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カテゴリー ダメダメ土曜講座(人物編)
配信日 08年12月27日 (10年12月21日 記述を追加)
タイトル 少年隊の東山さん
先日配信文章の後記でも触れましたが、ジャニーズの「少年隊」の東山さんが「ボクは父親の顔も知らない。」とかの内容の手記を週刊誌に発表したんだそうです。
このメールマガジンでは、芸能界は、ダメダメ家庭出身者にフィットした業界である・・・そのようなことを頻繁に書いています。

私個人は、ジャニーズとか少年隊とか東山さんといってもピンと来ません。
ちなみに東山さんは、芸能人だけであって容姿端麗であり、そして立派な筋肉を持っているんだそう。日々その肉体の鍛錬をやっている人なんだそう。
ちなみに、彼は40歳過ぎても独身とのこと。

さて、芸能人とダメダメ家庭との関わりについては、アナトール・フランスの小説「タイース」を取り上げて、考えております。
まあ、その東山さんの境遇も、上記のタイースとよく似ていた感じ。逆に言うと、だからこそ芸能界で活躍できるのでしょう。
ちなみに、その東山さんの両親はどんな人だったのでしょうか?

子供である東山さんが、「容姿端麗」で、「運動能力が高い」ということは、親もそのパターンだったんでしょうね。
逆に言うと、東山さんの親は、会話の能力ではなく、容姿や運動能力で、結婚相手を選択したと言えるでしょ?

彼が父親の顔を知らないのはいいとして、そんなオトコを結婚した母親も、まあ、ダメダメ。自覚がないと、また同じような結婚をやってしまう。
そんな家庭で育ってしまうと、「肉親の情」というものを理解できないような人間になってしまう。
あるいは、そんな家庭の子供は、人に「甘える体験」ができない。
親がダメダメであるがゆえに、「オトコ運、オンナ運」もなくなってしまう。

これでは、東山さん自身が、自分の家庭を持ちたいとは思えなくなってしまいますよ。

父親の顔も知らないのはいいとして、じゃあ、父親の「写真もない」の?
写真があれば、顔はわかるのでは?

さて、その東山さんは、40歳過ぎて「自分は父親の顔も知らない。」とカミングアウトしたわけですが、じゃあ、どうして今までそのことについて語らなかったの?

ダメダメ家庭においては、「苦労自慢、不幸自慢」が多いことは以前に取り上げております。
その人の唯一のアイデンティティが「自分はかわいそうな被害者だ。」ということだけになってしまい、そればかりを語るようになるわけ。
不幸自慢を聞かされ続け、そんな親を見ているので、逆に言うと、不幸自慢につながるような行為をすることには躊躇することになる。
ダメダメ家庭出身者は、「親と似ているところを嫌がる」ことが多い。

さて、その東山さんは、肉体の鍛錬をしているそうですが、男性タレントだから肉体の鍛錬となる。しかし、女性タレントだったら、過激なダイエットのパターンに近い。
過激なダイエットの結果、お亡くなりになった芸能人が、カレン・カーペンターです。

この手の人は、甘える体験が出来ていないので、自分の「弱さ」との付き合い方ができない。だからこそ、完璧でないと気がすまないようになってしまう。肉体の鍛錬くらいならともかく、ダイエットを完璧にやると死んでしまうことになる。
東山さんも、女性だったら、拒食症になるパターンなんですね。

あるいは、甘えることがヘタなので、この手の人は、異性とやり取りするにせよ、絶対に恋愛関係にならない人を選んだりするもの。なんでも、東山さんは女優の森光子さんと仲がいいとのことですが、あのようなお婆さんだと、ベタベタした恋愛関係にならないという安心感があるんでしょうね。それだけ、恒常的な人間関係が心理的に負担なんでしょう。人と距離を取りたいんでしょうね。

森光子さんのようなおばあさんへの親近感は、方向性においては全く逆のパターンと言える少女性愛との相似性を想定することからも理解できる面があります。
不思議の国のアリス」を取り上げた文章において、その作者のルイス・キャロルの少女性愛を考えておりますが、少女性愛は、「女性の論理」は好きでも、「女性の実体感」は、どちらかというと不快・・・そんな「意味」と「論理」が乖離した心理的状況を想定すると、理解できるもの。
その点においては、おばあさんへの親近感も共通しているといえるでしょう。
「オンナ臭さムンムン」にどうしても抵抗があれば、そうなってしまうのでは?
まあ、森光子さんは、その年齢なんだから、もはや「オンナ臭さムンムン」というわけにはいかないでしょう。逆に、その点に安心感を持ってしまう男性もいるんでしょうね。

当然のこととして、男性にとって、女性の実体感の原体験は、自分の母親となります。
つまり、東山さんは、それだけ自分の母親に対する心理的な抵抗感が大きいということなんでしょう。
まさに、「処女であり、母親であり、女王であり」という「永遠に女性的なもの」は求めていても、実体として女性的なものは苦手なのでは?

ちなみに、その記事で私のような人間が注目するのは、ちょっとした記述の方です。
たとえば、両親の離婚後、子供時代の東山さんを連れた母親は、離婚した夫の実家に身を寄せたそう。
しかし、それってヘンでしょ?
離婚したのなら、自分の実家に戻るのがスジというもの。つまり東山さんの母親の実家も重症のダメダメ家庭といえるわけ。

あるいは、その手記をまとめる際に、東山さんは母親に電話で確認したそう。
しかし、本来なら、電話ではなく、直接会いに行ってもいいのでは?折角の機会なんだし・・・
つまり東山さんは、深層心理的に自分の母親を嫌っているわけ。
まあ、それは、ある意味において当然のこと。
ただ、そのことを東山さんご自身は、まだ自覚していないのでしょうね。

ちなみに、東山さんは「父親の顔も知らない」とのことですが、それほどのダメダメなら、逆に言うと、自覚もしやすい。退路を断って、前に進むしかありませんよ。
しかし、祖父母の顔を知らないくらいの程度だったら、逆に、自覚が難しくなる。

親との関係がダメダメなのを自覚するのが難しいように、祖父母との関係がダメダメなのを自覚することも難しいもの。
本来なら、もし、祖父母がもう他界している状態でも、写真くらいはあるでしょ?
親の子供時代の写真に、祖父母も写っているでしょ?
だから、マトモ家庭では、祖父母の「顔も知らない」ということは、ありえないわけ。

あるいは、祖父母の顔は知っていても、名前(下の名前)を知らないという程度のダメダメもありますよね?
ダメダメ家庭においては、祖父母が存命であっても、交流はほとんどない。だから苗字は知っていても、名前は知らない・・・そんなケースもあったりする。マトモな家庭なら、親との会話で、親の子供時代の話も出てくるでしょ?その時には、祖父母の名前くらいは、子供から聞くのでは?そんな会話もないの?
これくらいのレヴェルだと、自分の家庭がダメダメであることの自覚が難しくなってしまうわけです。

ダメダメ家庭は「祖先に関する情報」を子供に伝えないもの。
祖父母という存在を、祖先というカテゴリーとしてはわかっても、まさに祖父母の「顔が見えない」状態になっている。
父親レヴェルで「顔が見えない」のは一般的にはタイヘンなデメリットですが、それくらい重症だと、ダメダメの自覚においては、自覚につながりやすい分、メリットであるともいえる。

東山さんも、自分の弱さとの付き合いができずに、人に甘えることができない人間なんでしょうね。
自分の弱さを発見すると、「これって、自分の親と同じじゃん?!」とパニックになる可能性もある。しかし、40歳を過ぎているんだから、色々と弱いところも出てきますよ。
それとどのように向き合うのか?
その一つとして、今回の手記があるんでしょうね。

まあ、彼と結婚するような女性は、それくらいはわからないとダメでしょう。
よく「あの人のことをわかってあげられるのはワタシだけ!」なんて言いながら、芸能人に対してストーキングする人がいますが、「自分こそが理解者だ!」と思い込みを持つと、そんな行動をするのかも?

しかし、ある領域においては、理解者というものは、協力者にはなりえない。一般人なら「理解者=協力者」となるわけですが、極限の領域においては、苦悩を理解できる鋭敏な人は、理解者になりえても、困難な現状を打開する力はない。
理解者と協力者は違ったもの。その違いを理解することが、本当の理解者の第一条件となる。しかし、そんな鋭敏な理解者との共同生活が、自分が前に進むために有効か?というと別問題。前に進むためには、理解者ではなく協力者が必要になってくる。
しかし、自分を理解してくれない人との共同生活なんて、特にそんな過去を持った人には苦痛でしょう。

じゃあ、どうするの?

そう聞かれても、この私にもわかりませんよ。
だから、考え続けるしかないんですね。

(終了)
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発信後記

少年隊の東山さんを取り上げるということで、彼のファンの方の中で、多少は心配なさった方もいらっしゃったかも?
なんと言っても、この私が切れ込むと、とんでもないことを書く可能性がある。

とは言え、私としては、自覚から逃避している人に対しては、厳しい切り口ですが、真正面から自分自身と向き合っている人に対しては、むしろ暖かい切り口でしょ?

本文中にも書きましたが、父親の顔も知らないとなると、サスガに自分の出身家庭の問題が自覚しやすい。しかし、祖父母レヴェルになると、自覚するのが難しくなる。
しかし、祖父母の名前を知らないとなると、やっぱりマトモとは言えないでしょ?
そうなったら、ちょっと自分自身の出身家庭について考えてみた方がいいわけ。
R.10/12/21