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カテゴリー ダメダメ土曜講座(人物編)
配信日 09年10月24日
タイトル 現在の岡田外務大臣
先週の土曜日には、「東アジア統一歴史教科書構想」についての文章を配信いたしました。
あるいは、今週の月曜日には、「埋没恐怖」というタイトルの文章を配信しております。
その文章では、兄弟の中で、埋没気味になる人が出て来ることもある・・・そんなことについて書いています。
家庭内で、埋没気味になってしまった子供は、自分の存在をアピールする必要がある。だから、ウケを狙った行動をしたり、「ボクっていい子なんだよ!」と周囲にアピールするようになる。

以前にも書いたと思いますが、表現の世界では、モンタージュという技法があります。
直接的には関係がない複数の表現を組み合わせることで、別の意図を表現する技法です。

メールマガジンの文章を制作する際には、複数の文章を同時並行して進めたりするもの。だから自然に上記の2つの文章がアタマの中でモンタージュされることになり、今まで気が付かなかったことも見えてくる。
2つの文章を同時に手掛けていると、「岡田さんは、もしかすると、3人兄弟の中間の子供なのでは?」そんな思いを持ちました。

岡田さんには兄がいて、そのお兄さんは、流通グループの経営をなさっておられるのは有名なこと。しかし、外務大臣の岡田さんの言動からは、その下に弟あたりがいそうな雰囲気なんですね。

ということで、調べてみたら、やっぱり弟さんがいらっしゃるそう。新聞記者をなさっているそうです。
外務大臣の岡田さんは、この私の予想したとおりに、3人兄弟の真ん中でした。

しかし、まあ、次男の岡田さんは、学歴や職歴から見てみると、学力的には、兄弟の3人の中で一番優秀なのでは?
しかし、優秀というのは、2面性がある。多くの可能性があるという観点もありますし、「手がかからない」という面もある。
「手がかからない」って、まさに「埋没」そのもの。
つまり、優秀であるがゆえに、家族の中で埋没する危険性を感じていた子供・・・それが岡田さんの子供時代なのでは?

だからこそ、「ボクはいい子なんだよ!」「ボクのことをちゃんと見ててよ!」と必死で主張しなくてはならない。

外務大臣の岡田さんは、過度に「いい人」志向があって、それについては、彼が以前に語ったという「皆で幸せになろう!」なる歯の浮くような美辞麗句を取り上げたこともあります。
「皆で幸せになろう。」という言葉は、「ボクのことを忘れないで!」という言葉に極めて近いことは誰にでもわかること。まさに「埋没者」を出さないように・・・そんな発想でしょ?

過度の「いい人志向」は、別の言い方をすると、「正義感の強さ」。
それは一見はいいことなんですが、それは汚れとの付き合い方がわからない心理とも言える。別の言い方をすると「純粋な人」。
それは母性が心理的に不在の人間がよく陥る状態と言えます。
汚れとの付き合い方がわからないがゆえに、原理主義的で、「教条的」になってしまう。

どうも岡田さんからは、父親の影も、母親の影も見えてこないんですね。
だからこそ、いわば家庭の代替物を求めてしまう。
彼が掲げる東アジア共同体構想なんて、そんな見方で考えてみると、意外なほどに、わかりやすいでしょ?
岡田さんは、中国に対してシンパシーを持っているようですが、そんな心理は、父親的なものを求める心理と繋がっているのでは?

家庭があって、お父さん役が中国。そしてその中で、隔絶して優秀だけど、だからこそ、その集団の中で扱いが微妙な日本という国。
いやぁ・・・彼にとっては、ツボですよ。

その手の「いい人」志向の人は、語られた被害に食いつきがよく、その被害へ対処することで、「ボクって、いい子なんだよ!」と主張したがるもの。
特に自分の父親の世代が関係した加害や被害に対して食いつきがいい。それは、自分の父親には反発を持ちながら、父親的なもの、つまり父性には憧れるというアンビバレントな心理に繋がっているわけです。

人々が主張する被害に対して食いつきがいいのは、政治家としていいことなんでしょうが、ことは単純にはいかない。
被害を語ると対処してもらえるという成功体験ができてしまうと、成功体験を得た人は、その後も被害ばかりを語るようになってしまう。
いわば「グチに甘い環境」になってしまうわけです。

そんな被害話ばかりの状況になると、子育てについても、親である自分が被った被害だと親の側が認識してしまう。
何をするにも、被害をベースにした説明になってしまうわけです。
国による教育費の補助の問題も、「ワタシはこんなに弱者で、虐げられているんだから、お金を頂戴よ!」という被害に対する補償というスタイルが跋扈し、「子供をこのような人間にしたいので、この点をサポートしてほしい。」という当事者意識を持った依頼のスタイルが霧散してしまう。

いわば社会として「被害者教育」をしている状態。
そんな状況が進行してしまったら、どうなるのか?
結局は、被害を語ることができない「子供がしわ寄せ」を受けるだけ。

語られた被害に対しての食いつきは、語られない、語ることができない被害を無視するに繋がってしまうもの。
「いい人」というのは、「都合の悪いものは見たくない。」という心理になってしまい、結局のところは、現実逃避に繋がっていく。それがお約束というもの。

岡田さんが直面した、優秀であるがゆえの孤立と埋没なんて、当然のこととして、一般の人には理解できないこと。
しかし、芸術作品を当たると、その手の事例は、多くあります。
たとえば、そんな状況を描いているのが、ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」という作品です。
「スター・ウォーズ」におけるアナキン・スカイウォーカーは、その卓越した能力ゆえに、周囲からの理解が得られずに孤立していったわけ。

そんな人間を丸め込むことなんて、中国の指導者層の人間だったら、無理なくできるでしょう。
岡田さんが喜びそうな、成果を作ってやることなんて朝飯前ですよ。中国直接だけでなく、北朝鮮経由の「おみやげ」も用意できますからね。そしてそんな成果を中国からもらったら、岡田さんは「やっぱり中国は、スゴイ!」「ボクのことをわかってくれているんだ!」「ボクは一生、あの人たちについて行くぞ!」と狂喜乱舞となっちゃいますよ。
しかし、その喜びは、まさにアナキン・スカイウォーカーが、ダースベイダーに転落するきっかけそのもの。

以前にゲーテの「冬のハルツの旅」を取り上げた際にも書きましたが、「誰かボクの苦しみを分かってくれる人はいないかなぁ・・・」と周囲を見回すだけの人は、結局は、同志は見つけられない。
自分自身と対話する人だけが、それを見つけることができる。

まさに、神は 人それぞれに ゆく道を定め給うた・・・わけです。

(終了)
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発信後記

今週は、いわば「位置づけ」に関する文章を集中的に配信いたしました。家族の中の位置づけとか、多くの作品の中での位置づけなどです。
今回の文章では、政治家を取り上げましたが、政治信条の問題をここで考えているわけではありません。
このメールマガジンでは、ダメダメ家庭の問題を考えるにあたって、自民党より民主党の方々で例示することが多くありますが、それは、ダメダメとは方向性の問題であって、能力の多寡の問題ではないという考えから来ています。だからこそ、能力が高いのに、「あらぬ方向」に向かっている事例に注目するわけです。
もともと能力が低い人は、どんな方向を向いているのか?も何もないでしょ?

ちなみに、今回取り上げた岡田さんですが・・・
中国方面から「おみやげ」が出てきたら、中国政府とこの私は、岡田さんに関しては同じ見解を持っているといえます。ただ、そうなってしまうと、まさに映画「スター・ウォーズ」じゃないけど、シャレにならない事態。

ちなみに、昨日は「作品の推薦」についての文章を配信いたしましたが、能力の高いものが陥る孤立という観点から、「スター・ウォーズ」を見てみてはどうでしょうか?
「スター・ウォーズ」の中のジェダイの騎士におけるアナキンの位置づけの微妙さ・・・それは能力が高いが故のもの。能力が高い人が周囲に歩み寄ろうとすると、自分の先見性や能力を裏切ることになってしまう。別の言い方をすると、周囲の人に自分を理解してもらい、受け入れてもらうために、自分を偽る必要があるという状況になってしまう。それは本質的に矛盾でしょ?能力の高さ故の孤立は、それゆえに、悲痛なものとなり、だからこそ「自分を理解してくれる人」を、強く求めてしまうことになる。しかし、それはまさに破滅への第一歩になるわけ。まずは自分自身で自分を理解する必要があるわけ。

・・・って・・・相変わらず、文芸的だねぇ・・・
R.10/12/28