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カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 04年8月2日 (10年5月11日 記述追加)
タイトル 愛は霧のかなたに(原題 霧の中のゴリラ)(88年作品)
監督 マイケル・アプテッド
主演 シガニー・ウィーバー
このメールマガジンでは、総集編のような文章として、様々な作品の中で描かれたダメダメ家庭の具体的な例を取り上げています。
例えば映画だったら、ヴィデオやDVDを借りてみてみることもできますしね。
ダメダメ家庭そのものを体験するのは、お勧めできませんし、やらない方がいいですし・・・
映画を見て、外の地点から考えてみるのがベターというもの。

今回の文章で取り上げる映画は、88年のアメリカ映画である「愛は霧のかなたに」。
原題を直訳すると「霧の中のゴリラ」。
アフリカでマウンテンゴリラの保護に生涯をささげた女性学者ダイアン・フォッシーさんの半生を描いている作品です。

「えっ?」と思われるでしょう?
この映画はあの有名な女優シガニー・ウィーバーが主演していていますので、実際にご覧になられた方もいらっしゃると思います。ダメダメ家庭といっても、アフリカで単身で活動している女性学者についての映画です。
「ダメダメ家庭どころか、家庭そのものが出て来ないんじゃないの?」
「もしかすると、ゴリラのダメダメ家庭なの?」
そのように怪訝に思われるのは当然です。

しかし、映画を実際にご覧になられればスグにわかると思いますが、ダメダメ家庭そのものは出てきませんが、このダイアン・フォッシーという女性ですが、ダメダメ家庭出身者ということは歴然としています。勿論のこと、今となっては実際のフォッシーさんがどうだったかはわかりません。しかし、映画では、そのようなダメダメ家庭出身者という面を強調した「描き方」になっているわけです。

今回の総集編では、そのような映画における「描き方」を見てみます。このダイアン・フォッシーさんの行動を見て行くことによって、ダメダメ家庭出身者の発想や行動の典型的スタイルが見えてくるんですね。


では、以下にこの映画で描かれているダメダメ家庭出身者の具体的な様相をリストアップして見ましょう。

1. ボランティア・オタク・・・ダメダメ家庭出身者がボランティアの世界に飛び込みたがるのは・・・ちょっと前の日本でも話題になりましたよね?ダメダメ家庭の人間はコミュニケーション能力が低い。人と会話する能力に劣るわけです。だから経験上、自分と同格の人とはマトモに会話できないことがわかっている。だから、どうしても序列意識が強くなり、「相手に恵んでアゲル」という立場に自分を置きたがる。

「恵んでアゲル」という立場だったら、相手も自分に付き合ってくれますからね。このダイアン・フォッシーさんですが、アフリカでゴリラの保護のボランティアをする前は、人間の自閉症の関係のボランティアの施設で働いていたそう。典型的なボランティア・オタクなんですね。「人の役に立ちたい」・・・と熱望している。しかし、それは自分自身を必要としてくれる場所でないと、自分自身に存在価値がないと無意識的に思っているからなんですね。相手に依存される関係性に依存するという、共依存状態の典型。あるいは、「自分の居場所」を必死に探している状態といえるでしょう。

また、このような人は一般的な会社勤めもできないわけです。コミュニケーション能力が低いので、会社生活が上手くできないんですね。また、映画によると、以前には自閉症児のボランティアをしていたそうですが、そこを辞めた理由もどうなんでしょうか?他のスタッフとの間でイザコザでもあったんじゃないの?サポートされる側の自閉症児に対しては「恵んでアゲル」という立場を取れるのでしょうが、ボランティア同士では対等ですからね。この手の人はトラブルを起こしそう。

2. 地道さがない・・・このフォッシーさんですが、「アフリカでゴリラの保護をするんだっ!」と気合を入れてアフリカに乗り込むのはいいとして、現地の政情とか、言語とかを調べていない。実際に現地についてから、「えっ?ここって、この言葉じゃなかったの?」なんて調子。あるいはゴリラの保護について前任者のドキュメントを事前に読んで、具体的にどのような作業をするのかについて想定してこなかったよう。やたら「善意への熱情」だけで突っ走り、地道な準備をしていないのもダメダメ家庭出身のボランティアの特徴ですね。

3. 無鉄砲・・・危険を顧みず、自分の熱情のためにまっしぐら。「恋に恋する」ように「自分の善意に恋する」。この手のボランティアはとかく暴走する。成果を少しずつ積み重ねていくことはしないんですね。このフォッシーさんも、周囲の人から「もうちょっと状況に配慮しなさい!」と言われ続けるありさま。ダメダメ家庭ボランティアはむしろ危険な状況が好きといえるんでしょう。何かを達成するために努力するというよりも、「敵をやっつける!」「困難を打ち壊す」方向に発想が向かうので、敵とか困難がないと実感が伴わないわけ。

4. やたらマイペース・・・映画の最初に出てくるアメリカでの講演会のシーンに注目してみましょう。遅れて会場に入ってきたフォッシーさんは、講演が始まっているのに、客席に入ってきて、人のジャマになるのもお構いなしに、中央の席に陣取ることになる。そして横の席の人のボールペンを無言で取り上げ自分で使い出す始末。周囲のことなどお構いなし。

あるいはアフリカでも、自分用の高級タバコは経費で落とすは、ペディキュアまでしている・・・ゴリラの保護のためにアフリカにいるのに、どうしてペディキュアをするの?しかし、周囲の人の迷惑を考えずにやたらマイペースなのもダメダメ家庭出身者の特色ですね。被害者意識が強いので、「自分は一番かわいそうなんだ。」と思っている。だから、周囲の人に対して配慮する発想がないわけ。

5. 自分に甘く、人に厳しい・・・自分は恋人とよろしくやったりするのに、研修中の若手の研究者がいちゃついたりすると、烈火のごとく怒り出す。「ベットインごっこは、よそでやってよ!」と、言うのはいいとして自分は何なの?と思っちゃいますよね?
自分の問題点を何も見ようとしないし、わかっていないのも、ダメダメ家庭出身者の自己逃避の典型と言えるでしょう。

6. 人の区分が単純・・・このフォッシーさん、どうも人間を単純に区分けしているよう。「恋人」「使用人」「敵」・・・この3つの区分です。実にはっきりしている。会話ができない人間は、このように人間を単純に区分けしてしまう。欧米から来たインターンの若手の研究者も、いきなり「使用人」扱い。そりゃ、インターンの人も怒りますよ。

7. 「敵」には冷酷・・・この映画では現地のバトワ族がゴリラの密猟を行っているとされています。それをヨーロッパに輸出してお金を得ている。しかし、この密漁をしているバトワ族だって楽しんでゴリラを密猟をしているわけでなく、生活のためにやっているわけですよね?だから、ファッシーさんもバトワ族と話し合いを持ってみることが第一でしょ?ゴリラの密猟以外に収入源があれば、バトワ族だって密猟なんてしませんよ。
あるいは、ゴリラを捕まえてヨーロッパに輸出するにも、他のゴリラを傷つけない方法を一緒に考えてみるとか・・・相手を怒鳴っているだけではダメなんじゃないの?

しかし、「敵」と認定したら、決して話し合いを持とうなんて思わないんですね。だって「敵」というのは「使用人」ではなく、「同格」の存在なので、命令ではなく、説明なり説得する必要がある。だから、説明能力もないし、会話の能力もないダメダメ家庭の人間は、対処できないわけ。「自分の考えに合意してもらう。」と言う、単純な肯定形の関係を作ることができず、「自分には逆らえない」という二重否定的な状況を作ろうとすることになる。だから「敵」には冷酷に攻撃することになる。

ただ、ひたすら「バトワ族が悪い!」と恨んでいるだけ。バトワ族の住居の焼き討ちとか、バトワ族の青年に絞首刑の恐怖を味合わせたり、少年をいじめたりと、冷酷なことこの上ない。「敵をやっつける!」そのことばかりを考えてしまって、もっと色々な方法があるのに何もしないわけです。いわば、「対抗心に安住している」状態。逆に言うと、「悪いのは全部バトワ族のせいだ!」と言い続けることによって、自分で現状を認識し、自分で考えることから逃避するわけ。

8. 人種差別・・・ダメダメ家庭では差別意識を持っていることが多いことは以前に配信しております。人間をカテゴリーで見てしまうので、それが差別意識に結びつくわけです。このフォッシーさんも現地の黒人の風習を蔑視している。「なにこれ?笑っちゃうわ!」って感じ。だからよりいっそう会話をしようとしないわけです。

また、自分は暖かい家に住んでいるのに、使用人の黒人のポーターは寒い中、安っぽいテント暮らし。それを改善しようとする気配がない。それについては、次に述べる気配りの問題かもしれませんが・・・しかし、映画を見ていると絶対に思わざるを得ないのは、「この人・・・いつになったら現地の言葉を覚えるの?」と言うこと。どうもその気がなさそう・・・あるいは、黒人に触られて、「その汚い手をどけて!」と絶叫するシーンもあります。人種差別と無縁だったとは決して言えないでしょうね。
それは、先に言及した「恵んでアゲル」という序列意識ともつながっているわけ。

9. 気配りがない・・・例えば、クルーが山を登ってきて、目的地に着いた。フォッシーさんも本でも読んでくつろぎたいでしょう。ということで、黒人のポーターがお茶を入れて家に持ってくる。しかし、気配りのある人だったら、逆に自分で黒人のテントまで行って自分でお茶を入れて、「これからヨロシクねっ♪」とやるでしょ?重い荷物を持ってきてくれたんだし・・・それに現地の政情などの情報も現地の人から聞けばいいわけだし・・・

すぐに「自分独りの世界」に入ってしまって、周囲の人のことなどお構いなし。逆に言うと、密漁されたゴリラを買っていくヨーロッパの親玉はそのあたりが出来ている。黒人のオッサンに小遣いを渡して「これで子供に菓子でも買ってやれよ。」と気配りができている。

10. 入れ込む・・・このフォッシーさん。特定のゴリラに入れ込んでいる状態。特定の相手に入れ込むのはダメダメ家庭出身者の特徴。このフォッシーさんはデジットというオスのゴリラにご執心。理由は「彼はいつも一人でいるから・・・私と同じね。」典型的なダメダメ家庭出身者の入れ込みの理由ですね。

11. 全体を見ない・・・フォッシーさんは霊長類全体の保護とかには興味がない。ただ目の前にいる自分と懇意にしているゴリラのことだけを考えている。ボルネオでの仕事の話もあっさり断ってしまう。大体において、ゴリラの保護だって、ヨーロッパやアメリカで講演活動で訴えるのも必要でしょうに、そんなこともしない。

12. 家族との音信がない・・・アフリカで一人で活動するのはいいとして、家族から手紙がこないのもヘン。手紙がないだけでなく、家族の写真も飾っていない。きっと疎遠なんでしょうね。

13. 顔つきが悪くなる・・・不平不満ばかりを言っているせいか、段々顔つきが悪くなってくる。不満が顔に出ている状態。少なくとも映画ではその点を強調しています。

14. 味方を作ろうとしない・・・マウンテンゴリラの保護という目的はいいとして、それを実現させるためには、自分の理解者というか味方が必要ですよね?それもできるだけ多くの味方がいた方がいいでしょ?ところがこのフォッシーさんはそのような味方や理解者を作ろうという努力が全くありません。むしろドンドンと敵を増やしている状態。味方を増やす努力はせずに、「敵を叩く」という二重否定的な行動ばかり。

15.子供時代の思い出・・・この手の過激な動物愛護運動に入れ込む人に共通していることですが、子供時代の「ペット体験」が何も語れない。子供時代に、どんなペットがいたの?その写真はないの?
逆に言うと、そんな形での「地に足がついた」体験がないがゆえに、動物愛護の活動も、「地に足がついた」ものにすることができないわけ。

16.代替行為・・・アフリカでゴリラの保護に必死で活動するのはいいとして、彼女にしてみれば、ゴリラを密猟する部族が、自分の親であり、密猟されるゴリラは、かつての子供時代の自分自身・・・そのような関係性を投影しているわけ。

だからこそ、異常なまでに必死になってしまう。まさに強圧的な親から自分の身を守る行為なんですからね。
だから、ゴリラの保護活動を「情熱的に」行っているのではなく、実際には、「強迫的に」入れ込んでいるわけ。

勿論、ここでは映画「愛は霧のかなたに」においてのダイアン・フォッシーさんの「描かれ方」からダメダメ家庭出身者の特徴的な部分を抽出したまでです。実際のダイアン・フォッシーさんがこのようなお方だったのかはわかりません。

この映画ではフォッシーさんと仲がいいのは、人間では恋人のオーストラリア人カメラマンと黒人の通訳くらいです。しかし、その黒人の通訳とも打ち解けない。フォッシーが苦境に立って困っているときに、その通訳から「私はいつだってあなたの味方ですよ!」と言ってくれて、フォッシーが泣き出すシーンがあります。そして抱き合う。一般的な映画のシーンだったらもっと強く抱き合うでしょうに・・・どうもよそよそしい抱き合い方。

20年近く一緒にやってきた同僚なんだし・・・別に深い男女関係になる必要もありませんが、一般的な感動のシーンではないわけ。奇妙な感動シーンと言えるんですね。

このフォッシーさんは結局は、バトワ族に殺されてしまいます。そのフォッシーさんの活動が実ってゴリラは絶滅の危機から脱した・・・らしい・・・
しかし、早くからバトワ族と話し合いを持ったり、ヨーロッパやアメリカで啓蒙活動をしたりすれば、もっと早く「いい成果」が出たんじゃないの?

最後まで会話がない映画なんですね。
そこが、いかにもダメダメ家庭出身者なんですが。

(終了)
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発信後記

8月になって、大変に暑いので、アフリカを舞台にした映画を取り上げました。
本文中に何回も書いていますが、実際のダイアン・フォッシーさんというより、映画でのダイアン・フォッシーさんの「描かれ方」について考えてみたまでです。

ベディキュアとか、抱き合い方とか、ヨーロッパの親玉が黒人のオッサンに小遣いを上げるシーンとか、あるいは「その汚い手を・・・」とセリフとか・・・映画ならではの部分だと思います。この映画ではその面を強調しているんですね。

この映画は、どこのレンタル・ヴィデオショップにもありますので、ご興味のある方は実際にご覧になってください。
現在の日本で起こっている様々な事件を考えるに当たって、非常に参考になる作品だと思います。
R.10/6/16