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カテゴリー ダメダメ土曜講座(トピック編)
配信日 10年1月9日 (10年11月22日 記述を追加)
タイトル 独り言系の相談
昨日配信の文章において、ダメダメ家庭出身者は「独り言系の物言い」が多いという内容についてまとめております。

ダメダメ家庭の子供は、家庭内において会話の実体験が少ない。どうしても自分一人で「やり取り?」するしかない。そんな体験の積み重ねによって、独り言系の物言いが身についてしまうわけ。
それに、ダメダメ家庭の人間は「他者というものを心理的に認識できない」ということについて、以前に配信しております。

幼少時における養育者とのやり取りが不全であったので、「自分とは意思疎通が可能であり、かつ、自分とは違った考えを持つ」他者というものを心理的な実感を伴った形で認識できないわけ。

そんな人は、やり取りの際には、他者が不在の様相を呈してくるもの。
それこそ、自分が相手に対して伝えたいことや分かってほしいことがないのに、言葉だけは発することになる。
だから、感想どまりだったり、その物言いに「思う」なる文言が多くなる

そんな言葉を聞いても、「アンタがそう思うのは、アンタの勝手だけど、そんなアンタの個人的な感想を聞かされたワタシはどうすればいいのさ?」「ワタシはいったい何をわかればいいの?」と途方に暮れるだけ。
あるいは、「その言葉を、いったい誰に対して言っているの?」と怪訝な気分になるもの。

まさに実在の人間を相手に、独り言を言っているかの様相を呈することになる。
相手に対して面と向かって独り言系の物言いをするだけでなく、相手の話を聞き取る際にも、同じこと。
人間の形という視覚情報なり、そこから発する音響情報は認識できても、その音響情報から、人間の意図を受け取ることができないわけ。やり取りしていても、「人の気持ちが分からない」状態。

ただ、人間の形なり、そこからの音響情報は認知できるので、その音響情報に、何も考えずに合わせることによって、その場を取り繕っているだけ。そのように「人に合わせすぎる」人間になって、「その場の空気に乗って」生きている・・・それがダメダメ家庭出身者。

別の言い方をすると、人間とマネキンとの違いが心理的な実感を持ってわからないわけ。
まさに白昼夢にいるかの「うつろな状態」。

白昼夢の中で、独り言街道を突っ走っているのなら、逆に言うと、人畜無害。
しかし、そんな人も、現実世界の中にいるんだから、現状世界のトラブルに遭遇してしまう。というか、他者というものを心理的に認識できず、人間とマネキンの違いがわからないんだから、現実問題としてトラブルにもなりますよ。

ということで、誰かに相談することに。
と言っても、普段から独り言ばかりの人間が、他者というものを心理的に認識できていないままで、相談を持ちかけたりするわけ。

本来なら、相談というシチュエーションこそ、自分をしっかり持って、相談を持ちかける相手についてもしっかり配慮する・・・そんな態度が基本中の基本でしょ?

「自分の現状はどうなんだろうか?」
「自分はどうしたいのか?」
「過去の経緯として、どのようなことがあったのか?」

それをまとめるのは、自分自身しかありませんよ。
そして、相手についても配慮する必要があるでしょ?

「相手の得意分野は?」
「相手の理解力は?」
それに、「相手の都合はどう?」「相手にどのように伝えればわかりやすいか?」と考える必要がある。

相談をする自分自身をしっかり自覚して、相談を持ちかける相手についても理解する・・・それがまずは最初でしょ?

しかし、ダメダメ家庭の人間はそれができないわけ。
まさに独り言のような相談になってしまう。

「あ〜あ、困った、困った!」
「ホント、どうしたらいいのかなぁ・・・」
「ねぇ?アンタはどう思う?」

相談の言葉と言っても、それだけ。

そんな相談の言葉を受けた私としても、途方に暮れることになる。
「どうして、こんな相談の言葉になってしまうのかなぁ・・・」と思っていたのですが、そんな相談の言葉は、ぬいぐるみに語りかけているシーンを思い浮かべると、意外にも、理解できるようになりました。
きっと私宛の相談も、ぬいぐるみに語りかける延長なんでしょうね。
ただ・・・私はぬいぐるみのようにかわいい系の容姿じゃあないよ。それに、一応は、脳ミソもあるしね。

まあ、そんな相談を持ちかけた側の人にしてみれば、相談相手など白昼夢の登場人物にすぎないんでしょう。それはしょうがないことでもあるわけですが、少なくともその点は自覚しないと、事態が悪くなるばかり。

現実的には、白昼夢に留まっているままであり、次には、白昼夢仲間に相談することになる。
以前にも書きましたが、「オカルト系の相談相手」に相談を持ちかけるわけ。
それこそ、神父とか神主とか僧侶とか、陰陽師とか・・・
その手のオカルト系の人も、いわば神様なりホトケ様や守護霊さんと「会話」しているわけでしょ?それって、極端に言うと独り言ですよ。
逆に言うと、そんなオカルト系の人だったら、オカルトの流儀に従って進行するので、独り言系の相談も、形の上では受け入れられることになる。
だって、相談を持ちかける側も、勝手に独り言。
相談を持ちかけられた側も、神様ホトケ様に向かってお祈り。

そんなオカルト系の相談相手は、まさに教科書どおりのことしか言わないもの。
それこそ離婚相談のような状況でも、
「まあ、なんてお気の毒なの!」
「ひどいご主人さんね!」
「神様はアナタのことを愛しているんですよ!」
「子供のためにガンバッテね!」

それはいいとして、そんなオカルト系の相談相手は、「相談を持ちかけた女性の実家に両親が存命なのか?」とか、「義父義母はどうなっているのか?」とか、「子供と夫の関係は?」・・・そんなことも聞かずに、「教科書どおりの回答をさっさと提示する」だけ。

まさに、独り言系の物言いで相談を持ちかけ、その回答も独り言。
まさに、「つつがなく」相談の場は終了することになる。
相談の場は「つつがなく」終了しても、事態が改善されるわけもなく・・・

1対1の相談で失敗したので、今度は不特定多数を相手に相談を持ちかけることになる。
そんな独り言系の人にしてみれば、最近ではインターネットの相談サイトがありますよね?
相談者が、「苦境」や「苦悩」を書き込み、それに対し、「善意」の人間がアドヴァイスしたりするようです。

不特定多数を対象としたものは、情報交換としてだったら有用でしょう。広範囲から、情報が得られるわけですからね。しかし、意見交換には向かないでしょ?
そもそも事態の解決のためには、自分の現状をしっかり伝える必要がある。それは不特定多数を対象としたサイトでは無理だし差しさわりがありますよ。

逆に言うと、そんな場でシリアスな相談を持ちかけている人は、本気で事態を解決する気がないわけ。どうしても解決するつもりだったら、自分なりに、一番役に立ちそうな人を探すでしょ?インターネット上でも、個人が運営しているサイトもあるわけですからね。

最初から不特定多数に相談を持ちかけることそれ自体に、その人の問題点が絞りきれていないことがわかるわけ。自分の問題点が絞りきれていないがゆえに、対象者も絞りきれずに、「誰でもいい」ということになってしまう。

「誰でもいいから助けて!」なんてことを言う人は、自分の状況を具体的に説明できないもの。具体的に説明できれば、誰でもいいとはならないし、不特定多数を対象としたサイトには書き込みませんよ。
何回も書きますが、そんな場も、技術的な情報交換ならありですよ。それこそ、「この件について、誰かいい相談相手を知らないか?」くらいでもアリでしょう。しかし、シリアスな相談なら、そんな不特定多数を対象とした場での相談って、結局は独り言であり、グチなんですね。相手から同情を引くための不幸自慢そのもの。自慢だからこそ、対象は重要ではないわけ。自分の不幸を語ることができる満足感こそが重要になっている。

しかし、そんな独り言系が許される状況だからこそ、入り浸ってしまう。
そんなサイトに入り浸っている善意の人は、この私のように「もっと情報を出さないと、何も回答できるわけがないじゃん?アンタも、ちょっとは本気だしたら?」などとは言っては来ない。厳しい言い方ですが、実家に両親が存命かどうかも伝えないで、離婚の相談も何もないんじゃないの?

逆に言うと、独り言系の相談をする人は、やり取りのキャラクターについて想定しなくても済み、独り言が許される状況でないと相談はできないわけ。メールのような個人と個人の関係による相談はできないんですね。
たとえ、形の上では個人と個人のやり取りであっても、双方とも独り言状態であり、神様やホトケ様を向いていて、お互いの相互理解につながる会話にはなっていないわけ。

そもそも他者という存在を心理的に認識できないし、自己逃避であるので、相手に伝えたいことが自分でもわかっていない。そして、現実逃避であるがゆえに、現状が何も見えていない。相談対象を技術的に決められないという問題よりも、決めることが怖いという心理的な問題があるわけ。
こんな状態で、個人宛に相談のメールを送ることはできませんよ。
どうしてもインターネットの相談サイトどまりになってしまいますよ。

しかし、まあ、だからこそ、この私に対してちゃんとした相談のメールが送れるようになるくらいになったら、その人も、相談の必要はほとんどないようなものなんですが。
もし、個人宛に相談のメールを送ること、それ自体に心理的な抵抗があるのなら、その点を自覚すれば、自身について色々と見えてくるわけです。
独り言系の相談をするは、同情を引くための言葉は踊っていても、「何が何でも、この事態を解決するんだ!」といった覚悟に至っていないものなんですね。

自分自身に痛みを背負う覚悟がないかぎり、あるいは、退路を断つ覚悟がない限り、自分自身の痛みは解決しないし、何も得られませんよ。「腰が引けた状態」で安全圏から相談を持ちかけても、「単なるアリバイ」としてしか機能しないもの。

インターネットの相談サイトって、見方を変えると、独り言が飛び交っているだけ。
前から書いていますが、相談を持ちかける側も、独り言だし、そんな独り言系の相談に対して回答する人間も独り言。
対象不在の善意を主張しているだけ。
しかし、回答する側は、不特定多数の一部になって、現実離れした正論を主張することで、「ワタシって、いい子!」と主張し、自分を納得させることになる。

オカルト系の相談相手が、教科書どおりの回答を、対象者不在のまま回答し、「ああ!こんな立派な回答をするワタシって、なんて深い信仰心を持っているんだ!」と自画自賛するように、その手のサイトの回答者も、教科書どおりの回答をして、「ああ!ワタシって、なんていい子なの?!」と歓喜に震える。

そんな人たちにとっては、相談の場も、ぬいぐるみとの語らいに近いものなんですね。
そう見ると、そんな場の珍妙さも理解できるでしょ?

(終了)
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発信後記

本文とは全然関係ありませんが・・・
お相撲の役員の選出があって、例の貴乃花さんが、強行出馬するようですね。
何でも一門から、実質上破門扱いのようです。
もうちょっと待てば、そんな無理もなく役員になれるのに・・・そんな声もあるようです。

しかし、貴乃花さんは、以前にあった八百長裁判にも出廷して、「八百長はやっていない。」とかで裁判で証言していました。
裁判で「八百長はやっていない。」と言っておいて、役員の選出は八百長だったら、いくらなんでも、その主張に無理があるでしょ?貴乃花さんもそう考えているのでは?

自分の言葉に責任を持つことは、その人の尊厳として重要なことでしょう。
お相撲の重鎮なり、関係者に、そんな視点がない・・・それ自体が、まずもって問題なんでしょうね。
 R.10/11/22