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カテゴリー | 弁解と謝罪 | |
配信日 | 05年7月18日 (10年7月20日 記述を追加) | |
タイトル | 何かと謝罪させたがる | |
ダメダメ家庭は強い被害者意識がある。 当事者意識がなく、「自分自身で問題を解決する。」という発想がないので、上手く行かないことがあると、自分が受けた「被害」と認定してしまうわけ。 このような強い被害者意識を持った人間を喜ばせる言葉というと、まずは同情の言葉があります。 「まあ!アナタはなんてお気の毒なの!!」 そんな同情の言葉を聞くと、自分自身の被害者意識が心行くまで満足されるわけ。 「そうなのよ!ワタシって、お気の毒な被害者なの!!」 「やっぱり、この人もそう思ってくれているのね!」 だからと言って、そんな同情の言葉で問題が解決するわけもありませんよね?そうやって事態がますます悪化して、ますます被害者意識を膨らませることになる。 同情の言葉がダメダメ人間の心の栄養であるように、別の種類の言葉もダメダメ人間に満足を与えるものです。 それは、謝罪の言葉。 「あの時はごめんなさい!」 「もういたしません!」 「ご迷惑をおかけして申し訳ない!」 被害者意識の強いダメダメ人間は、こんな謝罪の言葉を聞きたがるものなんですね。 だって、このような謝罪の言葉を言われたらどう思うのでしょうか? 「ワタシはこの人による被害者だ!」 そのように自分の立場を納得できるでしょ?謝罪したということは、その人が自分の『加害』を認めたということでしょ? 逆に言えば、自分自身が被害者の立場であることを確認させるために、被害者意識が強いダメダメ人間は執拗に謝罪を求め続けるわけです。 もちろん、謝罪の言葉を言わせることによって、相手に対し「加害者意識」を植え付ける効果もあるわけ。そちらの面は、意識的にやっているわけではないでしょうが。 それこそ自分の子供を虐待しているような親は、往々にして、子供に「ごめんなさい!」という言葉を言わせたがるわけ。 実際に、子供の「ごめんなさい!」との声がよく聞こえていたと、「事件の後で」報道されたりするでしょ? 前にも書きましたが、児童虐待の『現場』では、子供を殴っている親が「被害者」で、殴られている子供が「加害者」という認識になっているものです。その前提を無視して周囲が介入すると、「またコイツのせいで面倒をかけられた!」と、親の被害者意識に余計に火がついて、虐待が進行してしまうわけです。 実際に虐待する親は、まさに「ごめんなさい!」という言葉を子供に言わせるために虐待する面もあるわけ。子供に「ごめんなさい!」と言わせることによって、親である自分自身が「子供による被害者である。」ことを確認するわけです。 虐待されている子供が言う言葉は、「もうこんなことをしないでよ!」という哀願の言葉ではなく、「もうこんなことはしません!」という謝罪の言葉なんですね。子供の方が虐待されて謝罪する。ダメダメ家庭の現実はこんな面が強いわけ。 そんな環境で育っているので、子供だって加害者意識を持ってしまう。だって毎日のように「ごめんなさい!」って親に対して言っているわけでしょ?いわば、心理的な刷り込み状態。 実際に、ダメダメな家庭ほど、子供は加害者意識を持っているもの。それだけ親の被害者意識が強いことがわかるわけ。 同じようなことは、韓国が日本に求める謝罪でも顕著ですよね? 韓国人は、とにもかくにも、日本に謝罪をさせようとするでしょ? そんな要求は、被害者意識が強いダメダメ人間の発想とすれば、実にポピュラーなものなんですね。韓国人は児童虐待をする親と全く同じメンタリティーというわけです。 謝罪の言葉はダメダメ人間には絶対に必要なもの。その言葉がないと生きていけないほどに。 こんな環境で育ってしまうと、大人になって、相手に対して執拗に謝罪を求める人間になるのは、いたし方がないわけ。当然のこととしてクレーマーにもなりますよ。 クレーマーは、まさに謝罪の言葉を「聞き続けたくて」クレームし続ける面が強いでしょ?決して事態を解決しようとはしませんよね? 「自分自身がどんなにお気の毒な被害者か!!」 「それをみんなにわかってほしい!」 そんな発想は、ダメダメ人間の典型的メンタリティーと言えますが、そんな発想に同情する人間も、同じような人間。本人はどう考えようと勝手ですが、そんな人の子供はどうなっているのかな? イラクなどに出かけてグチに同情して、いい気分になっている熱血ボランティアが、どのように行動しようと、その人の自由ですが、そんなグチを大人から聞かされ続けている子供のことを考える知能はないのかな? あるいは、親の側から「ごめんなさい!」と『言わされ』続けたので、その家庭がダメダメであるほど、つまり親がダメダメであるほど、子供は親に対して加害者意識を持ってしまっている。まさに「これ以上は、親に迷惑をかけられない!」そのように切羽詰っている。だからこそ、そんな切羽詰った心情を共有し合えるもの同士が一緒になり、結婚し、結局はドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になってしまう。そして、夫から暴力を振るわれても、女性の側は実家に助けを求めない。だって「親に迷惑をかけてはいけない。」という、いわば洗脳状態にあるようなもの。逆に言うと、そんな心情を持っているがゆえに、同類同士とくっついてしまったわけ。 その問題を自覚しないままと、同じような人種であるボランティアに利用されて、「こんなお気の毒な人を助けたワタシって、なんていい人なんだろう?!」というネタにされるだけ。 そしてボランティアの連中の心楽しい居場所にされてしまうだけ。 ボランティアとしては、ネタとして、有効に利用するためには、事態を改善されてしまっては、もう利用できないでしょ? だからこそ、過剰なまで同情の言葉を掛けることになる。 「まあ、アナタって、なんてお気の毒なの?!」 「だから、何もしなくてもいいのよ!」 その言葉を受けて、「被害者さん」は、自分では何もしない。 そうやって利用され続けることになる。 そして、そんな構図は、いわゆる新興宗教でもまったく同じでしょ? ドメスティック・ヴァイオレンスのような状況では、いわゆる被害者も、加害者も、そして介入するボランティアも、あるいは、宗教団体でも、親の問題はアンタッチャブルという点において、心理的にはまったく同じ。 ドメスティック・ヴァイオレンスの状況における「親に迷惑をかけられない。」という言葉は、親への愛情を意味しているわけではないわけ。 むしろ「親への恐怖心」なり「親とやり取りしたくない!」という嫌悪感に近いもの。ただ、そんな自分自身のマイナスの感情を抑圧しながら生きていたので、その感情が自覚できずに、周囲に対して通りがいい言葉となっているだけ。あるいは、自覚できていても、それを周囲に対して説明する意欲もないし、周囲に対して信頼感もない。自分が真摯に説明して、その説明を受けた側がちゃんと対処し事態が解決した・・・そんな成功体験を持っていない。そもそも親と相談したこともないんだから、相談の仕方もわからない。だから、「とりあえず」の通りのいい言葉を並べているだけ。 親に対して加害者意識があるがゆえに、ダメダメ家庭の子供ほど、「親をかばう」ことになる。 まさに親から虐待を受けているがゆえに、「親をかばう」わけ。 そんな子供の姿を、ボンクラな大人は、子供からの親への愛情を誤解してしまう。だから、適切な対処をせずに、児童虐待の家庭に戻し、結局は子供が死んでしまうことになる。 そもそも、子供が親に対して加害者意識を持っていること、それ自体が異常なことなんですが、その異常性に気がつく大人は、ほとんどいない。 しかし、子供が謝罪なれしていたら、危険サインなんですね。 それだけ、謝罪を要求されているダメダメ家庭ということを意味しているわけですからね。 謝罪の背景に、被害と加害の構図があるわけでしょ? そのような構図でスグに物事を見ること、それ自体が、事件の心理的なバックボーンなんですね。 だから、ダメダメ家庭のみならず、ダメダメな地域ほど、この手の、謝罪要求が頻発することになる。 それこそ、以前に起こった長崎県の小学校6年の事件のように、周囲の大人は、当事者の子供に対して、何とかして、反省の言葉を言わせようとしますよね? 逆に言うと、その当事者の子供が、謝罪なり反省の言葉を口にすることにより、「悪いのは全部、あの子供のせい。」となることになってしまい、周囲の大人としては「ああ!ダメな子供がいるせいで、こんなに困ったことに?!ああ!オレたちって、なんてかわいそうなんだ?!」と嘆くだけになってしまう。 そして、そんな大仰な嘆きによって、ますます自分の被害者意識に浸ってしまうわけ。 謝罪の言葉を言わせることによって、大人の側は「オレたちは悪くない」と確認し、そして、何も対処しない。 本来は、謝罪と言うのは、相手に強要するのではなく、相手が自発的にやったら、それを受け入れるものでしょ? 逆に言うと、子供に謝罪させることによって、大人としては思考を停止できるし、事態について、別の人に対して説明しなくてもいい。 しかし、そんなことが習慣化してしまうので、「何か事件が起こったら、当事者を謝罪させればいいじゃないか!」というズボラな雰囲気になってしまって、「トラブルが小さいうちに対処しておこう!」という発想がなくなってしまう。 だからこそ、小さなトラブルが蓄積し、結局は、あの長崎の事件のようにドッカーンとなってしまう。 そして、実際に大きな事件が起こった後で、やっぱり事件の当事者に対して謝罪を強要することになる。 かと言って、「子供が困っていたのなら、周囲の大人に対して、フランクに話しかけるようにしなければ・・・」「子供たちは、どうして我々に相談してくれなかったのかな?」という発想はしないわけ。 後になって、謝罪を強要させるところほど、同類の事件が起こっているものでしょ? だって、その手のダメダメ人間における謝罪は、犯人確定の儀式に堕しているわけ。 いわば、つるし上げのようなもの。 事件後の周囲の人の対応を見るだけで、その後にも同類の事件が起こることも予想できたりするんですね。 謝罪を強要する姿は、その人たちの被害者意識を十分に示しているもの。 つまり、当事者意識の欠如も示している。だから、自分たちで予防しようとは考えない。 そんなところからは、早めに避難しておかないと、トラブルに巻き込まれるだけなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 大阪でスノーボート(だったかな?)のオリンピック候補の女の子の選手が、用具メーカーともめているそうです。このままではオリンピック出場も危ういとか。 インターネットに簡単な記事が載っていましたので、読みましたが、前途多難ですね。 この事件にもダメダメ家庭の要素がテンコ盛りです。 1. 大阪(別に大阪すべてがダメダメではありませんが、この手の事件は大阪が多い。) 2. 被害者意識・・・その少女は用具メーカーに意図的に妨害されている、と主張しているようですが、そんな発想は典型的なダメダメ家庭の被害者意識。 3. 会話の能力の欠如・・・用具が自分に合わないのなら、用具メーカーに自分でわかりやすく説明すればいいじゃないの?その説明がわかりにくかったら用具メーカーだって対応ができませんよ。挙句の果てに逆上されてしまったら、始末に終えませんよね? 4. 血縁にこだわる・・・その少女のコーチは実父とのこと。会話の出来ないものは、会話がなくても成立している縁から、一歩も進展がないのは、ダメダメ家庭のお約束。 5. 兄弟仲が悪い・・・その少女の兄は、さっさと家を出て、父親とは折り合いが悪そう。まあ、お兄さんは賢明な判断ですね。しかし、兄妹が絶縁状態というのも、ダメダメ家庭のお約束。それだけ共有している過去が不快というわけ。 6. 名前がヘン・・・10代の少女で、スノーボードの選手だったら許される名前かもしれませんが、一般的な職業には就けない名前ですよね? トリノのオリンピックに出場できないことは、この少女にとって大変につらいことでしょうが、現状を中途半端に容認してしまっていると、後々取り返しがつかなくなりますよね。 大体、用具メーカーともめるような人間を、サポートしようと考える別の用具メーカーがあると思っていたら、常識ゼロ。その会社と別れるにしても円満に別れる必要があるでしょ?10代の少女にはそんな判断が出来ないのかもしれませんが、父親は何やっているの? 情緒不安定の年頃の女の子を前面に出して、父親でコーチの人は後ろから見守っている・・・なんて、そんな状態でうまくいくわけがありませんよね? まあ、そのような社会能力がないので、自分の子供にしがみついているんでしょうが。 |
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R.10/7/20 |