トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ リーダース・チョイスのトップに戻る
「ダメダメからの脱却」トピックス ボランティア問題に関するトピックスの目次へ
カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 06年1月2日
タイトル マイ・フェア・レイディ(64年作品)
監督 ジョージ・キューカー
主演 オードリー・ヘップバーン
このメールマガジンにおいて、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」という総集編的なカテゴリーで、以前にオードリー・ヘップバーン主演の「麗しのサブリナ」を取り上げました。
ただ、あの回の文章において、作品自体というより、主演のオードリー・ヘップバーンがダメダメ家庭出身者である面を中心に書いています。

今回は、お正月ということで、同じオードリー・ヘップバーン主演でも、より華やかな作品である「マイ・フェア・レイディ」を取り上げます。音楽は楽しいし、映像もカラーだし、衣装はキレイですしね。ということで今回は、俳優中心ではなく作品自体を中心に考えて行きます。

折角のお正月休みですので、楽しいミュージカル映画を見てみるのもいいのでは?

この「マイ・フェア・レイディ」はアカデミー作品賞を取った有名な作品ですので、皆様もご存知でしょうが、ここで簡単なあらすじをします。
『ロンドンで花売りをやっているイライザは、言葉が下層階級の言葉。それを言語学者のヒギンズに指摘される。一念発起したイライザはそのヒギンズ教授の門をたたく。苦心の末に上流階級の発音をマスターし、舞踏会でも大成功を収める。しかし、その成功に対しほめ言葉がなかったので、怒ったイライザはヒギンズ教授の下を去ってしまう。そして・・・』・・・そんなストーリーです。

この「マイ・フェア・レイディ」というミュージカルは、ノーベル賞も受賞したバーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」が元々の原作となっています。ピグマリオンというのは、元来は、自分が作った彫刻に恋した人ですね。ギリシャ神話に出てきます。自分が作り上げたレディーに恋したヒギンズ教授をピグマリオンに模したわけ。

ただ、バーナード・ショーの原作では、ヒギンズ教授の元を飛び出したイライザは、結局は、「使いっ走り」しかできないような上流階級の坊やのフレディと一緒になってしまいます。ミュージカルの「マイ・フェア・レイディ」の方は、イライザはヒギンズ教授の元に戻ってくるわけ。まあ、ラヴコメとしては、そっちの方が正解でしょう。

さて、このメールマガジンは映画についてのメールマガジンではないのですから、いつもの流儀に従って、このミュージカル映画から、ダメダメ家庭の具体的様相を見て見ましょう。その中でも「イライザの問題」「イライザの父親のアルフレッドの問題」「周辺環境の問題」と分けてみます。この映画からダメダメ家庭そのものの問題が見えてくるだけでなく、ダメダメ家庭からの脱却についての問題点が見えてくるんですね。

T.イライザの問題

1. 道徳的には問題はない・・・イライザは下層階級出身なので、大変に汚い発音をしているわけ。しかし、それは周囲のみんながそんな発音。だからイライザ本人のせいではありませんよね?イライザを責めることはできないでしょ?まあ、社会が悪いとは言えるでしょうね。ダメダメ家庭の問題だって同じでしょ?そんな家庭で育ったダメダメ家庭出身者に責任があるわけではありません。だって親が悪いんですからね。しかし、親を恨んだとしても改善はされないでしょ?自分の親の問題を認識しつつ、自分自身で改善する必要があるわけ。

2. このままでいいの?・・・イライザの発音の問題は、決して道徳的な問題ではないわけ。それにイライザ本人が悪いわけではありません。しかし、「では、このままでいいの?」ということが出てくるわけです。イライザは周囲の下層階級の顔を見て、「このままでは行けない!」「自分で何とかしなきゃ!」と決心するわけ。しかし、それって不必要な危機感とも言えますよね?そんな危機感など持たないで、「社会が悪いんだ!」とグチっていればいいだけでもありますよね?

3. 決心・・・ヒギンズ教授の指導を受けるのに、イライザは「なけなし」のお金を投入する。勿論のこと、下層階級のイライザなので、微々たる金額ですが、それでもイライザにとっては大金。それだけ覚悟を決めているわけ。ダメダメからの脱却なんて、命がけの覚悟なしには、到底成し遂げられないものなんですね。

4. 向上心に付随する困難・・・自分の発音を直すためにヒギンズ教授の門を叩いたイライザは、そのヒギンズ教授から、いわば鉄拳的な指導を受けるわけ。まあ、実際に暴力を振るわれるわけではありませんが、メチャメチャに厳しい指導。だからイライザは大変につらい思いをするわけ。しかし、この苦労って、不必要な苦労とも言えますよね?昔のままの下層階級の発音で満足していれば、しなくてもいい苦労ですよね?イライザは向上心があるがゆえに、つらい思いをするわけ。ダメダメからの脱却って、そのような面があるわけです。ダメダメに安住するものには縁がない苦労ですし、最初からマトモな人間にも縁がない苦労。だから、その苦労は人には理解されにくいわけ。

5. わき目を振らない・・・ここでのイライザはわき目も振らずに、厳しいヒギンズ教授の指導を受け続けるわけ。それって向上するためには必要なこと。しかし、自分が理解されていないと普段から思っているダメダメ家庭の人間は、「あっちの人間の指導を受け」次には「そっちの人間の指導を受ける」なんてことをして、いいとこ取りをしようとすることも多い。だから、結局は何も身につかないわけです。勿論、イライザにはヒギンズ教授に対する恋愛感情もあるわけですが、何よりも「自分に必要なもの」を理解しているからなんですね。

6. 宝物がない・・・単に下層階級の出身ならともかく、イライザはダメダメ家庭の出身。だから彼女は「宝物」を持っていないわけ。だからヒギンズ教授の元に引っ越す際にも、荷物なんかなくてもいいわけ。本来なら「思い出の品」の一つや二つはあってもいいわけでしょ?

U.イライザの父親のアルフレッドの問題

1. 無責任・・・イライザの父親のアルフレッドは、イライザの父親なのに、父親の自覚がない。子供を守ろうなんてこれっぽちも思っていないわけ。そんなダメダメ親父の姿もミュージカルだからまだ気軽に見ていられますが、現実だったらいたたまれないでしょ?

2. 放任・・・アルフレッドは、イライザな何をしているのか?全然知らないし知ろうとしない。まあ、現在の日本でもよくあるダメダメな親ですね。放任というか、ネグレクトそのもの。

3. 恩着せ・・・ダメダメな親ほど子供に恩を着せたがるもの。まあ、「産んでやったことを感謝しろ!」「命を与えてやったことを感謝しろ!」と、そんな調子。逆に言うと、その命以外には、子供に何も与えていないものなんですね。

4. 他力本願・・・「運がよけりゃ♪」なんて楽しげに歌っていますが、このアルフレッドは全くの他力本願。自分で何とかしようとはしない人。

5. 被害者意識・・・アルフレッドは「オレたちがこんな状態なのは、社会が悪いんだ!」と自分で自分を納得させている。

6. たかり根性・・・被害者意識があるので、他人や自分の娘に「たかる」ことも平気。「オレが一番の被害者なんだから恵んでくれよ!」そんな調子。

7. 審美眼・・・イライザには言葉だけでなく、それなりの審美眼も与えていないわけ。イライザがヒギンズ教授の門を叩く際の、「正装」なんてひどいもの。

8. 教養を与えない・・・本人からして教養がないのだから、そんな親の子供は教養を身に付けることなんてできないわけ。だからアスコット競馬場での大失敗となってしまう。それに、そもそも自分の子供に教養を付けさせようとも思ってはいないわけですからね。

9. 意外と頭がいい・・・このアルフレッドがヒギンズ教授に自分の意向を説明する。その説明の仕方があまりに秀逸なので、ヒギンズ教授は感心してしまう。ダメダメ家庭を作る親は意外にも頭がよかったりするもの。そして「こんなに頭がいい自分が、こんな状態なのは○○のせいだ!」と被害者意識を膨らませたりするわけ。

10. 暴力傾向・・・ヒギンズ教授がちょっと大きな声を上げるだけで、イライザは「叩かないで!」と叫んでしまう。これって、イライザは普段は誰かに叩かれていたということですよね?まあ、その誰かなんて言わずもがな。

ホント・・・ミュージカルだからまだ見ていられますが、このアルフレッドという父親は単に下層階級というより、性根が腐ったダメダメ親父なんですね。

V.周囲の問題

1.顔の問題・・・イライザが最初の頃にいた下層階級の人たちの顔がスゴイ!もう緩みまくっている。しかし、これって世界共通ですよね?日本でもダメな地域に行ったりすると、いかにも緩んだ顔の人っていたりするでしょ?そんな人が普段どんな生活をしているんだろう?またアメリカのハリケーンの時の問題だってそう。取り残された黒人の方はお気の毒ではありますが、顔が緩んでいる人が多くいましたよね?黒人の方でもニューヨークでバリバリ働いている人は、あんな緩んだ顔をしていないでしょ?

普段から自分でできることもしない状態なので、あんな緩んだ顔になっちゃうわけ。普段から自分でできることもしないので、トラブルが起こったりすると「我々は見捨てられた!」と被害者意識に浸るだけ。しかし、そんな緩んだ顔をしっかり見て、イライザは、「このままではいけない!」と決心できたわけ。顔というのは有効な情報源なんですね。

2.ニッコリと怖い人・・・ここでイライザを指導するヒギンズ教授は「ニッコリと怖い人」。
怖い人というと、それこそナイフを持って追っかけてくるような暴力団のような人を思い浮かべる人も多いでしょうが、ヒギンズ教授の怖さはそんな怖さではありません。ニッコリとしているんですね。ニッコリとしているのに、どうして怖いの?と思われる方も多いでしょう?ヒギンズ教授はその洞察力ゆえに怖いわけ。一般の人間は、脅威の洞察力を持つ人間を「怖い!」と思うものなんですね。

「1を聞いて、0.5程度わかる」ような人は、一般の人。
「1を聞いて、1わかる」ような人は、頼りになる人。
「1を聞いて、2わかる」ような人は、スゴイ人。
「1を聞いて、10わかる」ような人は、怖い人。
そんなものでしょ?
「アナタがワタシについて言っていることは確かにそのとおりだけど・・・どうして、そこまでわかっちゃうの?」そして「チョット怖い!」となる。

この映画では、冒頭の方で、ヒギンズ教授が、人の発音を聞いただけで、その人の出身地や現状をズバリ当ててしまいます。まさに「1を聞いて、10わかる」状態。

これって、言うまでもなく、もともとの原作者のバーナード・ショーの姿そのものなんでしょうね。バーナード・ショーも周囲の人から「そんなこと・・・どうしてわかっちゃうの?チョット怖い!」なんて言われたはずです。この私ですら言われたりするんですから、ノーベル賞受賞者なら絶対に言われていますよ。

しかし、現状を改善するためには、そんな脅威の洞察力を持った人間に、問題点を指摘してもらう必要があるわけ。凡人同士が議論しても、本当の問題点は見えてこないわけです。日本でも、よく子供の事件が起こった後で、凡人同士が程度の低い議論をしていますが、本気で現状の問題点を改善しようと思ったのなら、「怖い」くらいの人の見解を聞かないとダメというわけ。そんなことをしないから、同じような事件が次々起こったりしているでしょ?

3.性格の問題・・・ヒギンズ教授は「脅威の洞察力」を持っているわけですが、ちょっと性格に問題あり。こんな性格では、イライザがヒステリーを起こして飛び出してしまうのも当然。しかし、この私からヒギンズ教授を弁護・・・いや、弁解してみましょう。

ヒギンズ教授は「脅威の洞察力」を持っているので、色々なことが見えすぎるわけ。だから自分の問題で手一杯なんですね。それが自分の問題だと思ったら、一生懸命取り組むわけですが、関心がなくなったら、それでオシマイ、となってしまう。まあ、別の言葉でいうとガキンチョなんですね。ただ「頭が切れるガキンチョ」なので、扱いにコツがいるわけ。

よく「バカとハサミは使いよう。」なんて言われますが、「切れすぎる」ハサミは「使われる」という役割。人を使うことはできないタイプなんですね。イライザを指導していたヒギンズ教授としては、その指導が終わってしまったら、イライザとの「新たな枠組み」が必要になってくるわけ。「新たな枠組み」なんて、なんだか政治の用語ですが、次の段階では、「イライザの方がヒギンズ教授の管理者になる。」という枠組みで落ち着けるか?それがポイントとなるわけです。

ヒギンズ教授はイライザに恋愛感情を持っているというより、「一緒にいると楽しい。」「いないと寂しい。」というだけ。まさにガキンチョの発想の典型でしょ?そんなガキンチョには管理者が必要というわけ。まあ、バーナード・ショーも天才芸術家なんだから、基本的にはガキンチョだったんでしょう。「天才=ガキンチョ」なんて、それこそ、作曲家モーツァルトを描いた「アマデウス」という映画で典型的に示されていたでしょ?

4.フレディの問題・・・バーナード・ショーの原作では、ヒギンズ教授の元を飛び出したイライザは、フレディと一緒になってしまいます。このフレディはまさに「恋に恋する」青年。しかし、このフレディは何も能力がない。ただ、自分自身の恋に酔いしれているだけ。本来なら、1日に何通もラヴレターを書くよりも自分自身の能力を磨くことを考えた方がいいでしょ?そんな能無しで、本当にイライザの夫としてやっていけるの?

しかし、このような「恋に恋する」ように自分の善意を振りまく人って、今でもいっぱいいるでしょ?それこそ、イラクでボランティアやっていたようなワカモノたちなんて、まさにこのタイプですよね?善意だけで能無しの子供。そんな人は自分自身と向き合うことから逃げて、中途半端な善意にすがっているわけ。

このような「善意」のボランティアなんて、何もイラクのような場所だけではありません。それこそダメダメ家庭の周囲に登場してくるボランティアなんて、そんな感じの方々ばかりでしょ?そしてお決まりのセリフ「まあ!何てお気の毒なの!アナタは全然悪くないのよ!!」と言ったりするもの。たとえば、この映画でもイライザの汚い発音はイライザのせいではありません。しかし、イライザはその問題を自覚して、血のにじむ思いをして改善への努力をしたわけ。しかし、周囲にボランティアがいたりすると、そんな努力に水を差してしまうわけ。

だって、「アナタは全然悪くないのよ!」「みんな社会が悪いのよ!」「あのオトコは何てヒドイ人なの!」なんて横で言われ続けたら「このままでいい!」「だってぇ・・・ワタシはかわいそうな被害者なんだモン!」なんて思っちゃうでしょ?
その手のボランティアは、ダメダメな現状を温存することで、自分自身と向き合うことから逃げる場所を確保しておきたいわけ。そもそもダメダメ家庭の出身者は親から被害者意識を受け継いでしまっているもの。だからその被害者意識を刺激されると、それに乗りやすいわけ。「まあ、何てお気の毒なの!」という甘い言葉に弱いんですね。

バーナード・ショーの原作で、イライザがフレディと一緒になってしまうのは、現実のダメダメ家庭出身者の現状を反映しているわけ。フレディのような「恋に恋する」善意のボランティアによって、改善への努力もいっぺんに瓦解してしまう。現実というものは、21世紀の今でも、そんなものでしょ?

天才芸術家の洞察力のスゴさって、時代を超えているわけ。だから怖いと言われちゃうわけです。


ちなみに、この「メールマガジン ダメダメ家庭の目次録」には、ネタを多く提供していただいた大票田のような方々がいらっしゃいます。といっても、「こんなダメダメな事例があったわ!」なんて形でご連絡をいただいたというより、まさにその人自身の物言いや発想がダメダメそのものという形で、ダメダメのネタを提供していただいたわけ。

こんなことを書くと、私に個人的にメールをなさった方々の中には「ワタシのことを指しているのかしら?」などと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありませんヨ。そもそも1番のダメダメは「自分のダメダメを自覚しない。」ということなんですから、自分自身のダメダメについて普段から自問自答しているような人は大票田にはならないわけ。人間は誰だってダメダメな1票や2票は持っていますよ。

自分のダメダメを考えないで、被害者意識に浸っているような人がダメダメの大票田になるわけ。そんな人は、このメールマガジンは購読していませんし、購読していたとしても解除してしまっていますよ。そんなものでしょ?「言われてみれば確かにそうだね!」思うかもしれませんが・・・

実は、そのダメダメの大票田の一人として、とある女子大学の教授の方がいらっしゃいます。あの有名な方ではありませんが、家庭問題を扱っているとのことです。
私はその教授のセミナーを聞いたことがありますが、教授ということで、ヒギンズ教授に近いというわけではなく、むしろフレディに近い発想なんですね。
「まあ!なんてお気の毒なの!」
「アナタは全然悪くはないのよ!」
そんな調子。

しかし、確かに倫理的には悪くはないにせよ、「じゃあ、このままでいいの?」という問題が出てきますよね?
それこそドメスティック・ヴァイオレンスの問題なんて典型でしょ?そんな暴力男性に暴力を振るわれる女性に倫理的な落ち度はないとしても、そんな男性と結婚してしまった自分を見つめ直さないと、別のトラブルに巻き込まれるだけでしょ?

その教授の発想とか物言いとか、質問に対する受け答えなどは、ダメダメ家庭の出身者の典型的なものなんですね。
たぶんその教授の父親は強圧的な人で、その教授は子供時代に持っていた自分の父親への不満を、別の家庭の暴力夫を糾弾することで解消しているんでしょうが、それって自分からの逃避ですよ。そんな心の弱い人間が人助けなんてできませんよ。ただグチに付き合っているだけ。他人の家庭の問題に関わって、気に入らない人間をつるし上げて、自分のストレスを発散しているだけ。

まあ、そのおかげで、芸術作品がより理解できたのだから、感謝はしていますが・・・
そんな教授のような人間に引っかかって、改善への努力の道に踏み出さない人間は気の毒ですし、今までの改善の努力をフイにしてしまう人もお気の毒。まずは自分自身の問題点の自覚がないと、改善なんてできませんよ。家庭問題の教授が、実際の家庭における問題点を指摘できるか?というと全く別なんですね。むしろ「スグに政治のせいにする」傾向が強かったりするものでしょ?

まずは自分自身との対話が必要というわけ。様々な芸術作品は、そのための有効な視点を提示しているものなんですね。

(本文は終了)
*****************
〈ちょっとご挨拶です〉
今回は06年最初の配信です。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
06年最初の配信から怒涛の長さになってしまって申し訳ありません。

年の初めということで、このメールマガジン自身について、作者というか配信者のこの私が、雑感を書いてみたいと思っています。

昨年最後の配信の際に、「編集し直して電子書籍になったら買う。」とのコメントがありました。ありがたいお話で感謝しておりますが、今のところその面では興味はありません。

このメールマガジンは03年からの配信スタートです。配信を始めてかなり早い時期に、書籍化云々の話もあったことはありましたが、いつのまにか立ち消え状態。
このメールマガジンは、御禁制のマターについて随分触れております。韓国の問題、皇室の問題、共産党の問題、マスコミの問題、宗教の問題、それこそ長崎県の事件 等々・・・これではいくらなんでも書籍化はされませんよ。
それらのマターも、ただ感情的に非難しているのならともかく、具体例を多数挙げて緻密に論理構築を行っているので、なおのことタチが悪い。反論できないんでしょうね。

私としては、配信したものは、そのまま残してありますので、各メールマガジンの配信サイトで読めるようになっていますし、更新が遅れていますが、私のサイトにバックナンバーが保存してあり、読めるようになっています。
私としてはそれで十分です。
・・・そうなんですが、もう発行回数が350回を超えているので、どこにどの文章があったのか?配信者の私ですら、わからなくなってきている状態。トホホ・・・
確かにこれでは問題ですよねぇ・・・
なんとかしなきゃ!とは思っているのですが・・・どうしようかなぁ?

編集し、記述を修正することも必要だと思ってはいますが、文章を書く人間の心理というものもあったりします。文章を書く人間にしてみれば、昔の文章に手直しを入れるよりも、新しい文章を書いた方がラクだし楽しい。これはどうしようもないほどに真理。

私としては、むしろ私の文章から触発されて、購読者さんが御自分で文章を書かれてみては?と思ったりしています。
今までの文章が整理され、読みやすい状態に編集し直すことも、いずれは必要でしょうが、読みやすいことより、次に続く人が書きやすいことの方が意味があると思っているわけです。
とはいえ、その点がこの「メールマガジン ダメダメ家庭の目次録」の最大の欠点で・・・
この一連の文章を読んで、自分でも書いてみよう!とは思いにくいのでは?

ただ感情的にグチを書いているだけの文章を読んだ後では、「自分だったら、もっと上手く書けるのにな!」と思えるでしょうが、私のメールマガジンを読んだ後では、そう思えないのでは?

ちょっと論理が詰まりすぎている・・・別の言葉で言うと、隙が無さ過ぎる・・・そんな問題点があるように自分で思っています。
文章を読んでいて「グーの音も出ない」と思ってしまう。
そうじゃないのかな?
しかし、それって私の文章の意図ではありません。

私が後に続く人たちの文章を封殺してしまっているとしたら、決して本意ではありません。
このメールマガジンの文章も、会話調の文体を使ったり、意外なほどギャグを入れたりはしているのですが、もうちょっと隙も出したいなぁ・・・と思っているところです。
いいアイデアがありましたら、教えてくださいな。
ギャグも結構入れているつもりなんですが、スベっているのかな?それとも文章の全体の調子が疑問符を多用して切迫感を出しているものなので、見過ごされてしまっているのかな?

緻密で、かつ、読者が気軽に突っ込めるような文章にしたいと思ってはいるのですが、まだそのレヴェルには至っていないところです。
申し訳ありません。
では、本年もよろしくお願いいたします。

***************************************************
発信後記

主演のオードリー・ヘップバーンの問題は、以前の「麗しのサブリナ」の時に触れました。机の上に写真がないという一点から、色々と話を膨らませて・・・
この「マイ・フェア・レイディ」でも、ダメダメ家庭出身者としてのオードリー・ヘップバーンの面は色々と出ていると思います。
とはいえ、やっぱり気がつくのは、あの細さ。
身長が170cm以上ありそうなのに、服のサイズが7号でも余裕で入りそう。
マトモな精神状態ではあの細さにはなりませんよ。

ちなみに、この映画の主題の一つであるイギリス人の発音ですが、これは今でもはっきりあったりします。顔を見るだけでも、階級や発音がわかったりするわけ。勿論、場所にも傾向があるわけ。上流階級の多く住むところと、下層階級が多く住むところは発音も違う。勿論利用するものも階級によって違うんでしょう。飛行機だとヴァージン・アトランティック航空の機内アナウンスは労働者階級の言葉です。私は乗ったことはありませんが、英国航空だと上流階級の英語じゃないのかな?

この映画の冒頭はロンドンのコヴェント・ガーデンです。そこには今でも市場がありますし、今でも王立歌劇場があります。冒頭に人が降りてくる階段なんて、「ああ!あの階段だ!」と思い出す人もいらっしゃるでしょう。コヴェント・ガーデンは下層階級と上流階級が極めて近接して存在する場所といえるわけ。今はここまで典型的ではないにせよ、言葉自体の差は、随分大きいわけ。

フレディに象徴されるダメダメなボランティアの問題を含めて、100年前から何も変わっていない・・・だから芸術作品は参考になるわけです。
R.10/11/9