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カテゴリー | ダメダメ土曜講座(発想と視点編) | |
配信日 | 10年4月17日 | |
タイトル | 文章スタイルと行動スタイル | |
このメールマガジンでは、土曜日においては、過去に配信した文章との関連性を指摘した文章を配信しております。 我々の目の前で展開されているハデなダメダメも、ちょっとしたダメダメの様相の積み重ねにすぎないことが多いもの。 逆に言うと、そのちょっとした段階で対処しておけば、それが積み重なることから回避できるわけですし、カタストロフに陥らないようにすることができるわけです。 さて、日本語には「言動」という言葉がありますよね? 意味としては、発言と行動を合わせたもの。 合わせるといっても、その発言の言葉をよく考えれば、発言をした人がする行動なんて見えてくるもの。 発言と行動がバラバラなんてありえませんよ。一見バラバラのように見えても、ある視点から見てみると、実につながっていたりするもの。 このメールマガジンでは、そんな視点をできる限り提供しようと続けてきたわけです。 今回は、その発言と行動のつながりを見てみる視点をまとめてみましょう。 1. 対象者が不在 ダメダメ家庭は会話が不全の家庭。 だから、どうしても会話がぎこちない。 それだけではありません。ダメダメ家庭で育った人間は、「他者を認識する心理的な能力がない」。 養育者が、子供からのアクションに対して無反応のことが多く、人間とマネキンの違いが心理的にはわからないようになってしまう。 やり取りをしていても、相手がまったく見えていない。 だから、「独り言系の物言い」が多発する。 部屋の中で一人でいる時に独り言を言うのなら、それだったらまさに独り言の王道と言えるでしょうが、顔を合わせて、面と向かっての独り言系の物言いなんだから、途方に暮れる。 そんな独り言系だったら、メールでもそんなパターンが多いもの。 メールの宛先の人のことを何も考えない状態なのに、個人に対してメールすることになる。 だからこそ、連続発信のメールが多いもの。 そして、そんな連続発信のメールの文章は、まさに絵に描いたような独り言。 相手が見えないままにコンタクトを取る姿勢が、より深刻化してしまうと、ストーカーになってしまうのは、簡単に理解できるでしょ? 連続発信のメールをするような人は、ストーカー予備軍といえるわけです。 相手からのリ・アクションを受け入れる発想を持っていなくて、一方的に思いをぶつけるわけですからね。 前にも書きましたが「他者を心理的に認識できない」と、自分と他者との区分けができない。自己と他者の区分けだけでなく、様々な点で「区分け」が喪失してしまう。 だから、自分の考えを一つにまとめることができない。 とりあえずの感情を、とりあえず言葉にして、それを適宜、投げつけるだけ。 どうしてもわかってほしいこと、それ自体が、自分の中で「形」になっていない。 まとまりのない文章を書く人は、まさにそんな危険性を持っている人なんですね。 区分けという発想そのものがないので、やり取りの「最後を締める」という発想もない。 いわば、やり取りの成果を出すという発想をもっていないわけです。 逆に言うと、成果を出すためにやり取りをするわけではないので、「あーでもない、こーでもない」と議論のための議論を繰り返し、結局は、「捨てセリフ」を投げつけトンズラしてしまうもの。 そんな「捨てせりふの匂い」は、最初からしているものなんですよ。 やり取りにおいて、相手を見ているのではなく、結局は自分で確認したいだけ。 だから必要以上に強い言葉が頻発しているもの。 強い言葉を使うことで、自分を納得させてしまう。 必要以上に強い言葉の使用は、言葉の段階で留まっていれば、まあ、いいわけですが、それこそ、「自分こそが被害者なんだ!」と納得させるために、人を殺したり、あるいは、その殺すに当たっても、滅多刺しのような「必要以上」の方法を取ったりするもの。 それこそ「厚生省事務次官OBを殺害した事件」などはその典型でした。 滅多刺しでの殺害となると、「どうしてこんなに残酷なことを?!」「どんな恨みがあったのか?」などと疑問を呈する方がいらっしゃいますが、「恨みがあった」から「必要以上に残酷な方法」で殺害したわけではないんですね。むしろ「コイツのせいでオレはうまく行かない!」ということを自分に納得させるための儀式のようなもの。 つまり、それだけ殺害の対象者の心理的な実体感がないと言った方が適切となる。 恨みがないからこそ、あるいは、その恨みに自信がないからこそ、必要以上に残虐な方法になっていると言える。たとえば、まだ恋愛感情が残っている相手を殺害する際には、必要以上に残虐な方法を取ったりするんでしょ・・・私は経験ないけど・・・ 恨みの対象にせよ、あるいは愛の対象にせよ、相手が見えていない。そして自分自身を喪失している。 そんな人は、それこそ文章を書かせると、主語の省略が多かったりする。あるいは代名詞が指し示すものが不明確で、読んでいてさっぱりわからない。しかし、読んだ側がわからない以上に、書いている当人も実はわかっていないわけ。自己逃避の人は、主語の消失が起こりやすいということは、言われてみれば当然のことでしょ? 相手が見えていないので、相手から反論なり質問されるのが怖い。 まさに、それまで自分だけの世界だったのに、質問なり反論を受けたら、突然に別のものが現れたようなもの。 だから、その「質問をかわそう」としたり、反論には過剰に反応してしまう。 あるいは、質問なり反論をされないように、権威筋認定の立派なものを、わざわざ主張したり、「必要以上」に強い表現を使ったりする。 それこそ文章のテンションも「必要以上にハイテンション」。 反論が怖いから、異常にハイテンションなんてスタイルは、それこそインターネットの掲示板などでは、顕著に見られるでしょ? それこそ「www」なる表記を使ったり、あるいは、同じ単語を執拗に繰り返したりする。 しかし、それによって、その文章を読んだ側が、どのように受け取るのかは、眼中にはない。 強い調子で自分を納得させ、そして相手から反論を受けたくない・・・そんな心理なんですね。 それだけ他者を認識できていないと言える。 あるいは、反論を受けにくい立派なものとなると、このメールマガジンで頻繁に言及いたしました「ボランティア」がその典型と言えます。 しかし、ボランティアも、結局は、他者というものを心理的に認識できていないわけです。 サポートする対象が心理的に実在感がないがゆえに、「形どおり」のものしかできないというだけ。相手の満足ではなく、自分の満足が優先されている。まさにインターネットの掲示板がそうであるように、「言い放し」「やり放し」で済むようにしたい。 必要以上に「いい子ちゃん」な文章は、結局は、対象を認識した上で、サポートするということができないことを示しているわけです。 だからボランティアの連中は、「こんな人をサポートした。」とかについては、自慢げに書きますが、その人が、結果的にどのようになったのかについては、何も書かないでしょ? 他者というものを、心理的に認識できていないという点から見てみると、ボランティアの言動の心理的な意味も見えてくる。そんな人は、自分がいい人でなくなってしまうと、困ってしまう。だから、そうなりそうな事態になったら、スグにトンズラしたり、ヘタをすると、「ボクはホントウは、いい子ちゃんなんだよ!」「ホントウはアイツが悪いんだ!」と周囲にクレームを付けるようになってしまう。 それも、自分を納得させるための主張なんだから、そんないい子ちゃん主張も「必要以上」に過激なものになってしまう。 ボランティアって、自分のペースで進めているうちには、いい子ちゃんですが、そのペースが崩れてしまうと、異常に過激でしょ? 逆に言うと、だからこそ、「恵んでアゲル」というスタンスを取りながら、自分のペースを作っていこうとしているわけです。 2. 将来を見ない ダメダメな人間は、自分自身から逃避している。だから自分としては将来どうしたいのか?ということを考えようとしないし、見ようとしない。 そんな人の書いた文章は、文章全体の構想が分かりにくいものなんですね。 「展望もない」のに、文章を書き始めてしまう。 以前にも書きましたが、離婚相談がそのパターンが多い。 まさにその折その折の感情なり不満を適宜、相手に投げかけてくる。 文章全体の構想をまとめた上で、書き始めるということにはなっていない。 その場その場で「てきとう」に始めてしまう。 そんなスタイルをそのまま、結婚生活にも適用するんだから、そりゃ離婚にもなりますよ。 そして、その文章も構想がなっていないというだけでなく、誤字脱字も多い。 あるいは、句読点がなかったり、あるいは不適切な位置にあったりする。 つまり、適宜、見直したりはしないということ。 問題があれば、それを早めに認識し、トラブルが小さいうちに対処すればいいのでしょうが、文章すら見直さない人間が、自分の眼前のトラブルを認識できるわけがないじゃないの?そして、句読点がない文章を書く人が、そんな日々に区切りをつけることができるわけがないじゃないの? 離婚関係者の文章と、句読点は、区切りの問題という点で、実に共通しているんですよ。 メールにおいて、自分の言いたいことをしっかりまとめた上で、相手に分かりやすい文章にして、そしてちゃんと校正して、メールを発信する・・・ それができない人は、「てきとう」に結婚し、相手のことは何も考えず、トラブルには目を背け、結局は、「どうしてわかってくれないの?」と周囲を恨むだけになってしまうことは、これも言われてみれば当然のこと。逆に言うと、文章を見ただけで、その結婚がどうなるかも見えてくるわけです。 3. 否定的 ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。自分で達成したいものがない。 誰かのやったことを否定しているだけ。 だからその物言いにも「否定形の物言い」となってくる。 「しちゃダメ!」とか、「くだらない!」とかの物言いでスグに否定するんですね。 そして、常に否定的な発想をしているので、否定に否定が重なって「多重否定」表現が多発することになる。 逆に言うと、そんな否定形の言葉ばかり使っているということは、当人自身で達成したいものがないということ。 あるいは、言葉の上では肯定形であっても、その中身として否定形であるパターンもあります。 遥か彼方のものを「超肯定」することで、眼前の現実を否定することも多い。 それこそ「人間は生きているだけで、すばらしい。」とか、「アフリカの子供たちのことを考えろ!オマエは幸せなんだ!」なんて、アフリカの子供のような遥か彼方にいる存在を、絶対的に肯定することで、自分の子供の希望を否定する。あるいは、最近だと「友愛」という抽象的な言葉を持ち出すことによって、身近にいる人の希望を封殺する手法もおなじみですよね? 4. 鳩山さん その友愛に関してですが、以前より、このメールマガジンで現在の日本の首相である鳩山さんの言動を取り上げたりしております。 就任当時はまだはっきりとは分かりませんでしたが、鳩山さんは、「このメールマガジンの実例を提供するために就任しているのでは?」と、この私が感動するほど、見事なまでにダメダメっぷりを見せてくれている。 鳩山さんについて、「何を考えているのか、さっぱりわからない。」とおっしゃる方もいらっしゃるようですが、私にしてみれば、まさに手に取るようにわかりますよ。 あの手の人とのやり取りの経験も豊富ですからね。 彼については、自己逃避という点を認識しておけば、その言動はほぼ説明できてしまう。 しかし、自己逃避であるがゆえに、自分は自分自身から逃避しているという自覚がないのは、論理的に当然のこと。自分自身の希望なり目標が存在しないから、何かを否定してばかり。 だから、その物言いにも否定形が実に多くなる。 彼はその場の空気を読もうと必死だけど、本質的には「人の気持ちがわからない」人間といえます。 だから、やり取りの相手の言葉を聴覚的に認識するだけで、その背景となっている思考なり感情なり、それらを統合する「人格」にまでは認識できていない。 必死で空気を読もうとしているがゆえに、結果的に空気から外れてしまっている。 それこそ、ちょっと前のアメリカの会議で、正式での会談を拒否されたら、会食で隣の席をゲットしようとする始末。 相手に伝えたいことが本当に明確になっていないがゆえに、「アナタに会いたい!」と言い出すことになる。 いわば「招かれざる客」状態。 しかし、日本とアメリカ以外の国がいっぱいいるのに、それこそ中国のような仮想敵国がいるのに、その場で軍事の話をしようとしたら、歴然たるバカですよ。 しかし、そんなことは、ダメダメとの付き合いの豊富?な私にしてみれば、実に「既視感のある光景」なんですね。 「おいおい!この場でそんなことを言い出すのかよ!」と、顔面蒼白になったことも、いくたびか! まあ、オバマさんの困惑もよくわかりますよ。 そんなことばかりしているから、誰も相手にしなくなってしまって、だからこそ、その言葉がどんどんと強いものになってくる。「強い言葉が軽々しく出てくる」ようになる。 「絶対に!」とか「命を懸けて!」とか「ワタシを信じて!」の言葉が安直に出てきてしまう。 と言いながら、言おうとしているのは結局は「言い訳」だけ。 確たる方針ができていれば、その方針を具体的に説明するだけで、扇情的な強い調子の言葉などは必要ありませんよ。強い言葉が軽々しく出てくる段階で、逆に言うと、そんな強い言葉を使わないと、相手にしてくれないということ。 しかし、前にも書きましたが、必要以上に強い言葉は、何よりも自分を納得させるためであって、相手を見ているわけではないんですね。 言いたいことはあっても、相手にわかってほしいことはないわけです。 だって、そもそも相手というか、他者というものが心理的に認識できないわけですからね。 ちなみに、鳩山首相が他者を心理的に認識できてないという点において、弟さんの邦夫さんにも共通しているでしょ? 兄の由紀夫さんが、どっちかというと陰性の「人に合わせる」パターンとすれば、弟の邦夫さんが、陽性で「空気を読まずに」勝手に言い放つパターンと言えるでしょう。 いずれによせ、相手の気持ちを認識する発想なり心理的な能力を持っていない。 まあ、鳩山家の子育ての失敗が見えてくるんですね。 そのツケを日本国民が背負っている状態。 と言っても、そんな人を選んでしまったのは、まさに日本国民。 絵に描いたような自業自得状態。 ちょっとした言葉だけで、その行動もわかったりするもの。 そして、「その後」がどうなるかも見えてくるものなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 何回も書いていますが、このメールマガジンは政治信条を考えているわけではありません。政治家の心理に注目しているだけです。 鳩山さんが体現する、存在そのもののや、存在の認識の「おぼろげさ」「うつろさ」は、たとえば、以前にはアルベール・カミュの「異邦人」で取り上げております。 この「異邦人」では、否定形の表現を多く使っております。それだけ、自分自身が確立していないわけ。まあ、異邦人とは、まさにそんなものなんですね。 色々な意味で、鳩山さんを理解するのに役に立つ作品と言えるでしょう。 あと、このメールマガジンもあと1週間となりました。 ちなみに、メールマガジンは終了いたしますが、バックナンバーのサイトには、たまには新しい文章をアップしていくことも考えております。 あるいは、投稿の文章がありましたら、それもアップしていく予定です。 リクエストなりご質問等がありましたら、対応していきたいと考えております。 では、あと一週間よろしくお願いいたします。 |
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R.11/1/3 |