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カテゴリー ダメダメ土曜講座(事件・トラブル編)
配信日 10年11月20日
タイトル 松平健さんの夫人の自殺事件
この「ダメダメ家庭の目次録」では、メールマガジンで配信していた頃から自殺事件を取り上げることがあります。
以前には、民主党の永田議員の自殺事件なり、あるいは、芸能人の清水由貴子さんの自殺事件を取り上げました。あるいは、学校でのカンニング疑惑に関わる自殺に関わる文章もあります。
自殺と言っても、それぞれに事情はあったりするもの。

自殺事件を考える際には「何に困っていたのか?」という点を見るよりも、「どうしてその困りごとを周囲の人に相談できなかったのか?」その点から見えてくるものの方が大きかったりするもの。困りごとそのものよりも、それを誰かに相談できないことに本当の原因があるといえます。しかし、そのことは、まさに相談されないのだから、周囲には見えてこない。
だから、自殺に関する考察は、トンチンカンなものになってしまう。
そもそも自殺するような人は、追い込まれた精神状態なんだから、自分で自分がわからなくなっている。だから、周囲の人が、当人の言葉にならない感情を言葉にして、それを当人に理解してもらうことが、カタストロフに陥らないようにする最良の方法なんですね。

さて、今回の松平健さんの夫人ですが・・・
なんでもその夫人のご母堂は宝塚のスターで、しかし、離婚していて、つまりシングルマザーであり、そして、松平さんは再婚とのこと。前妻は大地真央さんです。
このサイトでは、以前に離婚の連鎖ということで、親子で離婚が連鎖する事例について書いております。そのちょっとした変形として、親が離婚して、離婚したその親に育てられた娘が相手を離婚させた上で、自分が次の妻の座に納まる・・・そんなパターンの連鎖もあったりするもの。
どの道、離婚は連鎖しやすいものなんですね。

ただ、今回の松平夫人は、いわゆる略奪婚とは違うようです。
松平さんとしては、大地さんのようなキャリア志向の女性よりも、むしろ家庭的な女性と一緒になりたかったという雰囲気のようです。

実は私が注目したのは、その女性の42歳という年齢です。
以前にメールマガジンとして配信した文章で「歳を取る準備」という文章の中で、分析心理学の創始者であるカール・グスタフ・ユングが言っている「中年の危機」という考えについて言及しております。

人は、生まれ、成長し、歳を取り、そして死んでいく・・・
それはダメダメ家庭の人に限らず、すべての人間に共通のもの。
そして、そのユングは、人が40歳くらいになったら、ある種の精神的な危機に陥りやすいことを指摘しております。

前記の「歳を取る準備」という文章にも書いていますが、人間にとって40歳前後というのは、いわば曲がり角にあたり、自分自身というものを再確認する時期といえるでしょう。
今までやってきたことを振り返り、そして、残りの人生を踏まえ、自分自身との対話をする必要がでてくる。
これは、何もダメダメ家庭に限った問題ではありません。
何事にも曲がり角とはそういうものでしょ?
後ろを見て、前を見る、そして、細心の注意を持ってカーブする・・・
そのようなことは、曲がり角の属性のようなもの。

曲がり角においては、勢いだけで進むわけにはいかない。
やっぱり速度を落として細心の注意が必要でしょ?

まあ、道を曲がるくらいならともかく、人生の曲がり角ともなると、周囲の人との関係も複雑になっていたりして、色々な要因が絡んでくる。
まさに、画家のゴーギャンのように「どこから来て、自分は何で、どこに行くのか?」ということを再確認する必要がある。

まずは、「どこから来て」というか「今までの自分の実績」について、再確認する必要があるでしょ?「どんなものを目指していて、どれくらい達成できたのか?」とか、「自分が実現できたものは、どんなものなのか?」、あるいは「自分はどれくらい皆の役に立ったのか?」そんなことを考えることになる。

松平夫人は、ここで困ってしまったのでは?
松平夫人が達成したものは何だろう?
まあ、「金持ちの、いいオトコをゲットして裕福な生活を勝ち得た。」このことは確かでしょう。
あと、息子さんを出産した。あと、なんでも自身のご母堂の介護に熱心に取り組んだそう。

このうちで「いいオトコ」をゲットしたことは、当人自身にとっては、それなりの成果と言えるでしょう。
あと、息子さんですが、まあ、産んだということは成果とは言い難い。
重要なことは、ちゃんと育てることですからね。
そして、子供については、その時点までと言うよりも、これからが重要になるわけでしょ?
あと、ご母堂の介護を献身的になさったとのことで、これは成果というか業績と言えるでしょう。

何も人に後ろ指を指されるようなダメダメ妻ということでもなく、ちゃんとした奥さんですよ。
ただ、そのような実績は、ちょっと中途半端と言えることは確かでしょう。
いいオトコをゲットすることは当人自身にとっては成果といえますが、家庭の中の人間としてみたら、立派に家庭を運営してこそが成果といえるもの。子供についても産むことは業績ではなく、育てることが業績。産むだけだったら誰でもできるから業績と言えるほどにはならない。あるいは、その松平夫人は、以前には芸能界にいらっしゃったとのことですが、トップの地位にまでは上り詰めたわけではない。

つまり、この松平夫人に固有の業績となると、ご母堂の介護ということになってくるでしょう。
この点は誇るに足ることと言えるでしょう。
しかし、そのご母堂がお亡くなりになってしまったとのことで、この夫人はその頃から、うつ病気味になってしまったとのこと。

そうなると、愛する母親の死によって、気持ちが滅入ってしまったと受け取られやすいわけですが、ことはそのような単純なものではありません。
ここで年齢的な要因も加味する必要があるわけです。

最初に書きましたが、人間にとって40歳前後においては、自分を見つめなおす必要がある。
自分がやりたいこと、やらなければいけないこと、できること、やってはいけないこと、やれるけど、もうやれないこと・・・色々と考える必要がある。
そのために過去を振り返る必要があるわけですし、そして未来への展望につなげていくことになる。
そんな迷いや惑う時期になっているわけです。

そのような「惑う」という心理状態で、介護していたご母堂の死という事態は、自分の役割の喪失の面が強いといえる。
「母親の介護」という事態を考えるに当って、一般的には「母親」というファクターに注目するもの。しかし「介護」というファクターに対しより強く注目する視点もある。役割について考えている精神状態だったら、むしろ「介護」の面こそが重要になるわけです。
ご母堂の介護をしていた時は、夫人にしてみれば、かけがえのない「役割」があったわけですが、ご母堂がお亡くなりになってしまったら、その夫人固有の役割はどこにあるの?

料理や洗濯などの家事?
そのようなことは、松平家には関係ないでしょう。
じゃあ、芸能界に復帰するの?
経済的にその必要はないし、たぶん、本人もその気がないのでは?
その気がないような女性だからこそ、松平さんも結婚したんでしょ?

「いいオトコ」をゲットしたという業績を踏まえ、また、別の「いいオトコ」をゲットしに出かけるの?
それは、色々な意味でちょっと難しいし、当人としても関心はないでしょう。
個人としてみたら、ゲットすることは業績といえるでしょうが、人の「役割」という観点では、ゲットしただけでは意味がない。

これ以降に果たさないといけない役割となると、常識的には、育児ということになりますよね?
4歳の息子さんがいるそうですから、実際問題として、しっかりした母親が必要ですよ。
しかし、なんでもベビーシッターをつけていたんだとか。
介護で大変だった頃に、育児の負担を減らすためにもベビーシッターをつけたとのこと。そんな配慮をしてくれる旦那さんは立派ですし、まあ、お金も現実的にあるんでしょう。

しかし、そうなると、介護が終了してしまった段階では、この夫人の「かけがえのない」役割はどこにあるの?
確かに、それまでは「かわいい奥さん」という役割で何とかなったわけですが、サスガに40歳過ぎると、かわいい奥さんという役割は無理ですよ。
40歳過ぎたら、しっかりして頼りがいがある妻であり、母という役割になるのが自然でしょ?
家庭内のペットのハムスターだったら、「わっか」の中を回っているだけでいいのですが、人間というものは、精神的な充実感が必要でしょ?やっぱりそれなりの役割を自分で求めるものなんですね。

彼女としては、確たる役割を果たしている自分の将来イメージが描きにくかったのでは?
ご主人などの、周囲としては、それまでの「かわいい奥さん」の扱いを継続してくる。
ベビーシッターまでつけてくれて、育児の負担もあまりない。
しかし、当人としては、曲がり角を踏まえ、将来における役割なり居場所を模索していた。
そして、とりあえずの居場所としての、「母親の介護」は、もう終了してしまった。
「ああ!これからこの家でのワタシの役割はどこにあるの?」という葛藤が起こるのは当然でしょう。

前にも書きましたがこの夫人はシングルマザーの母親を持っていました。
シングルマザーの倫理的な問題はともかく、そのような環境だと、子供は張り詰めた心理状態になりやすいことは以前に書いています。
まさに「親に迷惑を掛けてはいけない。」「トラブルになってしまったら対処のしようがない。」と切羽詰った心理状態に陥りやすい。そして、そんな心理が習慣化してしまい自分の気持ちの緩め方がわからない。

張り詰めた心理状態だからこそ、必要以上に「居場所」を求めることになり、それは当人にしてみれば、「家庭内の役割」ということになる。
自分に確たる役割があれば、それなりに落ち着いていられるでしょ?
だからこそ、自分の役割を求める気持ちは、一般の家庭の出身者よりも強い。
実際に、シングルマザー環境で育った人で、実に早婚の人が結構いるでしょ?
それだけ、自分の居場所を求めてしまうんですね。

あるいは、不安定な家庭の出身者は、家庭というものに対して、過剰なまでに憧れや期待をもつことになる。
だから、現実生活でのマイナスが発生してしまったら、それを受け入れられずにパニックになりやすい。

そもそもこの女性が、年上の、がたいの大きい、頼りがいのありそうな男性と結婚したのは、お金の問題だけではないでしょう。それだけ父親的なものを求めていたわけですし、だからこそ、いい家庭を必死で作ろうとし、必死で自分の役割を求めていたのでは?
ただ、必死すぎたのでしょうし、彼女自身が求めているものを、彼女自身が見えていなかったのでは?
彼女としては、愛を求めていた以上に、固有の役割がほしかったのでは?
そして、「自分にどんな役割ができるのか?」それを色々と考えていたのでは?
ただ、強い気持ちで求めても、その思考に具体性がなかったのでは?
求める気持ちが暴走してしまい、一つ一つ確かなものを積み重ねていくことができなかったのでは?

「どんな役割ができるのか?したいのか?」という問いに対する答えは、簡単に出せるものではありませんし、急いで出す必要もないでしょう。
自分なりにゆっくりと考えればいいだけでは?
しかし、こんな事態になると、周囲としては、「クヨクヨするなよ!」とか「考えすぎるなよ!」とアドヴァイスしたりするもの。
実はそのアドヴァイスが危険なんですね。

40歳前後の年齢で人生の曲がり角なんだから、クヨクヨするのが当たり前であり、考えすぎるのが当たり前なんですよ。
周囲としては、その惑いに対してちゃんと付き合うことが必要なのであって、惑うことを否定しては問題から目をそらすようになるだけ。しかし、曲がり角において、目をそらしたらどんな事態になってしまうのか?
そんなことは分かりきったことでしょ?
あるいは、もともと「気の緩め方」がわからない人間に対し、「クヨクヨするな!」というアドヴァイスだと、ますます「気の緩め方」がわからずに困ってしまうことになる。
ヘンな話になりますが、「どうやったら、クヨクヨしないでいられるか。」について、クヨクヨしてしまうことになってしまう。

今回の自殺事件を考えるに当って、介護していたご母堂の死を、「愛するものの喪失」という面よりも、「自分の役割の喪失」という面から見た方が、この女性の喪失感を理解しやすいわけです。
「ワタシって、このままいっちゃったら、何もかもが中途半端になっちゃうなぁ・・・」という漠然として、しかし感情面では切実な不安・・・それが背景にあるとみた方が事態を理解しやすいんですね。

彼女にとって、ご母堂は、関わりのある唯一の肉親といえる存在でしょう。だから、その死はショッキングなことでしょうが、もともと揺れ動いている年代だからこそ、そのインパクトは大きいわけですし、だからこそ、周りも見えなくなってしまう。
しかし、本質は、愛の対象の喪失なのではなく、自分の役割や目標の喪失なんですね。
だから、周囲としては、新たな役割を当人が実感できるまで付き合ってあげる必要があるわけです。

現実的には、母親稼業にシフトしていけばいいだけ。
しかし、そのためには、ベビーシッターの存在がジャマになる可能性も考慮する必要があります。
ベビーシッターがいると、ヘンに遠慮したりして、母親稼業に自分の立ち位置を見出す覚悟も起きにくいでしょ?
そうなると、夫人はその家庭内でお客さん扱いになってしまう。
だから、ますます居場所が薄くなってしまう。
当人に対してよかれと思った周囲の措置も、逆効果になる可能性もあるわけです。
何回も書きますが、今後ずっと続く自分の役割なり居場所を設定しなおすことは、簡単に結論を出せるものではないし、自分を騙すような安直な結論は、いずれはボロが出てしまうだけ。

母親稼業に重心を移すのが、ポピュラーと言えるわけですが、もしかすると、子供が苦手という可能性もあります。
それは、精神的に切羽詰った子供時代を送った人にはありがちなパターンです。
もしそうだったら、母親稼業ではなく、何か別の役割を探す手伝いを周囲の人が行う必要があるといえるでしょう。
まあ、このサイトではボランティアの人をボロクソに書いていますが、そんな活動に自分の役割を求めるのも、一つの方法でしょう。

この女性は母親とは仲がよかったとのことですが、張り詰めた心理を持っていることから見ると、母親との生活で安心感を持っていたとはいえないでしょう。
常に不安と隣り合わせであり、それが40歳前後の惑いの時期に、より大きくなり、そんなところにご母堂の死で、固有の役割までもなくなってしまった・・・そんな流れなのでは?

今回の自殺事件は、ダメダメ家庭の問題と直接的には関りがありませんが、事態を認識し、改善していくには多面的な視点が必要になるもの。
「クヨクヨするな!」とか「考えすぎるな!」とか、いわんや「ゲンキをだせ!」とかのアドヴァイスは、逆に転ぶ危険性も少なからずあるわけで、そんな点も考慮する必要があるわけです。

今回の当事者の女性は、もともと「気の緩め方」がわからない人間で、
年齢的に惑いの時期で、
それまでの自分の役割であった母親の介護がちょうど終わってしまった・・・
という様々な要因が重なっているわけです。
タイミングが悪い状態で重なってしまったのが、悲劇的といえるでしょう。

ちなみに、なんでも夫である松平さんは、なんと7人兄弟の末っ子だとか・・・
本名は、7人目の子供で末っ子なので「末七」という名前なんだそう。これはまた!
ダメダメ家庭出身者にとって、その特質を肯定的にいかせる業界は芸能界くらいであると、頻繁に書いていますが、松平さんは幸運にも、生かすことができたわけです。
子沢山家庭と、シングルマザー家庭の出身者という、似ているとも似ていないとも言える組み合わせですが、この夫婦の心理を理解するためには、やっぱりダメダメ家庭ならではのメンタリティを押さえておく必要があるわけです。

まあ、この私に相談してくれれば、こんな事態にはならなかったでしょうけど・・・
私だったら、「アンタも、心行くまで悩んでみたら?」とか「考えたいだけ考えてみたら?アンタにとっては今はちょうどそんな時期なんだよ。」と回答いたします。
それでも、「死にたい。」とかおっしゃられたら、『死ぬのは構わないけど、その前に自分で納得できる業績なり成果を確認したり、作り出してみたら?』との回答になります。
別に突き放しているわけではなく、当人が本当に納得できるものが出来上がったら、それで十分ですよ。そんな人間を無理に生かしておく必要もないのでは?
逆に言うと、やりたいことが自覚できれば、それこそが、その人固有の役割であり居場所ですよ。

悩んでいる人に対して「死ぬな!」というのは簡単ですが、「アンタのやり遂げたいものは何なの?」というサジェストの方が「残り」の時間は充実できるでしょう。
それが生きるということなのでは?あるは、曲がり角における思考なのでは?
「クヨクヨするな!」とか「死ぬな!」とかの二重否定ではなく、時間が短くても本当にやりたいことは何なのか?それを見つける手伝いをすることの方が重要だと私は考えているんです。 
 R.11/2/4