トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る | |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ | 事件系のチョイス |
カテゴリー | トラブル発生時の行動 | |
配信日 | 05年6月15日 (10年9月20日 記述を追加,11年1月12日 一部分を分離独立) | |
タイトル | 事件後に大騒ぎ | |
追記 | 元の文章から 「語られない人」という部分を分離独立いたしました。(11年1月12日) | |
「ダメダメ家庭は、当事者意識がなく、被害者意識だけがある。」って、「いつも」の書き出しですが・・・ 当事者意識がないので、普段は何もしない。 しかし、いざ、ことが起こると被害者意識に火がついて大騒ぎすることになる。 「ああ!アイツらのせいで、ワタシはなんて不幸な目に会うんだ?!」と言ったところ。 これについては、長崎県の「新しい」方の事件で典型的に見られましたよね? 逆に言うと、事件後に大騒ぎするような人間は、「事件が起こらないように普段から準備する。」と言った人間ではないことが見えてきます。「事件が起こらないように、普段から準備する。」人間だったら、たとえ事件が起こってしまっても、「自分の準備のどこが至らなかったのだろう?」と反省したりするでしょ?とてもじゃないけど、大騒ぎする余裕なんてありませんよ。 このことを非常に意識させられたのは、以前にあった、とある国会議員の自殺でのことでした。 その国会議員は母親が在日韓国人とのことでした。 その国会議員が自殺した後で、その母親が「息子がこうなったのは、周囲の差別が原因だ!みんな日本人が悪いんだ!」と大仰に嘆き悲しんでいました。 多くの人は、その国会議員が韓国系だとは知らなかったはず。私も知りませんでした。普段は関係ありませんものね。 それに、差別が本当にそんなにヒドイのなら、国会議員にはなれないでしょうし、それこそ祖国に帰るのがスジというもの。 「差別だ!」と大騒ぎするのはともかく、その母親の大仰な嘆きそのものが、自殺の原因を示していたりするもの。 だって、「悪いのは全部○○のせいだ!」という母親に育てられた政治家って、何かと大変でしょ?まだ、野党に入って「政府はケシカラン!」と文句を言っているだけだったら、問題はありません。しかし、その政治家は自民党所属。つまり、与党政治家(当時)です。政府に対して文句を言っているだけでは話にならない。 法律を作って、政策を実行していかなくてはならない。逆にそれがしたいからの与党議員なんでしょ? 法律を作って、政策を実行しようとする段階になって、彼としても考えたでしょう。 「この政策を実行すると、国民の生活はどうなるのだろう?」 「多くの国民は、この政策で生活が向上するはずだ・・・」 しかし、文句ばかり言っているダメダメ人間は、どんな「いい政策」を実行しても、やっぱり文句ばかり言っているんだろうなぁ・・・ 実際そうでしょ?文句ばかり言っている人間は、どんな援助を差し伸べても、自分では何も努力せずに、相変わらず文句ばかり言っているもの。 それこそ、進学に際しての奨学金の制度を充実させても、ダメダメな親はそんな制度を利用しようともせずに、「政府は経済的な困難にある子供たちを援助すべきだ!」とべき論で文句を言うだけ。結局は、国によるサポートもダメダメ人間には意味がなくなってしまう。 それはしょうがない。政府が「箸の上げ下ろし」まで管理するわけには行きませんからね。 ダメ人間は放っておくしかない。 そうなんですが・・・自分の政策の対象外となってしまうダメダメ人間が、よりにもよって自分の親だったら不幸ですよね? どんな政策を考えても、「どうせオレの母親は相変わらず文句ばかり言っていて、この政策の効果もないんだろうなぁ・・・」と思ったらツライですよ。何をやっても、自分が一番よく知っている人には何も効果がないことが事前に予想できてしまう。そりゃ、死にたくなるでしょ? 何も韓国系だからダメというわけではありませんよ。韓国系でも「自分でできることはちゃんとやり遂げる」人だっているはずです。問題なのは民族云々ではなく、発想のスタイルなんですからね。しかし、そんな、自身が持つ「育ちの悪さ」って、政治家としての活動を積めば積むほど意識せざるを得ないはずです。 たまに母親と話をしたら、グチばかり言われる。 自分の母親は「悪いのは全部日本人のせいだ!」と言いながら日本に住んでいる。 そして「日本人に負けないようにガンバレ!日本人を見返してやれ!!」と対抗心をあおるだけ。 しかし、同僚議員で育ちのいい人は「ボクは国民のために命を懸けて働くつもりだ!」と高貴なオーラを出しながら語ったとしたら? そんな高貴なオーラを浴びながら思うのは、 「ああ!オレって、何てチッポケで惨めな男なんだろう!」 これに決まっていますよね? そりゃ、死にたくなりますよ。 片や国家や国民のためにがんばる同僚、片や「ねたみ」や対抗心のためにがんばる自分。 それを親に相談しても、やっぱり「ひがみ根性」を炊きつけられるだけ。 確かに政治はキレイ事だけでは片付くものではないでしょう。しかし、キレイ事なしでも済まないでしょ?信念を持ってキレイ事を語ることができないと、単なる権謀術数で終わってしまうでしょ? しかし、育ちの悪い環境で育つと、信念を持ってキレイ事を語ることに心理的に困難を感じてしまうようになる。 「どうせ所詮は○○さっ!」そんな親の言葉ばかりを聞いて育ったわけですから、そのような信念を持つことが難しくなっちゃうでしょ? 彼の自殺の後で、マトモな家庭出身の同僚議員は「こうなる前に、どうしてオレに相談してくれなかったのか?」と残念に思った人もいたでしょう。 しかし、そんな育ちのいい人には、彼の育ちの悪さゆえの苦悩が分からないでしょうね。それに、彼だって自分の育ちの悪さについては相談しにくいでしょ?民族問題云々だったら相談できても、自分の母親の「心の貧しさ」はどうやって相談するの?ヘタに相談すると、「自分の親をそんな風に言うもんじゃないよ!」と説教されるだけ。 もともとマトモな人にしてみれば、ダメダメな状況から、マトモになろうとする人間の努力の意図や意味が分からない。そして、心の貧しいことに浸りきっている人間は、そんな「心の貧しい」環境から脱却して、マトモになろうとする人間の努力の意図や意味が、やっぱり分からない。だからその自殺した国会議員にしてみれば、自分の親は相談相手としても全く不適切と言える。 これでは追い詰められるのも当然ですよ。 被害者意識が強いダメダメな親は、普段から自分の被害を語っているので、その家庭の子供としては「親には迷惑を掛けられない!」と、思考の面でアンタッチャブル状態となってしまう。自分独りで「もがいて」ますますドツボにはまって行く。 ダメダメ人間は被害者意識だけがあるので、何か事件が起こると、自分の被害者意識がますます燃え上がって大騒ぎすることになる。 決して「こうなる前に自分に相談しに来てくれたならなぁ・・・」とは思わない。 何も自殺となると、取り返しがつきませんが、ちょっとした事件ってありますよね? 子供の非行とか・・・ その時での親の対応って、マトモ家庭とダメダメ家庭では全然違ったりする。 子供の問題行動の後での対応は、むしろダメダメ家庭の方が大仰なものなんですね。自分の子供の不始末を「大いに」嘆き悲しむことになる。だからと言って、事件以前に何かサポートをしたわけではなく、事件の後でも対応を取るわけではない。 ただ、大仰に騒いでいるだけ。 あるいは、非行とは言えませんが、子供の登校拒否とか引きこもりの問題もこのパターンとなっているものでしょ?いざ実際に登校拒否とかになってしまって、その時点で大騒ぎする人に限って、子供と何も会話をしていないもの。 逆に言うと、子供のことを何も知らないがゆえに、「時代が悪い!」とか「学校が悪い!」と安心して大騒ぎできてしまう。 被害者意識の強い環境だと、周囲のダメダメ人間は、そんな姿に単純に同情してしまう。いわば被害者意識の共鳴現象が起こってしまう。しかし、嘆きに共鳴しても「他山の石」とはしないわけです。だって当事者意識はないんですからね。 事件前ではまったく影響もサポートもなく、いざ事件が起こると大騒ぎ・・・そんな姿は、ダメダメ家庭の周辺では、常に見られるもの。 逆に言うと、子供に対して、適切な関与をしない親は、何かトラブルになったりすると、常軌を逸した大騒ぎをして、ヘタをすると報復行為をする可能性も高いわけです。 当事者意識を持たず、常に受け身の立ち位置であるがゆえに、あらゆる不都合な事態を被害として認識してしまう。被害と認識するから、報復行為をしようとする。 普段は、何も関心がないがゆえに、報復してくる。 そんな姿を怪訝に思われる方が多いのは当然でしょうが、当事者意識がなく、被害者意識が強いことを考えれば、そんな人の心理は簡単に読み取れるもの。 そんな観点からチェックしておかないと、危険なんですね。 このような流れの事例として、ちょっと前(10年)に、実に典型的な事件がありました。 なんでも芸能人の押尾さんという方が、六本木で麻薬をやりながら性行為をして、途中で相手方の女性がお亡くなりになり、裁判となりました。 そこで、その女性の親が登場して、大仰に嘆いていました。 なんでも「彼からの謝罪の手紙一本もない!」とか・・・ 謝罪の手紙はいいとして、逆に言うと、その女性の親は、自分の娘に手紙でも出したことがあるの? この手の親子の関係となると年賀状すらやり取りをしていないものなんですね。 年賀状すらやり取りをしていない親が、後になって「娘がかわいそう!」と、被害者意識をいっぱいにして嘆いたりする。 そんなに被害者意識が強いということは、つまり、「子育ては親である自分が背負わされた被害」と認識していることが読み取れるもの。 だからこそ、子供もそんな家から飛び出し、疎遠と言うか、実質的には絶縁となってしまう。 自分の子供が、普段どんな日々を送っているのかについては、親として何も関心がない。 「ただ、親である自分に被害をかけなければそれでいい。」となっている。 しかし、だからこそ、トラブルが発生し、親である自分に面倒が降りかかってしまうと、被害者意識が燃え上がり、大仰に大騒ぎすることになる。 子供当人の問題ではなく、親としての自分の被害に反応しているわけです。 その女性にしてみれば、親の問題がアンタッチャブルになっている。そして、親の問題がアンタッチャブルな点は、たぶん、押尾さんも共通なのでは? まあ、その女性とは、プロの関係のようですから、「入れ込み」「入れ込まれ」の関係までは行っていないでしょうが、まさに「似た者同士」の関係なんですね。 そんな点は、押尾さんの、かつての夫人も、たぶん、同じでしょうね。 その手の親は、事件後に騒ぐことで、「ワタシは悪くない!」と自分に責任追及が降りかかってくることを回避しようとする。 「ワタシじゃない!アイツが悪いんだ!」と大騒ぎすることで、その事態の当事者となってしまった自分の子供の心情を思いかえすことから逃避してしまう。 大騒ぎこそが、「自分こそが被害者なんだ!」ということを、自分に対して確認させる儀式となっているわけです。 そうして、「アイツが悪いんだから・・・」として、騒いだ当人はそれ以上は考えることから逃避してしまう。 現実問題として、事件後に大騒ぎした人から、深い洞察を聞けたことがありましたか? 本来は、事件の当事者の直接的な関係者として、色々な見解が出てきてもいいはずでしょ? しかし、大騒ぎする人は、「ワタシは悪くない!」ということしか言えないでしょ? だって、何も知らないんだから当然ですよ。 逆に言うと、何も知らないんだから、「ワタシは悪くない!」と言っているわけです。 現実的に言うと、周囲の人が「何も知らない」がゆえに、トラブルは発生するわけですし、事件後に大騒ぎするだけで、自分なりに考え直してみることをしないがゆえに、その手の事件は連鎖してしまうわけです。 それこそ、引きこもりになった段階で、じっくり考えてもいいわけですが、その手の親は騒ぐだけ。だからこそ、その子供は次には自殺するようなことになってしまう。 しかし、ダメダメな親は相変わらず騒ぐだけなんですね。 被害者意識の強いダメダメな親は、子供の苦悩などは何も考えない。 子供に引きこもりをされてしまった親としての被害なり、子供に自殺されてしまった親としての被害に反応し、大騒ぎするだけ。 別の言い方をすると、そんな大騒ぎが示していることは、騒ぐことができない弱い立場だった、つまり子供の側に負荷が集中していたということです。 まさに、だからこそ事件になってしまうわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 なんか2つの文章をくっつけたような文章になってしまいました。 ダメダメ家庭の問題は、色々な側面が相互に絡み合っているので、色々と書いている「お題」もきっちり区分けできないわけです。 まあ、2つの実例を中心に書きましたので、どっちか1つでも参考になれば幸いです。 私が申し上げたかったのは、家庭問題を考える際には、「言われていないこと」を見出す必要がある、というだけです。ハデな外見に惑わされてはいけないわけ。 |
||
R.11/1/12 |