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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 08年11月27日
タイトル 次はボクの番
21世紀の現在において、人間の死亡原因として大きなものは何でしょうか?
ガン?戦争?あるいは餓死?それともエイズのような新たな伝染性の病気?

以前は、このような死亡原因のリストには結核という病気が必ず並んでいたようです。
だから、結核患者を登場人物とした芸術作品もあったりします。
芸術作品だけでなく、日本でも新撰組の沖田総司とか・・・作家の太宰治とか・・・結核持ちの実在の有名人がいるでしょ?

結核の人が療養する施設、いわゆるサナトリウムを舞台とした文芸作品もありますよね?
有名なのはドイツの文豪トーマス・マンの作品「魔の山」です。この私が言うのもなんですが、実に長大な作品です。文庫本で1000ページは行くでしょう。
有名な作品だから、購読者の皆様の中にも、お読みになった方もいらっしゃるかも?
というか、皆様も、お正月休みにでも、この手の長大な作品を読んでみたら?

サナトリウムは、結核の療養施設だから、基本的には治療を目的にしています。しかし、残念ながら、全員が完治して、その療養所を後にできるわけでもありません。その療養所でお亡くなりになってしまう患者さんもいる。
患者同士の交流の中で、今まで一緒に治療し、そしておしゃべりをしていた患者仲間が、病状が悪化してお亡くなりになる・・・
いたし方がないとはいえ、やっぱりショック。
お亡くなりになるのは、一番重症だった患者さんであることが通例。

一番重症だった患者さんがお亡くなりになると、2番目に重症の患者さんが考えることは決まっていますよね?
「あ〜あ、次はボクの番なんだろうなぁ・・・」

これが、別の患者さんが、たまたま足を滑らせて死んでしまったような事態なら、「次にはボクの番だ!」とは思わない。
自分が直面している状況とまさしく同じ理由で、お亡くなりになったから、インパクトがあるわけ。

このようなことは、皆さんも理解できるでしょ?

さて、このメールマガジンでは時事ネタを取り上げることもあります。
その事件そのものの解説を意図しているわけではありませんが、なんと言っても、皆さんが関心を持っているので、その共通の関心なり知識を元に解説すると実感として理解しやすい・・・これは確かでしょう。

さて、先週に起こった厚生省次官経験者への事件ですが・・・
かわいがっていた犬を保健所で処分された逆恨み・・・なんて報道があったりしますよね?
ペットロス症候群とか・・・
いつものように、「識者さん」が、言葉の上では、もっともらしい理屈を言っている。

それに対し、「ペットロスの悲しみはわかるけど、殺人事件を起こすほどのものなのか?」
あるいは、「そんな30年以上前の事件が犯行の理由になるのか?」
そんな指摘があるようですね?

かわいがっていたペットを亡くした悲しみ・・・そんな言葉はいいとして、重要なのは、そのペットと、飼い主の関係です。ペットと飼い主の関係なんて、色々なパターンがあるでしょ?
その関係性を議論することなしに、ペットの喪失だけを議論するなんてナンセンスですよ。

ダメダメ家庭というものは、動物をかわいがらないことが多い・・・このことについては、以前に配信しております。そもそもダメダメ家庭というものは、精神的に余裕がないもの。だから経済的に役に立たない存在と言えるペットなんて縁がない。そもそも自分の子供にさえ愛情を持たない人たちなんだから、ペットへの愛情どころではありませんよ。

「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と日頃から子供にグチっている親なんだから、わざわざペットを飼うなんてしない。
とは言え、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。何も考えずに行動したりするもの。
ペットだって、何も考えずに飼い始める・・・そんなこともあったりするわけ。
別の言い方をすると、最後まで面倒を見るという責任感がないがゆえに、気軽にペットを飼い始めることになる。

何も考えずにペットを飼い出した状況下だと、子供にしてみれば、ペットとはどのような関係になるの?
こうなると、ペットと子供は、ダメダメ家庭の内で父親によって支配されている、「同病相哀れむ同士」の関係になるわけ。まさしく、結核病棟での重症患者同士の結び付きようなもの。あるいは、戦争において、同じ部隊で敵と向き合って戦っている戦友のようなもの。
ペットは動物ですからそのように認識しているわけではないでしょう。しかし、父親からの抑圧状況にある子供としては、そのような認識を持っているわけ。ペットに対して一種の入れ込み状態になっているわけです。

そのような状況で、一番重症というか一番序列が低い存在と言えるペットが保健所に連れて行かれたら、残された子供としては、当然のこととしてショックは大きいでしょ?
家庭内で、それまで2番目に低い序列だった子供が考えるのは、「次はボクが連れて行かれるんだろうな。」と言うことになってしまいますよ。

犬を連れて行かれた子供の感情は、「悲しみ」とか「喪失感」のようなものではなく、「次はボクの番だ。」という「恐怖心」なんですね。

それこそキャンキャンと吼えていた子犬が、そんな目にあったんだから、それからは、その子供は親には何も言えませんよ。
子供が親の行動から受け取ったメッセージは「オレに逆らったら、次はオマエがこうなるんだぞ!」となるわけ。
まさしく「連れて行かれない」ように、「いい子」でいないといけなくなってしまう。
こうなると、前回書いたような「張り詰めた風船」状態となってしまう。だから、ポンっというか、ドッカーンとなってしまう。

これが、かわいがっていた犬が散歩中に、ネコイラズでも食べてしまって死んでしまった・・・と言うことなら、「悲しみ」はあっても、「恐怖心」にはならないわけ。まあ、「識者さん」が想定しているペットロスの悲しみは、そのようなものを想定しているんでしょうね。
犬とその子供が、「父親による強圧的な支配」という同病だからこそ、そして、その父親によっての殺害であるがゆえに、インパクトが大きいわけです。

ここで、その父親を殺せば何の問題もないわけですが、ダメダメ家庭ならではの自己逃避で、結局は遠くのものを犯人認定してしまう。自己逃避であるがゆえに、自分自身と関わりが薄いものを犯人認定してしまうわけ。そしてその認定した犯人に対して復讐することで、その犯人認定を自分の中で確定させるわけ。しかし、それは論理的に無理があるでしょ?その無理な論理を自分に納得させるために、その殺害に当たっては「劇場的な」スタイルになるわけ。
劇場的で巨大な儀式によって、自分自身をだまし納得させるわけです。

今回の事件で登場した「犬を保健所に連れて行く」行為についても、その行為の以前における、父親と子供の関係について目が届かないと、トンチンカンな議論になってしまう。
それこそダメダメな親は、被害者意識が強く、子育ても親である自分がこうむった被害と考えている。
だから、ダメダメな親は、子供に対して「オマエを育ててやっている。」という恩着せがましい態度。
つまり「今は、たまたま気分がいいから、オマエを育ててやっているけど、将来はどうなるかわからないぞ!」そんな態度がありありなんですね。

そんな家庭では、以前に配信いたしましたが「殺さないことへの感謝」を子供に要求する始末。「今はオマエを殺さないでやるから感謝しろよ!」そんな言葉が飛び交っている。
そんな言葉も、法律的には何の問題もないでしょ?
あるいは、これも以前に配信しておりますが、子供の目の前で、ぬいぐるみのようなものを殴ったり蹴ったりしても、法律的には何の問題もありません。しかし、子供としては、「ぬいぐるみの次に殴られるのは・・・ボクなのか?」と戦々恐々となるでしょ?
あるいは、以前に配信いたしましたが、そんなダメダメ家庭ではそれこそ「赤ちゃんポスト」に投げ入れる・・・そんな姿勢が親としてデフォルト状態となっている。だから「今のところは、オマエをポストに入れないでやっている!」と恩を着せるわけ。そんな状況下で、「同病」の子犬が、つまり同じ危機を共有している犬が、まず最初に、保健所ポストに入れられてしまったんだから、インパクトが大きいのは当然でしょ?

子犬を保健所に連れて行く・・・そんな行為も、それ以前からの状況によって、子供へのインパクトが全然違うわけです。
ダメダメ家庭においては、そんな光景を見せられた子供は、「次にはボクの番だ。」と恐怖心を持ち、ヘタをすれば「やられる前に、やらないと!」と切羽詰ってしまう。
とりあえずは、そんな自分自身の心情を騙しながら生きていても、いずれは騙しきれなくなって爆発してしまうもの。

マトモ家庭においては、お互いが信頼感を持っている。しかし、ダメダメ家庭においては、信頼などというものは存在せず、あるのは問答無用の命令と服従の関係のみ。
頻繁に書いていますが、ダメダメ家庭の親は、子供にとっての支配者であって、保護者ではないわけです。
そのような状況下では、「犬を保健所に連れて行く」行為は、まさしく「見せしめ」なんですね。あの父親がそのようなことを意識していたわけではないでしょう。しかし、「都合の悪い存在を除去する」という姿勢は、内心では持っているわけ。
そしてそんな精神が、普段から子供の前で示されているわけです。
だから、子供としては父親に対しての恐怖心で支配されている状態。
日頃から持っている親への恐怖心を理解できないと、今回の犯人の心理は理解できないでしょう。

その「犬を保健所に連れて行く」行為によって発現した恐怖心は、一種のトリガーに過ぎないのであって、その前に、多くのダメダメな姿が、そして子供の恐怖心が、子供の中で積み重なっていたわけ。そして、その後もどんどんと積み重なることになる。

ダメダメ家庭の子供は日頃から精神的に不安定状態。不安定だからこそ、ちょっとのことで大きなダメージとなってしまう。安定していれば、大きな事件があっても、「揺れる」くらいで済みますが、元々が不安定だったら、ちょっとのことで倒れてしまうのは、どんな分野でもそうでしょ?

ひとつの事件が与える影響度合いは、その前の状態に依存するもの。
その前から不安定だからこそ、甚大な影響になってしまう。
だからこそ、更なる甚大な事件につながるわけ。

今回の事件についても、いつものように「識者さん」がトンチンカンなことをおっしゃるのでしょうが、ダメダメの基本を押さえておくと、実に簡単に理解できるものなんですよ。

(終了)
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発信後記

今回の事件も、ダメダメのお約束を理解していると、実に簡単に理解できる事件でしょ?

何でも今回の犯人は、大学時代から霞ヶ関の高級官僚を敵視していたそうですが、本来はそれもヘン。
佐賀大学の学生が、どうして高級官僚を敵視するの?
関係ない存在でしょ?

しかし、霞ヶ関の高級官僚を、「上の立場から、下の立場の存在に問答無用に命令を下す存在」の象徴とすると、そのような敵視も理解できるようになるわけ。
いわば、霞ヶ関の高級官僚と、自分の問答無用な父親が心理的につながっているわけ。
そして自分自身の父親への敵視が、アンタッチャブルになってしまっているので、高級官僚を敵視することで、父親への敵視の代償としているわけ。

このような「心理的なつながり」「心理的な代償行為」は、以前に鳥取大学の学生が、「霞ヶ関、東京タワー、秋葉原」の3箇所を爆破する予告を、インターネットの掲示板に書き込んだ事件を考えた際にも書いたことがあります。東京タワーも、「上の位置から、下の存在に命令を下す存在」の象徴とみなすことができますし、そもそも、あの種の塔は、フロイト的に見ても、父親という存在とつながっていることは簡単にわかること。

今回の事件の犯人も、深層心理的には、父親への殺意があって、それがアンタッチャブルになっているので、「似ている」存在を、代わりに殺害しただけなんですね。

ダメダメ家庭の事件を考えるに際しては、「何を言っているのか?」「何をしたのか?」から考えるのではなく「何を言おうとしないのか?」「何をしようとしないのか?」その点が本質であることは、このメールマガジンで頻繁に書いています。犯人が何も言おうとしない父親との関係が、この事件を理解するための鍵となっているわけ。
今回も、そのお約束そのもの。

そして、マスコミなり「識者さん」が騒いだ挙句、そんな連中が的確な見解を示すことができないのも、やっぱりお約束でしょ?
R.10/12/15