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カテゴリー | ダメダメ土曜講座(トピック編) |
配信日 | 09年5月30日 (10年5月12日に大幅に追加) |
タイトル | 認定を守るための行為 |
今週は、抑圧的なダメダメ人間が見せる過激な反応について集中的に取り上げております。それまでの記述と重なる面が多くありますが、従来からこのメールマガジンで書いてきたこととの関連を理解していただくために、土曜日のシリーズの一環として、その問題を取り上げてみます。 抑圧的な人間は、現実よりも、脳内の認定が重要になっている。そして脳内の認定を守るために、現実に対してアクションを起こすことになる。 そもそも「抑圧的で自己逃避」のダメダメ人間は、「認定行為」をすることで、つまり自分との関係を確定してしまうことで、それ以上その問題について考えることから逃避し、そして現状を認識することから逃避しようとする。 しかし、自分がアタマの中で確定した関係性が、現実と齟齬をきたす場合も多い。 そうなると、現実の方を破壊するような行動を取ることになる。 ダメダメ人間は、現実そのものよりも、認定した関係性の方が重要になっている。 それこそ、いったん誰かを恋人認定したら、現実においてその恋人関係がうまく行かなくなってしまったら、「ストーキング」をすることで、「あの○○は、ワタシの恋人なんだ!」と確認する儀式とすることになる。 ストーキング行為は、恋人そのものよりも、恋人認定の方が重要となっている心理を理解すると、意外にも理解できるでしょ?だからいざとなったら、恋人そのものを破壊することも辞さないもの。 この点は、ストーカーの親戚とも言える「クレーマー」も同じ。 「自分はあの△△による被害者」と、自分自身で関係性を設定してしまって、それを見直そうとはしない。ヘタをすれば、「自分が死んでもいいから、あの加害者の△△をやっつけるんだ!」と覚悟を決めている。自分自身の生命よりも、あるいは、自分がこうむったとする被害を軽減することよりも、「自分はあの△△による被害者」という関係性の方が重要になっている。 いったん何かを加害者認定しても、それが現実と齟齬をきたす場合もある。そうなると、より苛烈な手段を使うことで、その齟齬自体を破壊しようとする。 抑圧的な人間は、アタマの中の関係性と、現実との間に齟齬が認識された場合には、常に現実の方を破壊しようとする。 自分が被害者であるという関係性は絶対に見直さない。 だから、「報復行為」のようなものを、計画し、実行することで、「自分が被害者。」という関係性を自分に念押しすることになる。 それこそ「意趣返し」のようなものを行い、「オレはあの時に、アイツに迷惑を受けた!」と自分に納得させることになる。 あるいは、集団化して、「つるしあげ」をすることで、「オレたちはあの時に、アイツに被害を受けた!」という関係性を確認することになる。 抑圧している人間が設定した認定なんて、論理的な整合性はない。だからこそ、大掛かりな儀式によって、それを自分に確定させる。 問答無用で、相手からのリアクションを受けないような強圧的なスタイルで現実に対処しようとする。 逆に言うと、問答無用が成立するような大義がある分野が好き。 それこそ、「本来はこうすべきなのに、現実はそうなっていない!ケシカラン!」などと「べき論」を掲げ、現実を「正そう」とすることになる。 あるいは、「こうなれば、自分の問題はすべて解決」と「約束の地」の発想にすがってしまう。 かと言って、そんな発想にすがっているから、ますます現実と脳内の認定との間の齟齬が大きくなるばかり。 抑圧的な人間は、現実を直視するようなことはしない。 何度も書きますが、うまく行かなくなると、自分が認定した関係性を維持するために、現実を破壊したり、自分を破壊するようなことで解決しようとする。 結局は、以前にあった秋葉原の事件なり、「厚生省事務次官OBの襲撃の事件」なり、最近あった、中央大学の教授の殺害事件のようなものになってしまう。 それを逆恨みとか不合理とか言ってもしょうがない。そもそも「抑圧状況下」においては、合理性のある理由よりも、とにかく目立つ「きっかけ」の方が重要になってしまう。 きっかけさえあれば、それを、「犯人認定の儀式」を挙行して、自分なりに確定させてしまう。 必要以上の苛烈な方法での殺害というものは、その殺害行為が儀式的であって、その殺意も、本質的なものではないことの証明のようなもの。 その手の殺害事件があったりすると、「どうしてあんなヒドイことを?!」などと疑問に思われる方も多いでしょうが、その殺意に明確な理由がないからこそ、必要以上に残虐な方法が要請されるわけです。 殺害行為は、自分を騙すための儀式なんですね。 だから、「どうしてあんなことをしたのか?」「どうしてあの人を殺したのか?」と、合理性のある理由を考えること自体が、不合理な思考といえます。 まさに三島由紀夫の「金閣寺」で描かれているように、その種の事件が起こる前には、殺意を持つ心理的な土壌の形成が進行している状態となっている。 ダメダメな土壌ができてから、殺意という作物が成長する。そして『刈り取り』。 長い時間をかけて、土壌を整備して、畑が出来て、その畑にどんな種を植えるのかは、たまたまの「きっかけ」で決定されてしまう。だから本当に重要なのは、長い時間をかけて形成されたダメダメな土壌の方なんですね。その時に、たまたま目立つ人間がいたら、その人に殺意を向けて、「コイツのせいで・・・」と自分に納得させることになる。 よく「ワタシは、あの人とは、あまりやり取りをしてこなかったんだから、ワタシには、あの人からあんなことをされる理由がない。」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、理由がないから、殺されないとは行かないのがダメダメというもの。抑圧的なダメダメにおいては、論理的に整合性のある理由よりも、たまたまの「きっかけ」の方が「対象者の選定」にウェイトを占めてしまう。 中央大学の教授の殺害事件でも、警察の方では相変わらずのトンチンカンな議論をしているようですが、殺害する人の心理を、マトモな人間の心理から推し量っても、理解できなのは当然のこと。まずはダメダメな土壌についての理解が必要になるわけです。 このように、抑圧的なダメダメ人間は、認定とか関係性を自分自身に確認するために、苛烈な行為を行ったりするものですが、そんな苛烈な行為ほどではなく、言葉を使ったやり取りにおいても、自分が設定した関係性を確認することが主目的のやり取りを行ったりするものです。 たとえば、「自分の側が、アナタよりも上の序列なんだ!」という主張なり確認のために、「上からの物言い」をしたりする。 あるいは、「自分はかわいそうな被害者なんだ!」と自分に確認するために、誰かにグチを言ったり、あるいは自分が犯人認定した人に対して、逆上メールを送りつけたりする。 「全部アイツが悪いんだ」「ワタシは悪くない!」そんな関係性を自分に確認するために、「つるし上げ」をしたり、より高尚に「糾弾」をしたりする。 そんな人は、やり取りにおいて、相互理解を目的としていない。ただ自分が設定した関係性を確認したいだけ。 だから、相手の話しなり意向を聞く気がまったくない。 そんな人を相手に対して丁寧に説明しても、自身が設定している関係性を攻撃してくるように感じ、逆上するだけ。 自分で認定した関係性を自分から言うだけでなく、相手に言わせることにより、より強固な形で確認しようとするケースもあります。 それこそ、相手を勝手に幸福認定するパターンがあります。 「オマエは幸福なんだ!」と勝手に認定してしまって、相手からの反論を許さない。 そして、相手に命令することになる。「さあ!言うんだ!『人生はすばらしい!生きているってすばらしい!』『両親のおかげでボクは幸せだ!」って言うんだ!」「言わないとぶっ殺すぞ!」 そのように命令を下されて、空虚な表情で「はい・・・わかりました。おっしゃるとおりに人生はすばらしいです。マル。」と答える子供。 その答えを聞いて、命令した側は、満面の笑み。ダメダメな家庭とかダメダメ学校は、実際にそんなものでしょ? そんなことだから、子供としても自分自身を抑圧するしかない。 だから、トラブルになってしまう。 そして、事件があった後で、「あの子は、生きているってすばらしい!」って、いつも言っていたのに、どうしてこんなことに?!」「これはきっとインターネットのせいだ!」「みんなで一緒になって、インターネットをやっつけてやろう!」と、息巻くことになる。 しかし、自分の感情を押し殺して「生きているってすばらしい!」と言わせられるんだから、自暴自棄にもなるし、死にたくもなるでしょ? 本当にに、生きていることが楽しいのなら、わざわざそんな言葉を口にはしないもの。 自分のやりたいことを、やりたいようにやっていくだけ。そんな状況が幸福というものであって、だからこそ幸福な時は、「今は幸福だ!」なんて、考える必要がない。 次にやりたいことが次々に浮かんできて、そのやりたいことに取り組むことができる・・・そんな状態が幸福というものでしょ? 現実逃避し、抑圧的なダメダメ人間は、実に早くから、関係性を勝手に設定させてしまって、あとは、それを維持しようとするだけ。 現実との齟齬が大きくなると、アタマの中の関係性の方ではなく、現実の方を破壊する・・・そんなことをいつもやっているものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 本文中でも書いていますが、「そんなことをされる理由がない。」などとおっしゃられる方もいらっしゃいますが、抑圧状況下においては、論理的な整合性のある理由よりも、たまたま目立ったきっかけの方がウェイトが高いわけ。 そもそも抑圧状況下では、論理展開だって十分にはできませんよ。 だから論理的な整合性などには意味はないわけ。 だから、皆さんとしては「理由がないから安心」とは言えないことはご理解ください。 しかし、現実的には「離れているから、とりあえずは安心」とは言えるわけ。 ホント、離れるしかないわけです。そしていったん犯人認定されてしまったら、まさに離れても追いかけてくる。だから認定される前に避難するしかないわけです。 |
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R.11/2/9 |