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カテゴリー ダメダメ土曜講座(トピック編)
配信日 10年3月20日 (10年9月24日 記述を追加)
タイトル 統合力
以前に、ダメダメ家庭の人間は「人格」がないという文章を配信しております。
「人格がない」なんて、いささかエキセントリックな表現ですが、ダメダメ家庭の人間には、そんなところがあったりします。
ちなみに、ここでの「人格」というのは、「人柄がいい」という言葉で意味される、道徳心とか倫理とか博愛とかの、いわば「人徳」とかに通じる意味ではなく、心理的なキャラクターという点での価値判断を含まない状態での意味です。

人は、そのキャラクターとして、それなりの傾向がある。
その人に対して、アクションをすると、その人からのリアクションがそれなりに予想できる。
今回の文章においては、そんなアクションとリアクションの相関の中に、人格というものを考えております。
抑圧的なダメダメ人間は、自分としてやりたいものがなく、それゆえに、「人に合わせすぎる」ことになる。

その状況なり、やり取りしている相手によって、言動というかリアクションが変わってしまう。
つまり、言動が一貫性がなく、断片化されているわけです。
自分自身でやりたいことなり、達成したい目標があれば、その実現のために、少しずつでも成果を出すことを考えるもの。
しかし、抑圧的な人間は、とにもかくにも、その場を「つつがなく」「顕著な減点がなく」過ぎ去るようにすることを考えている。

そんな態度は、別の言い方をすると「ふつう」ということになる。
「ふつう」の人間とは、「周囲と大きく違うものがない」人間でしょ?
そんな「ふつう」が、その人なりに色々と考えて生きた結果としてそうなっているのなら、どってことはありませんが、「ふつうになるべき!」と掲げ、そんな「ふつう」それ自体を目標としてしまう・・・それが抑圧的なダメダメ人間。

結局は、周囲から目立たないように、その場その場の感覚情報に注視し、いわば保護色的に行動するようになる。
常に保護色状態なので、逆に言うと、その人固有の「色」がなくなってしまうのは、理の当然。そうなると、まさに一貫したキャラクターがなくなってしまうでしょ?

一貫したキャラクターがないということを、別の言葉でいうと、まさに人格がないということ。
本来は、そんな人は、周囲から相手にされないわけですが、人に合わせることばかりしているので、ある意味において、いてもジャマにならない人と言える。
ただ、継続してやり取りしていると、言っていることが矛盾したりして、「アイツ・・・いい加減なヤツ!」と言われてしまう。

そんな人は、言動が断片化されているだけではない。
人格がないということは、感覚情報を集積していく精神的な土壌を持っていないということ。
だから「記憶や体験の断片化」も起こってしまう。

その人の持っている記憶の相互が結びつかず、まさに断片化されている状態。
断片化されている人なんだから、たとえば人の文章を読む際にも、文章全体の意図を読み取ろうとは考えない。

部分部分には過剰に反応しても、文章全体の意図など、まるで無視。
あるいは、顔を合わせての口頭でのやり取りにおいても、話を最後まで聞かず、「話の途中で余計な茶々」を入れたりする。

ダメダメ家庭出身の人間は、親がサポートしてくれる状況ではなかったので、「自分の身は自分で守らないといけない!」と切羽詰っている。だから、「自分に被害が及ぶような事態にならないように」と、必死で警戒することになる。
だから、ちょっとしたことで過剰に反応することになる。
やり取りにおいても、「自分への悪口がないか、そんな点を警戒している」だけで、文章や話の全体を見据えたものではない。
そもそも、感覚的な断片への過剰な反応があるんだから、逆に言うと、言葉尻を捉えるような「揚げ足取り」風のやり取りになってしまう。

当人にとっては、意図しているわけではなくても、結果的に、話の全体を聞き取るスタイルにならない。
そんな態度が、やり取りの相手から嫌がられることになる。
しかし、部分部分にはしっかり反応しているわけだから、反応した側の人は「こんなにしっかり相手の文章を読んでいるのに、どうして相手は怒り出したの?」「あんなに関心を持ってあの人の話を聞いていたのに、どうして不機嫌になったのかな?」「あ〜あ、ワタシは人の気持ちがわからないわ!」と嘆くことになる。

部分に対して過剰反応して、全体を見ようとしない人は、一貫性がなくなってしまう。
だから、やり取りの相手側にしてみれば、「この人に対し、このようなアクションをすれば、こんなリアクションが返ってくる。」とは予想できない。
それゆえ、そのような人は、周囲の人から信頼を持たれない。

前にも書いておりますが、信頼とは、アクションに対するリアクションがブレないこと。信頼感を持たれるためには、ある種の一貫性が必要ですよ。

ちなみに、最近話題のブラック企業ですが・・・
あまりに厳しい労働環境なので、従業員が病気になったりして、次々に退職してしまうとか・・・
まあ、働く側も、給料を貰うんだから、ラクをして・・・とは行かない。
しかし、従業員が次々と変わる状況となると、そんな企業は、企業自体も長続きはしないものなんですね。
だって、それこそその会社とやり取りしている会社にしてみれば、「以前はあの会社の○○さんとやり取りして、こんな約束をしたけど、次にその会社に行った時には、その人は退職していて、また一からやり取りをするハメになった・・・」なんてことになったらイヤでしょ?

そして、そんなことが、何回もあったら、もうそんな会社は信用されませんよ。それは、財務状況がその時点では健全であっても、将来的には、ヤバイとされてしまうもの。
依頼したことに対して、きっちり対応されるという信頼感は、やり取りする相手そのものの安定性と直結しているでしょ?
トップがしっかりしていればいいというものはではなく、実際にやり取りするユーザーにとっての対応の安定感が重要ですからね。
ブラック企業の経営者は、本質的に信用と言うものを理解していないのでは?
周囲の人からそう思われてもしょうがありませんよ。

ただ、それこそコンビニとかファーストフードのような業界なら、逆に言うと、マニュアルを整備して、マニュアルを主として、個々の従業員を従とするという対応があるわけですが、逆に言うと、そんなパターンだとテンポラリーな状況には対応できないわけですからね。あの業界だってアルバイトの方々にはマニュアルを整備しても、正社員に対しては、そんなマニュアルでがんじがらめとはしていないでしょ?

一貫性というのは、それだけ、自分自身というものを持っていないとできないわけでしょ?
しかし、自己逃避のダメダメ人間は、どうしても断片化されてしまう。

それこそ、文章を「読む」際にも断片化されているわけですが、文章を書く際にも、断片化されている。
以前に、ダメダメ家庭の人間は、「一つの案件を、一つの文章にまとめる」ことができないことについての文章を配信しております。

一つの文章中に多くの案件が入っていて、かつ一つの案件が、多くの文章にまたがってしまっている。
まさに文章においても、断片がばら撒かれている状態。

そんな文章を読むと、「で、結局は、アンタは何が言いたいの?」「というか、言いたいことが、そもそもあるの?」と思ってしまうのは当然でしょ?
その手の人は、「言いたいこと」はあっても、「わかってほしいこと」はない
もっと詳細に書くと、「言いたい気持ち」はあっても、「言いたい内容」は存在しない。
自分以外の誰かに対して、言葉を投げつけたいだけ。
だから、文章を次々と投げつける「連続発信のメール」になってしまうわけ。

まあ、こちらが返事を出す前に、次々とメールが来て、それが1時間のうちに3本以上も・・・なんて事態になったら、「この人は一生懸命だなぁ・・・」と思うどころか、「この人は、統合性を完全に失調しているなぁ・・・」と思うだけですよ。
メールの文章すら統合できない人が、統合された人格を持っているとはとても言えないでしょ?だって、やり取りしていても、「何をわかればいいのか?」何もわからないわけですからね。おまけにそんなメールが連続で来るんだから、はっきり言って恐怖そのものですよ。

統合力を失調した状態の人間は、まずもって相手の意向を統合的に聞き取ることもできず、断片に対し、刹那的に反応することしかできない。そして、表現するにあたっても、その刹那的な感想を、統合することなく、刹那的に発信することしかできない。

前にも書いておりますが、この手の人は、断片的な形での「言いたいこと」はあっても、相手に対し「わかってほしいこと」は存在しない。そんなやり取りをしても、何もわからないのは当然のこと。
そして、「わかってほしいこと」が自分でもわかっていない人ほど、「どうしてわかってくれないの?」と逆上し、そしてそんな感情の断片を断片のまま、周囲に対し発することになる。

統合力というと、小難しく聞こえるわけですが、要は一貫性。
ダメダメ人間は、その一貫性がない場合が多い。だからこそ、一時的には人当たりがいいわけですが、継続してやり取りをしていると、そんな人に対しては腹が立ってきてしまうもの。
人に合わせてばかりだと、言動が断片化されてしまうのは当然ですから、そんな人は、自分自身に立ち返り、どうしても達成したいこと、どうしても伝えたいこと、そんな揺るぎない原点を常に見つめることが必要になるわけです。

そんな努力もしないままだと、結局は、自分のアイデンティティを、他者に依存することになる。いわば他者との関係性に依存してしまうわけ。
だからこそ、「アイツにはオレが必要だ!」と、「ストーカー」になったり、「あの○○をやっつけろ!」と「クレーマー」になったりする。

ストーカーもクレーマーも、自分自身がなく、関係性だけが肥大化してしまっている状況から発生していると言えます。
ストーカーする側は、相手に対し「味方している」していると思っているんでしょうし、クレーマーは、相手に対し「敵対する」と思っているでしょう。
しかし、関係性に依存するという点においては、ストーカーもクレーマーも同じなんですね。

やり取りする相手に合わせすぎて、言動が一貫性を欠いてしまったのを、特定の相手に執着することで、一貫性を持たせたわけです。
別の言い方をすると、周囲に合わせてオドオドしていたのを、特定の対象に視点を合わせることで、「突き抜けた」「確信に満ちた」境地に到達してしまっている。
しかし、相手に合わせている、相手を見ているという状態は変わらない。というか、むしろ悪化しただけ。

結局は、自分自身が存在しない状態のまま。自分と他者の間の境界がなくなってしまっている。
そんな人は、どんな面において「区切り」というものがなく、何を手掛けるにせよ、「最後を締める」という発想がない。
他者と自分の区切りもなく、自分のタスクの終了もない。
まさに「ダラぁ〜」というか「テンテンテン(・・・)」状態。

断片的な人ほど、最後までやり遂げることがないものでしょ?
そんな人は、いつだって、断片を「ばら撒いている」だけなんですね。

何も難しいことを申し上げているわけではありませんよ。自分自身の考えを、自分自身の言葉で、そして、一つ案件を、一つの文章にまとめあげる訓練をしていけばいいでしょうが、実はそれが難しいわけです。

そんな人は、断片化の集積といえる「インターネットの掲示板」に引き寄せられてしまう。
インターネットの掲示板には、統合性なんて全然ないでしょ?
そして誰かに依存しているままなので、誰かの見解に対してコメントなり感想を述べるだけ

それも、断片そのものと言えるコピー&ペーストでやる始末。
そんな場所での議論も、その人なりに意味があるのなら結構ですが、だったらなおのこと、最終的に客観的なレポートにまとめ上げてもいいのでは?
しかし、あくまで断片化の中に生きている人間は、そんなことはしない。
逆に言うと、そんな場所に入り浸っている人は、あらゆる点で断片化されているでしょ?
そして、今回の文章の中にある特質の多くが見出されたりするものでしょ?

(終了)
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発信後記

こんなメールマガジンを発行しているので、この私に対して相談されたり、質問されたりする方もいらっしゃいます。何回も書いていますが、そのこと自体はウェルカムです。
今回の文章は、いただいた質問に対する回答の補足なりまとめのようなところも兼ねています。
最近は文章の配信日を事前に決定しておりますので、テンポラリーな文章は土曜日ということになります。

こんなことを書くと、「ああ、これってワタシのことじゃないの?チョット前に、このような案件について質問したし・・・」と思われる方もあるでしょうが、まあ、実際にそうなんですが、その「ワタシさん」は、一人じゃなくて、もっとたくさんいたりします。

同じような時期に、同じような内容の相談なり質問を受けたりすると、「最近は、こんな症状が流行しているのかなぁ・・・」と思ってしまうことに。私としては、別々の相手に対して、同じような説明の文章を書いていたりする。ということで、「じゃあ、ワクチンでも提供しておくか・・・」と、今回の文章はそんなスタンスです。
それに、質問されていない方の中にも該当者はいるでしょうし、もっと重症な方もいらっしゃるかもしれませんしね。
 R.11/1/2