トップページに戻る 配信日分類の総目次へ 食事を巡る風景
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ土曜講座(トピック編)
配信日 09年7月25日 (10年12月26日 記述を追加)
タイトル 料理上手、料理ヘタ
「結婚するのなら、料理が上手な女の子がいいなぁ・・・」なんて、昔のドラマによくあったセリフといえるでしょう。
あるいは、実際にそんなことを言ったり、聞いたりした方もいらっしゃるかも?
ここで、女の子としておりますが、料理好きの男の子もいたりする。

どんな分野でも、得意分野を持つことはいいことですよ。
それに、料理の上手さというものは、その出身家庭のレヴェルを如実に表しているもの。
教養があるとか、スポーツ万能ということは、ダメダメ家庭出身者でもなることは可能です。しかし、料理上手となると、ダメダメ家庭出身者には、実に「敷居」が高くなる。

だって、ダメダメ家庭においては、食卓が成立していない。
黙ってエサを食べる・・・それがダメダメ家庭の食事風景。
そんなことだから、「料理に関する知識」や、興味もない。
だって、思い出したくもない不快な時間・・・それがダメダメ家庭の食事風景。

以前に取り上げたアニメ作品の「とらドラ!」においては、そんな点に注意を払って表現されていました。
両親が離婚して一人暮らしをしている高校生の女の子は、まったく料理を知らない。自分で作らないだけでなく、そもそも料理名も知らないわけ。
食事を作ってくれる隣の男の子が「今日は何を食べたい?」と聞いても何も答えられない。
『肉が食べたい!』とは言っても、料理名は言えないわけ。

それに対して、その隣の男の子の側は料理が好きで、上手という設定でした。
つまり食卓が機能している家庭というわけです。「シングルマザー環境」であっても、「家庭としての機能」はあるわけです。
それに対して、女の子の側は、いわば完全崩壊状態。
シングルマザー環境で子供が料理する場合でも、食卓が嫌いだったり、ホメ言葉がなかったりすれば、上手くはなりませんよ。単に料理を作る手際が上達するだけで、料理が上手になるわけではない。

料理についての知識は、実際に食べてみないと実感がわかないでしょ?
「この料理・・・おいしいね!」
「これって、どんな名前の料理なの?」
「どんなふうに作るの?」
そして、「自分でも作ってみたいな!」という思いにつながっていくことになる。
料理の知識なんて、そんなことの積み重ねですよ。
料理を作った側としても、「この料理はおいしいね!」なんてホメ言葉がなければ、もっと上手に作ろうなんて思いませんよ。しかし、そんなフランクなやり取りをする心理的余裕がない・・・それがダメダメ家庭の食卓風景。逆に言うと、ダメダメ家庭を作る人間は、そんなホメ言葉を言わないような人と結婚し、そんなホメ言葉が出てこない家庭を作っているわけです。

だからこそ、料理を作った側は、ますます被害者意識が膨らむばかり。
そして「料理を作らされた被害を語り」、その「被害を認められないので、なおのこと被害を語る」ことになる。
当人自身も、「向上心」がないので、料理の腕を向上させようとはしない。
料理の腕を向上させる発想ではなく、その料理の味がどんなにメチャクチャであっても、子供が感謝するように命令するだけ。
まさに北朝鮮のように、「天国にいるように幸せ!」と言うように子供に命令することになる。
逆に言うと、命令すればいいだけなんだから、料理の腕を向上させるという発想そのものが出てこない。
そもそも、ダメダメ家庭においては、「イヴェントが少なく」、家庭内の食卓以外にも、おいしいものを食べた経験がないわけ。
ダメダメ家庭を作る親自身が、料理に対して、いい思い出を持っていない。
いわば、料理というものが、アンタッチャブルに近い扱いとなっているわけです。
料理がアンタッチャブルに近い扱いなので、子供と一緒に料理を作るなんてこともしない。
これでは、子供が料理を覚えるどころではないでしょ?

もし、子供が料理に関心を持って、「自分でもやってみたい!」と言い出したとしても、それこそ、スグに『お金がもったいない。』と言い出し、子供のチャレンジを阻害する。
料理作りにチャレンジするにも、料理の腕を向上させるにも、食材の費用とか、あるいは書籍の購入など、ある程度の費用も必要になるでしょ?
しかし、ダメダメな親は、ちょっとでも費用を支出すると、スグに成果を求めることになる。
そして、ちょっとでも失敗すると、大いに立腹して、料理を手掛けた子供に怒り出す。
それこそ、「あれだけお金を使ったのに、なんなんだ?この料理は?」「いったい、いくら使ったんだ?」
親からのそんなプレッシャーがあるから、料理にチャレンジした子供も、結局は、料理作りをやめてしまう。

結局は、親が作ったマズイ料理を黙って食べる食卓が続くことになる。
そのマズイ料理に対して、ヘタに「この料理はマズイ」なんて本音を言おうものなら、親から逆ギレされるだけ。
料理を作る苦労を語るだけでなく、「昔はもっとまずかった・・・」と言いだし、「下には下がある」とのご高説を語り出す。
そして、ダメダメ家庭にお約束といえる「食べるものも食べられないアフリカの子供よりも、はるかにマシじゃないか!」とお説教となってしまう。
まあ、そんなにアフリカの子供が心配だったら、子供なんて作らないで、養育費の分をアフリカに寄付すればいいだけですよ。
しかし、子供が思っているそんなことを言わせずに、「生んでやっただけでも感謝しろ!」と、さらにご高説が続くことになる。

そんな家庭は、往々にして、食器の種類も少ないもの。
独身者がどんな食器も兼用するように、どんな料理にも同じ食器だったりする。
とにもかくにも、「楽しい食卓を作ろう。」なんて微塵も考えていない。
ダメダメ家庭では、交流の機会も少なく、その家庭の中に、お客を迎えるようなこともない。
だから、基本的に「ホスピタリティがない。」。もてなしの精神そのものを持っていないわけです。
子供としては「親がいつグチを言い出すか?」そんなことに戦々恐々としている・・・それがダメダメ家庭の食卓風景。

幸福に対する嗅覚」が完全に消失している状態。
そんな「幸福に対する嗅覚」がない人は、往々にして服装もダサかったりする。
服装がダサい人は、往々にして料理もヘタだったり、料理名を知らないものでしょ?
主婦業に対する価値の低い」ので、食卓をよくするための努力の価値も認めていない。
逆説的になりますが、料理がまずい家庭ほど、逆に言うと「男尊女卑」だったりする。

そんな食卓風景だから、子供としては「食べっぷり」も悪くなる。
あるいは、「お箸の使い方」も怪しいもの。

何もガツガツ食べる必要はないわけですが、おいしそうに食べる人って実際にいるでしょ?ガツガツ食べることは、余裕がなく、これを逃がしたら後がない・・・くらいの切羽詰った感覚なんですね。
それだけ、周囲に対しての信頼がないわけです。それに対し、「食べっぷりのよさ」は余裕の反映といえるでしょう。
そんな姿は、食卓が楽しかったことの反映なんですね。
逆に言うと、ガツガツ食べているということは、味わって食べているわけではないでしょ?
つまり、普段から、その食事が「味わうに足る」ものとは言えないことが見えてくるわけです。
そのような、料理をガツガツ食べるシーンは、以前に取り上げたマルグリット・デュラスの「ラ・マン」にも出てきました。

「食べっぷり」が悪い子供は、食べ物の好き嫌いが多いもの。
料理を作る側が、そもそも子供の成長に関わる栄養について考えていないし、子供がキライなものをおいしく食べさせる努力をしない。子供にしても、食卓自体が不快なので、努力してキライなものを食べようとも思わない。キライなものをがんばって食べても、ほめられるわけではない。食卓の楽しい雰囲気に巻きこまれ、勢いで食べるということもない。

そんな家庭の親は、その被害者意識から「ああ!ウチの子は好き嫌いが多い!」と嘆くだけ。そもそもその親自体が食べ物の好き嫌いが多いもの。好き嫌いの多さも連鎖するものなんですね。ただ、親の嫌いな食べ物は、食卓に上がらないので、それが自覚されていないというだけ。

ダメダメ家庭では、食卓は恐怖の場。とてもじゃないけど、リラックスとは行かない。
そんな雰囲気を背負ってきたことは、ちょっと注意すればすぐにわかるものなんですよ。
「結婚するのなら、料理が上手な女の子がいいなぁ・・・」なんてセリフは、そんなことを無意識的に反映したものなんでしょうね。

ダメダメ家庭出身者でも、その点を自覚し、改善しようと考えている人は、この料理の点から入ったりするもの。だって、達成感というものを得るには、おいしい料理を作るというのは、簡単な方法でしょ?
そんな小さな達成感が、マトモになっていく第1歩なんですね。

服装のセンスよりも、教養よりも、料理上手ということは、家庭の問題に直結しているわけです。料理がまずい家庭は、楽しい食卓というわけには行きませんし、食卓が崩壊していれば、楽しい家庭というわけにはいかないのは当然でしょ?

(終了)
***************************************************
発信後記

一緒に食事を取るというシチュエーションは、ダメダメ家庭を見つける実に簡単な状況です。
それこそ、料理名、お菓子、箸の使い方、歯並び、あるいは料理と季節感、料理と思い出・・・等々・・・
ダメダメ家庭出身者には、そんなことも、実に「敷居」が高いわけ。

逆に言うと、一緒に食事を取って、後になってモメたりするようだったら、結局は同類なんですね。
だったら、早めに自覚するしかないわけ。
「アナタは悪くないわ!」などと甘言を弄するボランティアの連中に、同情されても、結局はトラブルを繰り返すだけ。
料理でも何でも、ちょっとした成功体験ができれば、ものの見方も、より的確になっていきますよ。
R.10/12/26