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カテゴリー 形への依存
配信日 06年8月8日  (10年5月4日,11年2月18日 記述追加)
タイトル 理念的
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない
自分の目の前にある現実を真摯に見つめ、自分なりに考えようとはしない。自分の頭の中にある「正論」を、「べき論」のスタイルで問答無用で説教するだけなんですね。一方的に説教するだけなので、ますます現実からのデーターが入らなくなる。
そして、自分のアタマの中の『正論』が、どんどんと濃くなって、理念的になってくる。

理念を叫んでいればいいだけなので、現実を見なくてもいい
「自分としては、何をしたいのか?」という点について自分自身についてだって考えなくてもよくなってしまう。そして、その理念だって「権威者」ご用達のもの。自分自身でその本質を説明する必要がない。
「オマエはあのエライ○○先生の言っていることを、文句を言わずに従っていればいいんだ!」そんな感じになってしまう。
ダメダメな人間は、そんな「ありがたい」理念を叫んでいるだけ。

しかし、そんな理念的な話をしても、現実は何もよくならないでしょ?だって、そもそも現実を見た上での議論ではないわけですしね。
その手の理念的な議論は、「あーでもない、こーでもない。」と議論のための議論に終始してオシマイ。
結局は、「最後を締める」ことなく、いつのまにか終わっている。
よくありますよね?そんな議論。
しかし、現実的に考えた方が、議論だって進むもの。だって、現実は検証可能でしょ?理念と理念がぶつかったとしても検証することは不可能ですよね?だから、「どちらの理念がいいのか?」なんて議論しても、最終的に結論が出るわけもありませんよ。

理念的で「議論のための議論」ではなく、現実的な「選択」について議論すると、検証が可能だから、議論が前に進むことができる。そのことの代表例は、以前に触れましたが、イラクでつかまったオバカなボランティアのワカモノたち。

彼らの振る舞いについて、自己責任「論」などを持ち出して、その行動を非難する人もいましたよね?
まあ、確かに、自己責任という「理念」について考えさせられる事件でした。しかし、そのような自己責任「論」を持ち出すと、「彼らは善意でやっているのだから・・・」なんて、善意「論」が登場してしまう。そして、「どっちがいいのか?」と理念的な議論。
しかし、そんな理念的な議論によって、結局は結論は出たの?やっぱり「議論のための議論」で終わってしまったでしょ?

ここで、そのような高邁な理念を離れて、「そんなタイプの人間が、どのような人間と結婚するのか?」「そんな人間を友人に持ちたいのか?」という現実の問題にすると、おのずと答えは出てくるものでしょ?

あのワカモノたちが、どんな人間と結婚するのか?
そして、どんな親になるのか?
その人たちの子供に対し、どんなことを言うのか?
その家庭が、うまくいかない状態になったら、どのように対処するのか?
あるいは、どうして、あのような振る舞いをするようになったのか?
彼ら自身がどのように育てられてきたのか?
普段は、どんな人とやり取りをしているのか?
彼らは普段はどんなことを言っているのか?

そのように、現実的に考えた方が、議論が前に進むでしょ?
そして、そのような現実的な思考の中から、新しい知見だって得られるんじゃないの?
それこそフロイトの精神分析学だって、多くの臨床体験から生み出されたものでしょ?真に新しいものは、目の前の現実に根ざしている。理念からは、新しいものは生まれないんですね。

理念的ということで、面白いなぁ・・・と思ったことは他にもあります。日本の民主党です。以前にキャッチコピーが検討されて、「しなやかなリベラリズム」・・・だったかな?・・・・なる言葉が採択する寸前まで行ったそう。しかし、「しなやかなリベラリズム」なんて、いったい何を言っているの?本人たちだって説明できるの?たとえ本人たちは説明できても、それをどうやって選挙民に説明するの?ワイドショーを見ているオバチャン連中にも、なんとなくわかるような言葉でないと、そもそもキャッチコピーとは言えないでしょ?

リベラリズムという理念はいいとして、あるいはリベラルという言葉はいいとして、結局はどうしたいの?どんな法律を作りたいの?
そんなキャッチコピーに対して、反対する人はいないでしょうが、積極的に賛成する人もいないでしょ?だってピンと来ませんものね。
分かったような、分からないような抽象的理念を掲げても、そのことによって、いったいどの点が前進したと言えるの?

あるいは、現在日本では少子化問題が言われていますよね?その問題への対処として、なんでも「少子化対策として家族の重要性」を政府が訴えていく・・・・らしい。そんなご大層な理念を説教するのはともなく、顔を見るのもイヤな間柄の家族をどうするの?上から説教して物事が改善するの?
「少子化問題を解決するためには、家族は重要なんだから、オマエたちも、もっとお互いを大切にすべきなんだ!」
「そうでないと、非国民だぞ!」
そう言いたいの?
そんな「命令」を受けたら、お互いがお互いを騙して生きるようになってしまうでしょ?結局は問題が潜在化してしまうだけで、逆に言うと、もっと解決が難しくなる。

しかし、逆に言うと、理念を上から説教しているだけの人は、当人自身で考えなくてもよくなる
アイツたちはこんなに「正しい」理念から外れていて・・・ケシカラン!!
そして挙句の果てには、「こんなに立派な理念を与えてやっているのに、どうして分かってくれないんだ?!ああ!オレたちは、なんてかわいそうなんだ?!」と被害者意識に浸ってしまう。

まあ、その典型が韓国人であることは言うまでもないでしょう。
このことについては、韓国の大統領のノ・ムヒョン氏について考えてみた際にもふれました。彼は、まさに理念的な行動を取る人間の典型と言えるでしょう。
周囲の人に対して、そして周囲の国に対して、「こうすべき、ああすべき」と「べき論」で説教するのはいいとして、「一体、アンタ自身はどうしたいの?」
その点が重要でしょ?

理念的なことを掲げると、周囲の、ボンクラな人間から、「改革」なんて言われたりするものです。
しかし、「改革する」,「前に進む」ためには、現実を真摯に見つめることが不可欠でしょ?そしてデーターを取ってそのデーターを元に考えていけばいい。前に進んだことを証明する為には、データーで証明するのが一番簡単で客観的でしょ?「月給10万円と、月給20万円では、どっちが経済的に豊かなのか?」こうやって、データーを元に細かく考えていくと、議論もしやすいでしょ?理念をこねくり回しても、前に進みませんよ。

それこそ、理念そのものなんて、2千年前のギリシャの時代から、そんなに変わっていないでしょ?逆に言うと、理念的な物言いをする人は、往々にして、そんな基本的な教養がない人が多いもの。だって、「教えられた」ことをオウム返ししているだけの人が、まさに理念的な人でしょ?そんな人は、過去にどんな議論があり、どんな結果になったのか、分かっていない。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶといわれますが、ダメダメ家庭の人間は、権威者のご高説に従うことはあっても、自分で歴史を紐解き考えることはしない。
あるいは、自分なりにデーターを集めることもしない。
歴史だって、データーの一種ですよ。だって、同じような事例があったら、参考になるでしょ?歴史上の同類の事例を探してみてもいいのでは?
しかし、ダメダメ人間は、持ち前の権威主義によって、自分で考えるよりも、権威者の話を聞こうとする。
そうして、
「本来はこうすべきなのに、そうなっていない現実はケシカラン。そんな間違った現実を正していこう!」と語りだす。
まあ、いわゆる「改革派」って、そんな感じでしょ?
しかし、本当に現実を改善するためには、まずはデーターですよ。

データーこそが、現状を客観的に示しているわけですし、問題点の所在も教えてくれる。
自分で考えるには、絶対に必要なものでしょ?
しかし、ダメダメ人間は、自分で考えることから逃げたい・・・だから「他人の考え」にすがってしまう。

理念的というと通りがいいわけですが、それは第3者的なものであって、自分が実感を持っている信念とは違っている。つまり、第3者に通りのいいことが優先され、自分にとって揺るぎないものである必要はない。
理念的と称される人たちの言動は、通りのいい第3者の言葉をコピー&ペーストしているだけでしょ?
自分の実感となっていないから、それを自分の言葉で説明することができず、「反論を許さない」という形で「べき論」という形で主張することになる。
信念のレヴェルになっていれば、ヘタはヘタなりに自分の言葉で語ることができますよ。
理念だからこそ、コピー&ペーストでしか言えないわけです。
逆に言うと、コピー&ペーストのスタイルでしか物事を言えない人は、やたら理念的で「べき論」ばかりでしょ?
そんな人は、結局は自己逃避なんですね。
理念的な人は、自分自身の実感から逃避してしまっているので、万人に通りがいい学術的なご高説をコピー&ペーストばかりとなってしまい、実感そのものといえる芸術作品について語れない。

おまけにダメダメ人間は自信がない。やり取りの相手から御大層な正論を理念的に語られたりすると、自分の弱みを見せたくない!」なんて自己防御の感情が先にたってしまって、なんとなく分かった振りをしてしまう。
そんな習慣から、その人自身も理念的に語るようになってしまう。それに、理念的に語っておくと、人から「突っ込まれない」でしょ?
まあ、この私のように、そんな理念的な話をニヤニヤと聞きながら、チクチク突いていく人間はそうはいませんよ。
しかし、「理念は理念でいいとして・・・で、アンタ自身はいったいどうしたいの?」そんな現実的な突っ込みは誰だって可能でしょ?
そんな現実的な突っ込みから、物事は前に進むものなんですね。それが改革というものではないの?

理念は理念として、それは結構なこと。
その「考え方」を尊重するのは、その人の自由でしょう。
しかし、「その理念を尊重する。」という肯定形のパターンならともかく、実際的には「定量的でプラグマティックに考えていく。」ことからの逃避のケースが多いでしょ?

データーを取るためには、ある種のコミュニケーション能力が必要になる。
そのデーターを元に、自分で考えることは、抑圧的な人間には、心理的な恐怖をもたらす。
しかし、理念を叫んでいればいいという状態だったら、コミュニケーション能力は必要ないし、その他の現実からも目を背けられる。
それに結果的にうまく行かない状態になっても、「だってぇ・・・だってぇ・・・ワタシはあの○○先生の言うとおりにやっていただけなんだモンっ!ワタシは悪くないわ!」と言えるでしょ?

いわば、現実からの逃避として、そして、自己からの逃避として、理念に逃げ込んでしまう・・・そんな二重否定的なパターンの方が多いでしょ?
現実を踏まえた上で、その人なりにそのように考えたのだったら、相手に対して冷静に説明できるでしょう。
しかし、現実からの逃避としての理念だったら、相手から質問されたら、逆上してしまう
やり取りにおけるそんな違いから、語られたその理念の心理的な背景も見えてくるものなんですよ。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンでは、たびたび韓国の問題なり、現在その大統領であるノ・ムヒョン氏について触れています。別に「民族的」な観点から取り上げているわけではありませんヨ。ダメダメの発想が、実に顕著に見られるから言及しているだけです。

ダメダメの問題は、何も韓国だけでなく、日本だって顕著な例が見られたりするもの。

先日、日本の長野県で田中知事が落選しましたよね?
あの田中知事とノ・ムヒョン大統領って、実によく似ているでしょ?

理念的。
ええかっこしい。
会話の不在。
強い対抗心。
何かあると、スグに自分の被害を考える。
会話ができないので、取り巻きしか相手にしない。
説得の技術がない。
自分自身がわかっていない。
「かわい子」ぶりっ子・・・ノ・ムヒョン氏は整形しているし、田中氏は、得体の知れないマスコットなどを使っていますよね?
信頼されるよりも、好かれたがる。
在任中に、どんどんと味方が少なくなっていく。

まあ、田中さんの場合は、刑務所に行くことは、今のところはなさそうですが、ノ・ムヒョン氏は、このまま行けば、よくて刑務所。ヘタをすれば、絞首刑。
だから、少なからずの確率で、「暴発」の危険があります。
「竹島」周辺でのドンパチくらいは、覚悟しておいた方がいいでしょうね。
R.11/2/18