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カテゴリー ダメダメ家庭の親のキャラクター
配信日 03年10月22日 (10年7月20日 記述を追加)
タイトル 人にアドヴァイスしたがる
外から見てもスグわかるような典型的なダメダメ家庭もあります。しかし、外からは全く問題ない・・・それどころか、理想的な家庭に見えても、実際にはダメダメ家庭である、といった例もあるものです。

実際の例を取り上げて見ましょう。本当の例です。
「子育ての権威」と呼ばれる方がいます。首都圏にお住まいで、子育てに関する本を何冊も書いています。
その方は女性で、現在は夫はお亡くなりになっています。息子さんがいらっしゃいますが、その息子さんは独立して、もう何年も電話1本寄こさないそうです。

「子育ての権威」が作り上げた、絵に描いたような立派な家庭
しかし、実際のところはダメダメ家庭なんですね。
だって、その家庭から巣立った子供が電話1本寄こさないわけですので・・・
その人が「いかに自分の出身家庭を嫌っているか?」簡単にわかりますよね?

このような場合、その「子育ての権威さん」はダメダメな子供を持った被害者とみなされ、周囲からは同情されます。また、電話1本寄こさない息子は周囲から「親不孝者」として糾弾されますよね?

しかし、実際はどうなんでしょうか?

そもそもそのお子さんが家庭にいた時に、どうしてそんなに「絵に描いたような見事な家庭」が築けたんでしょうか?
そんなことって、実際にありえるの?

そのお子さんが独立した後に、電話1本寄こさないことを、周囲にグチるのはいいとして、では、今現在、その子育ての権威さんの側からは、その息子さんに対して、電話でも、手紙でも出しているのでしょうか?

実は、「絵に描いたような立派な家庭」などというものは、単に幻想なんですね。
子供としては、どんなに困っていても、それを親の前に持ち込まず、自分独りで解決してきた・・・だから、親にとっては、何も問題のない理想的な家庭に見えるわけです。しかし、子供は、自分を必死に抑えて、「理想家庭の一員」を演じているだけなんですね。だからこそ、独立したその息子さんは、親と音信不通になってしまうわけです。

ちゃんと機能している家庭というものは、「問題のない家庭」ではなくて、「問題が何であるか?分かっている家庭」なんです。
その「子育ての権威さん」の著作で子育てを勉強された方も大勢いらっしゃるでしょうが、理想論は誰でも言えることなんですね。

子育てで価値があるのは、実際の自分の子供を幸せにすることであって、子育ての本を書くことではないでしょ?

ということで、「外面のいい」ダメダメ家庭の特色として、他人の家庭問題についてアドヴァイスしたがるということがあります。
意外に多くいらっしゃいますよ。
まあ、本を書いてまでアドヴァイスするには根性が要りますが・・・

「子供がこのような時には、こうすればいいのよ!」
と言った感じで、よく言う人いますよね?

何故に、このようなアドヴァイスをするのでしょうか?

まずは、勿論のこと、親切心です。
自分自身の家庭が完全無欠であると思っているので、「おすそ分け」と言ったところですね。

次には、他人の家庭問題に関与することによって、自分自身の家庭の問題を考えなくて済むわけです。一種の逃避ですね。

あとは、高度なグチです。
「私はこのように困ったので、あなたはこうしたらいい。」というスタイルで自分が困っていることを言ったりするわけですね。
いきなり自分が困っていることを言ったりすると、安っぽくなってしまう。それに対し「自分が困っていたが、このように解決した。」という形で困りごとを並べると、体裁がいいわけです。まあ、このようなグチの人もたまにはいますよね。
バルザックの小説「谷間のゆり」で描かれた女性アンリエットがこの典型と言えるでしょう。

あとは、一種の序列確認です。
アドヴァイスすることで「私はあなたより、ものが分かっている。」という確認をさせることができるでしょ?「私はエライのよ!」と言ったところです。

まあ、高度なグチの場合はともかく、その他の場合は問題ですよね?
自分自身の家庭が完全無欠であるなんて思っていれば、これ以上の改善なんてできないし、する必要がない。それに、子供は完全無欠を演じないといけない・・・これでは、ストレスも溜まりますよ。

また他人の問題に首を突っ込むことによって、自分自身の問題から逃げている場合も、いいわけがありませんよね?
他人の問題だったら、いざとなったらトンズラすればいい。だから真剣に向き合う必要がない。そんな逃げ口を残した姿勢が習慣的になってしまうので、目の前の問題に当事者意識を持って対処することができなくなってしまう。
常に傍観者的なスタンスとなるわけ。
傍観者だからこそ、つまり、「高みの見物」状態だからこそ、ますますアドヴァイスに精を出すことになる。
しかし、傍観者的なスタンスからのアドヴァイスなんて、聞かされても、役にはたちませんよ。
そんな傍観者然とした雰囲気が習慣化してしまうので、周囲の人から相手にされなくなってしまう。

だからこそ、自分の序列を上げるために、アドヴァイスという方法をますます利用するようになる。
アドヴァイスすることで、自分の偉さを語るわけ。「ワタシは、こんなアドヴァイスができるくらいの人間よ! → ワタシはえらいんだから → ワタシの相手をしなさい! 」というロジックになるわけ。

しかし、周囲に対する「私はエライのよ!」という暗黙の主張は後々効いてきます。
親切にアドヴァイスするといった形のような穏やかな形であっても、自分の方が上なんて常々主張していたら、自分自身が困っていても、周囲にアドヴァイスを求められないでしょうし、周囲もそんな人に対して問題点を言いにくいでしょ?

実はこの手のアドヴァイス大好き人間は、意外にいたりするものです。

大体のところは、夫は大企業に勤めているか、公務員。
あるいは家柄がよかったりする。
あるいは自分自身は宗教活動ボランティア活動や学校の役員をやっている。
周囲からは、立派な父と、立派な母と、優等生の子供・・・本当に「絵に描いたような素晴らしい家庭」に見えるわけです。

勿論、宗教活動等が悪いわけではありませんが、自分自身の子供が、今現在何を考えているのかについて考えていない人が多いんですね。常に神様の方を考えてしまって・・・
権威ある考えを学ぶことに徹していて、子供の話は聞かないわけ。
ボランティアも同じ危険があります。市民運動とか政治活動も・・・

まあ、夫もそれなりのキャリアで、妻もそれを自慢したりするんです。
前述の「子育ての権威さん」もそうだったそうです。
夫を自慢することが好きだったそうです。

夫の学歴などをよく自慢していたそうな・・・
しかし、結婚して10年以上の夫婦で、夫の学歴を人に語らなければならないのも異常でしょ?
普通だったら、夫婦での温泉旅行の話でもするんじゃないの?

では、夫にとってこの手の人は、楽しい妻なんでしょうか?
妻から自慢してもらって・・・
実は意外に、そうではないんですね。
実は、夫を自慢するこの手の妻は、夫と同居していないことも多いんです。
周囲にアドヴァイスを撒き散らすこの手の女性は、同居していない夫を自慢するんですね。

夫にとっては、「完全無欠の家庭」を演じないといけないわけですので、疲れるわけです。
子供も疲れて、夫も疲れてしまう。しかし妻はその見せ掛けの完全無欠に満足して、周囲に対してアドヴァイスする。

私はそのような実例を沢山知っていますよ。

ただ、このようなアドヴァイス型のダメダメ家庭での夫は、頭がいい人が多いので、単身赴任という形で、その家庭から逃げてしまうわけです。
そして年に数回、自宅に出勤?して、完全無欠の夫を演技する。

妻の方は、夫が語る「会社の事情」という説明で、長期の単身赴任も納得してしまっている。もう何年もそのような単身赴任が続いても、不思議に思わないんですね。

このような家庭では、子供もストレスから登校拒否になったりする例が多くあります。
だって、家庭内の演技に疲れ果ててしまうわけですので・・・
そんな局面になっても、夫は単身赴任を止めないんですね。
本来は子供の教育の関係からの単身赴任でしょ?
それでも妻は疑問を持ったりしない。

勿論のこと、妻の側だけが悪いわけではありません。夫の方も結局は逃げているわけです。本来は夫もちゃんと家庭に向き合って、解決策を一緒に考えないといけないはずでしょうに・・・
どうしてもダメなら、正式に離婚するとか・・・

今回の文章で、このような内容にしたのは、先日の山口県での双子のお子さんを殺した母親がまさに典型だからですね。
・・・状況だけ見るとですが・・・

あの母親が他人にアドヴァイスしていたかは別として、「私はアナタたちより上よ!」という発想があると、他人に対してアドヴァイスを求めることができないでしょ?

少年の一般的な反抗期なら、もう長男の時で体験しているでしょ?
2回目なんだから、もうわかっているはずですよね?
だからそれが本来の理由ではないわけです。

大体において、理想家庭の子供を演じていたら、子供だって疲れますよ。
そりゃ、人よりも、もっと「反抗」しますよ。

「何故に、あんなことを・・・」
などとテレビではコメントしているようですが、よくある話なんですね。

色々とアドヴァイスしてくれる「立派な人」・・・
他人に対して話をする前に、家族内でちゃんと話をしていれば問題なんでしょうが・・・

ただ、このような「絵に描いたような立派な家庭」は、周囲に立派に見える分だけ、問題が潜在化してしまうんですね。子供だって、困ったことがあっても、親に言えないだけでなく、周囲にも相談できないわけです。だって、周囲の反応は分かりきっていますもの。

「あんな立派な親なのに、アンタは一体、何をやっているの!」
「親に相談すればいいじゃない!!」

こう言われることが分かりきっている分だけ、この手の家庭は「行くところまで行っちゃう」傾向があるんです。

多分、似たような事件は今後も起こって来るでしょうね・・・

今回のお題であるアドヴァイスというと、率先してアドヴァイスをするような今回の文章のパターンと、質問を受けたからその回答としてアドヴァイスをするパターンでは大きく違っているわけ。その点をゴッチャにしてしまうと、アドヴァイスの周囲で起こるダメダメの問題は見えてこないもの。

ダメダメ人間は、自分から率先してアドヴァイスをしようとする。
自分がアドヴァイスができるシチュエーションを積極的に探そうとするわけ。
それこそインターネットの掲示板や相談サイトまで出かけていって、上からの立場でアドヴァイスをする。あるいは、その手のサイバー上の空間ばかりではなく、現実空間においても、ボランティアなどに属して、上の立場からアドヴァイスする。
その手の状況だったら、都合が悪くなるとトンズラできるでしょ?
あるいは「アドヴァイスしてアゲル。」という気分でいられる。つまり自分の「持ち出し」を、感じられるわけ。持ち出しは、いわば被害の一種。
そんな感覚は、被害者意識に満ちたダメダメ家庭の人間にしてみれば、まさになじみのもの。

被害者意識はあっても、当事者意識はないのがダメダメ家庭。
そもそも、自分が直面しているトラブルを、自分の力で解決する意欲があるのなら、そんな掲示板とか相談サイトなどは、多少は参考にしても、重要視しませんよ。
あるいは、自分の問題に真摯に向き合っていれば、ボランティアなどに無理に参加していませんよ。
そんなところに質問を投げかけている時点で、当事者意識がないわけですし、そんな質問に回答していている時点で、やっぱり当事者意識がないわけ。

そんなアドヴァイスを仕掛けている時点で、事態を解決するのではなく、うまく行かない時のための言い訳だったり、自分にとって、もっと重要な問題から目を背けるためだったりするもの。

ターゲットを絞った形で質問なり相談を受けたら、真摯に回答すればいいだけ。
ターゲットを絞れないという時点で、質問する側にも当事者意識がないわけです。
そんな質問に食いつく時点で、そして、そんな質問を探し回っている時点で、当事者意識がないことが見えてくるものなんですね。アドヴァイスする対象を探し回っている人に限って、しっかりとしたスタイルの相談を持ちかけられると、型どおりのことしか言えなかったり、ヘタをすれば逆上したりするものでしょ?

(終了)
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発信後記
前回のお題で不快に思われた方も多いでしょうが・・・
まあ、子供の前では言わない方がいい言葉ってありますよね?
R.10/7/20