あるいは、今後同じような事件が出来る限り少なくなるようにするためにも、この事件を取り上げることにいたしました。

今回、ちょっと目立ったのは、「アンタは夢がない!」なんて弾劾の言葉です。
殺害された妹さんが、殺害した兄に対して言ったそう。

ここでの「夢」は、もちろんのこと、寝ている時に見る「夢」ではありませんよね?
ここでの「夢」は、別の言葉にすると「希望」に近いもの。

ダメダメ家庭においては、その「希望」を持つことが難しい・・・そのことは以前に書いて配信しております。
そもそも「アンタ!希望を持ちなさい!」なんて言われても、「ハイ!分かりました!希望を持ちます!」なんて、やり取りをするものなの?
希望なんて、「持て!」と命令されたから、持つものなの?
「オマエには希望がない!希望を持つまでこの牢屋から出してやらないぞ!」なんて牢屋に閉じ込めると、希望が出てくるの?

そんなわけないでしょ?

「オマエのやりたいことは何だい?やりたいことがあるなら、オレはそれを精一杯応援するぞ!」そのように言われる方が希望を持ちやすいでしょ?
「あれをやってはダメだ!」「これはオマエには向かないよ!」「ちょっとは親の立場を考えろよ!」
そんな感じで言われ続けたら、どうやって希望を持つの?
そのような抑圧的なダメダメ家庭においては、希望なんて持ちようがないんですね。
まさに、「この家庭に入るもの、希望を捨てよ!」なんてことになるわけ。

自分では希望を持ちようがないので、どうしても、自分の希望を他者に依存するようになってしまうわけ。
以前に取り上げたフランスのジャン・ジャック・ベネックス監督の「ベティ・ブルー」という映画において、ベティという女性が「ワタシにアンタを尊敬させてよ!」なんて一緒に暮らしている男性に詰め寄って言うセリフがありました。
「ワタシにアンタを尊敬させてよ!」も何も、自分で努力して、「自分で自分を誉める」ようにすればいいわけですが、当事者意識のないダメダメ人間は、そんなことはしない。希望を持って生きている人間にすがり付いて、その希望を自分の希望として取り込むことを考えるわけ。だから、「連れ合い」が、希望を持っていないと困ってしまう。

同じようなことは以前にテレビで見たことがあります。「日本の男性には夢がない!」と文句を言っている日本の独身女性たちが紹介されていました。ということで、その女性たちは外国人男性を紹介する結婚紹介会社に登録しているんだとか・・・
結婚紹介会社に登録している外国人男性が「夢を持っている」と、どうして考えることができるのか?私にはその点はサッパリわかりません。しかし、「夢」にこだわるのなら、他人に頼るのではなく自分で持てばいいじゃないの?それこそヒマラヤ登山でも、世界一周でも・・・

自分で夢を追い求めていけば、それこそ「夢」を持って生きている男性とめぐり合うこともできるんじゃないの?少なくとも結婚紹介所で夢を探すより可能性は高いでしょ?自分の夢を追い求め、その「ついで」に夢を持っている男性とめぐり合う・・・そんな流れを基本とすれば、たとえめぐり合わなくても、自分の夢の実現のためにがんばるんだから、「いいこと」でしょ?どうしてそうしないの?人に期待するよりも、自分自身の楽しみを求めていけばいいだけ。

そうなんですね!
「アンタは夢がない!」と他者を弾劾する人自身が、往々にして夢を持っていないものなんですね。
しかし、今回の事件で殺害された女性は、女優になる「夢」を持っていたとか・・・
しかし、その女性には、その「夢」に自信があったの?
その自信というのは、実現され、達成される「自信」ではありません。それが本当に、自分が心の底から望んでいることなのか?本当に自分の夢なのか?そのことについての自信がないわけ。
自分自身から逃避するために、自分をごまかすために、とりあえずの「夢」を掲げた・・・その可能性だってあるわけでしょ?

「自分は絶対に女優になりたいんだ!」
「そのためには、なんだってする!」
それくらいの覚悟を持っている「夢」だったの?

そんな覚悟のある「夢」だったら、兄弟がどうなっているのかなんて関係ありませんよ。そんなこと考えているヒマがないもん。
それこそ、厄介な実家を飛び出して、バイトしながらでも、一人でがんばればいいじゃないの?

自分の「夢」が、本当に自分の望んでいるものなのか?そのことについての自信がないので、当然のこととして覚悟もない。だって所詮は自分からの逃避なんですからね。本気でその夢を追い求めているのなら、それこそ実家を出て退路を絶ちますよ。ルビコンを渡る覚悟があるからこその夢と言えるんじゃないの?この女性は、まさに逃げ道を残して、「自称」の夢を追っているわけでしょ?これでは実現されるわけがないじゃないの?結局は、上手く行かないので、そんな人間がやるのは「犯人探し」。「アイツのせいで、ワタシは上手く行かない!」なんて、誰かを犯人認定して、その犯人を恨むことで自分を納得させるわけ。

そして、今回の事件では、自分と同じように「夢を持っていない」人間を犯人認定したわけ。それが、まさに自分の兄。まさに「近親憎悪」状態。この近親憎悪については、いずれ配信する予定です。文章は上がっているんですが、色々と事件が起こっているので、後回しになって配信できない状態。まあ、この事件における近親は、血のつながり以上に、「希望が持てない精神状態」の近親性があるんですね。だからこそ、相手を見たくない。自分そのもののネガティヴな面を見せ付けられているようで、不快になってしまう。

しかし、そのような、妹さんの精神状態は、まったく、兄と同じ。まさに近親そのもの。だって同じダメダメ家庭の一員なんですからね。そして犯人認定をする心理も当然のこととして同じ。「どっちが犯人なのか?」なんてモメだしたら、結局は「力による解決」になると相場は決まっていますよ。

本来なら、自分たちを抑圧した親の問題を考えればいいわけですが、それが難しいことはこのメールマガジンで何回も書いています。
そもそもダメダメな親は被害者意識が強いので、「子育てによる迷惑」を常日頃から子供に対して語っているもの。そんな家庭に育った子供も、無意識的に「親に迷惑を掛けない」ことを前提に考え、行動するわけ。親の問題はアンタッチャブルになってしまう。結局は、「親への憎しみ」は、親の代替人物に投影されることになる。それが本当の憎しみではなく、親への憎しみの代替であるがゆえに、「コイツのせいなんだ!コイツのせいなんだ!」と、自分自身に納得させるために、必要以上に残虐な方法を取るわけ。

親への憎しみが、兄弟への憎しみへと転化される実例は、大相撲の「若貴兄弟」の確執の際に典型的に見られましたね?今の貴乃花さんは、本当は自分の親に対して不満がある。しかし、それを自分で認めたくないものだから、自分の兄がターゲットになってしまうわけ。

希望を、夢を持てないなら、それはそれでしょうがない。
しかし、それって、兄妹のせいではなく、親のせいでしょ?そのこととしっかり向き合っていかないと、前には進めないわけですし、本当の夢や希望なんて持ちえませんよ。
当事者意識がなく、被害者意識だけがあるダメダメ家庭の人間は、夢が持てない自分自身と向き合うことをせず、別の人間が持っている「夢」に依存することで、今の情況を脱却しよう・・・なんて考えたりするものなんですね。


ちなみに、今回の事件ですが、「夢の他者依存」以外に、ダメダメ家庭に典型的な事例を見てみましょう。

1. 表現への志向・・・抑圧的なダメダメ家庭で育った子供は「自分は認められていない。」と思っているので、表現に関わる道に進んで、自己表現しようとします。それこそ芸術家とか、芸能人とかになろうとするわけ。逆に言うと、それだけ「自分が認められていない」と不満を持っていることがわかるわけ。それだけ「子供の話を聞かない親」なんですね。女優になりたいという「夢」も、それなりには、その欲求に根ざしたものではあるわけです。

2. 兄弟仲が悪い・・・抑圧的なダメダメ家庭では、子供たちは、親からの抑圧を子供の誰が引き受けるのか?その点で争いになる。だから兄弟仲が悪くなる。兄弟ケンカと言っても、オカズの取り合いという陽性の争いではなく、ババの押し付け合いという陰性の争いなんですね。その争いに負ければ、親からの抑圧を一手に引き受けるハメになる。だから、親からの犯人認定を、他の兄弟に誘導する・・・そのようなことをしたりするわけ。これでは兄弟仲良くなんていきませんよ。

3. 問題を認識しない・・・3年間も子供同士が会話がなくても、ダメダメな親は平気。だってダメダメな人間は「自分が一番かわいそうな人間」だと思っているので、他者の困りごとなんて関心がないんですね。言い争い状態になってしまったら、起こったトラブル題について、それなりに認識しても、口もきかない状態だったら、逆に言うと、ケンカではないことになるでしょ?
ダメダメな親は、そんな没交渉状態を「ふつう」と言って肯定するだけ。

4. 男尊女卑・・・お金のある家庭なのに、殺された女の子は、どうして短大生なの?歯学部に行くわけではないんですから、お金さえあれば、4年制の大学に入学できるでしょ?あるいは、留学とかもできますよね?ダメダメな環境においては、往々にして男尊女卑が見られます。殺された女性も、そんな面での抑圧を強く感じていたわけ・・・だからこそ、女優になって自己表現なんて考えるんでしょうね。それにそんな抑圧があるからこそ、なおのこと希望を持つことが難しいわけでしょ?

5. キツイ物言い・・・抑圧的な家庭であり、その子供は親譲りの強い被害者意識があるので、一種の逆上状態でのやり取りになりがち。だから、人を責める時の口調もどうしてもキツイものになる。まさに「アンタのせいで!アンタのせいで!」そんな心理が存在するわけ。しかし、そんな物言いだからこそ、相手の怒りを買ってしまう。
それに、キツイ物言いは、まさに親譲りの技術があり、慣れている。だから、何も意識しないと、キツイ物言いになってしまうわけ。

さて、「アンタには夢がない!」なんて兄を弾劾した妹さんですが・・・
もし、殺されずに、そのまま結婚し、母親になってしまったらどうなってしまったでしょうか?

もう、火を見るより明らかでしょ?
そうなんですね!
子供に自分の夢を託すようになるわけ。

しかし、その母親も、自分の親がそうであったように、「あれをしてはダメ!」とか「こうしなさい!」とか抑圧的。そうして、自分の思い通りに育てようとするわけ。
しかし、そんな環境だったら、子供だって夢なんて持ちようがないでしょ?
挙句の果てには、
「ウチの子供は夢がなくて・・・」なんて周囲にグチることになる。

そんな母親って、結構ポピュラーな存在でしょ?
というか、あの兄妹の親も、そんな感じなのでは?

自分自身に夢を持っていない人ほど、子供を持って、その子供に自分の夢を託すことを考える。
しかし、そんな親なんだから、その子供としては、「夢を持つ」ことの「雛形」を見ることができないわけ。

子供にしても、仕事にしても、自分の生きる張り合いとして、わざわざ作るものではないでしょ?
もともと、生きる張り合いと無縁だった人が、マトモに仕事できるの?

わざわざ、自分の張り合いのためにするということは、逆に言うと、もともと持っていないということ。
逆に言うと、仕事から張り合いとか生きがいを得ようと焦ってしまう。

仕事くらいならともかく、子供だともっと厄介となる。
たとえば、以前に取り上げておりますが「子供を持って初めて愛と言うものを知ったわ」という言葉があります。
その言葉は一見は格好がいい。
まるで、子供を愛してやまない親の姿に見えたりする。

そんな言葉にすがる人間は、自分の子供を、自分の生きる張り合いとしてわざわざ作ることになり、その子供は、そんな親に生きる張り合いを与えるために、生きることになる。
本来は、子供を持つ以前の段階で、「自分は生きる張り合いを持っていない。」ことを自覚する必要があるでしょ?
そして、「自分の子供に対して、親として何を与えられるのか?」自分で考える必要があるでしょ?
その上で、子供を作るなら、ありでしょう。

ダメダメ人間の周囲は、同類のダメダメばかり
だから、子供を持って生きる張り合いを作るという主張が、何の疑問もなく受け入れられることになる。
そんな状態なので、子供としては親に生きる張り合いを与えるために必死にならざるを得ない。子供は親に愛を教えるために、疲れ果ててしまう。
親は子供に要求するばかりで、自分自身の問題から逃避したまま。
逆に言うと、子供によって、ますます自己逃避ができる。
精神的に追い詰められた子供は、結局は問題を起こして、ダメダメな親は「あれだけ期待していたのに・・・ああ!裏切られたわ!」と嘆くだけ。

本来は、愛情の結果として、仕事なり子供があるわけでしょ?
しかし、自己逃避のダメダメ人間は、生きる張り合いを、意識的に求めてしまう。
だから、わざわざ作ることになる。
自分以外の存在に求めるわけだから、まさに自己逃避が達成できる。

マトモな人間なら、生きがいとか生きる張り合いとかの明確な目的意識を持って子供を作ったりはしませんよ。
別の言い方をすると、別の生きがいをもった上で、子供を作るわけでしょ?
しかし、ダメダメ人間は、子供しかないわけ。
しかし、それ以前に張り合いがない状態だったら、実際に子供を持ったら修羅場になることは、まさに子供でも予想できること。

本来は、まだ見ぬ子供に生きがいを託すよりも、自分なりに努力すればいいだけ。
それこそ資格を取ってみるとか・・・
しかし、自己逃避のダメダメ人間は、いきなり別の存在に、自分の生きがいを依存することになる。

自分の子供に夢を託し、自分の価値を依存するケース以外にも、ちょっと離れた人を対象にするケースもあります。
このサイトで頻繁に言及しております、ボランティアの人たち。
ボランティアの人たちは、当人自身の希望なんて、何も語れないでしょ?
だからこそ、自分の価値が発揮される、そのような現状を、本気には改善するつもりがないわけ。事態が改善されたら、自分はいらない存在になってしまいますよ。
ボランティアの活動によって、逆に言うと、ボランティアが必要とされる状況そのものは温存されるのが現実でしょ?

夢を他者に依存しているのは、ちょっと見には、愛情のように見えたりすることもありますが、結局は自己逃避であって、張り合いのネタというよりも、逃避のネタであり、依存の対象を探しているだけなんですね。

(終了)
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発信後記

人間離れした、鬼のような洞察力でメールマガジンの文章を書いている私ですが・・・というか、自分で言ってはダメですよね?
鬼のような洞察力があるからといって、鬼のような形相で、目を血走らせて、
「悪い子は、いねぇかぁ〜」
「悪い親は、いねぇかぁ〜」
と歩き回っているわけではありませんヨ。

購読者さんからのお便りで、何となくそんな感じで捉えていらっしゃる方もいたりして、サスガのこの私も苦笑い。
というか、このメールマガジンの文章は、この手の文章の中では例外的までにギャグが多い方だと思うけどなぁ・・・

私個人は、むしろ歩いていると人から道を訊ねられたりする方です。どうしてかな?と人に聞いたら「オマエは、聞きやすそうな顔をしている」んだそう。
そんな人間なのに、ナマハゲの変種扱いされてしまって・・・・トホホ。

訊ねられれば、道くらいは、案内しますが、割と困るのが旅行者からの質問。
住人と旅行者では、見ているものが違うので、聞かれても意外に知らなかったりするんですね。

たとえば、東京の新宿で、「時計台はどう行くの?」などと外国の方から聞かれたことがありますが、「時計台って・・・私は知りません。」と回答するしかありませんでした。その外国の人は「だって・・・ガイドマップに載っているし・・・」とかおっしゃっていましたが、現地の住人はガイドマップなんて見ないからなぁ・・・
後日、聞かれた場所の周辺で、たまたま、それらしい時計台を見かけました。「ああ!あのことだったんだなぁ・・・」と思った次第。
言われてみれば、実際に自分も見ていた・・・しかし、言われるまでは気が付かない。
そんなことってよくあるでしょ?

このメールマガジンで、たびたびフランスの哲学者のミシェル・フーコーの「見えているものを、見えるようにする。」という言葉を引用しておりますが、往々にして、実際に見ていても、「心の目」では見ていなかったりするもの。

心の目で見てみると、意外なほどに分かりやすい。
そのような「心の目」で見てみることによって、様々な事件についても、理解できるようになる・・・それが洞察力というものでしょ?
R.10/6/30