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カテゴリー ダメダメ土曜講座(事件・トラブル編)
アップ日 10年10月2日
タイトル 中国漁船による衝突事件
先日起こった中国漁船と日本の海上保安庁の船との衝突事件は大きな騒ぎになっており、今もまだ騒いでおります。
日本の人たちは、日本政府の対応に不満いっぱいのようです。
しかし、まあ、私からみると、政府の対応には、大きな間違いはないのでは?
ホント、サスガ10億人以上の人口を束ね、4000年の歴史がある国の政府ですよ、サスガですよ、中国政府は。
中国人民はオバカかもしれませんが、中国政府はバカじゃない。彼らなりの洞察と意志を持った対応と言えるでしょう。

このサイトでは、メールマガジンとして発行していた当時から、政治家の問題を取り上げたりすることもありますが、注目しているのは、その心理であって、政策そのものではありません。
そんな政策を求める心理なり、あるいは、政策や発生した事案に向き合う姿勢から見えてくるものがあるわけです。
個別の人物の問題に注目しているのではなく、その人物に「発現している普遍的な問題」に着目しているだけです。

さて、今回の中国漁船の衝突事件ですが、当然のこととして、この事件単体で考えても何も見えてこない。
今までの「流れ」を踏まえて、今回の事件になり、そして、今回の事件が、次の流れを作っていく・・・物事というのはそんなものでしょ?
「どこから来て、どんなもので、どうなるのか?」・・・そんな問題意識が必要でしょ?

さて、以前に、「関係チェック」という文章を配信しております。
ダメダメ家庭の人に限らず、トラブルをあえて起こすことによって、自分と相手との関係をチェックするような行動があったりするもの。
昨年(09年)に、中国政府は、中国高官と、日本の天皇との会談のセットを要求してきましたが、そのような要求は典型的な関係チェックです。
そもそも、天皇はディシジョン・メーカーではないんだから、会談を可及的にセットする必要なんてありませんよ。
つまり、中国政府としては、日本政府に対して無理を投げかけると、どうなるかをチェックしていたわけです。いわば、医者が聴診をするようなもの。

そして、その時点での関係チェックにより、「無理を言えば、相手は従う。」という関係性を認識したわけだから、関係チェックの流れにのっとって、より大きな無理を投げかけて、より「支配・被支配の関係性」を強化しようとするわけ。
これは、国と国のやり取りという政治の問題ではなく、純然たる関係チェックの問題です。
まあ、だからこそ、今回に続く関係チェックも当然でてくるわけですが、それについては後で記載いたします。

中国高官と天皇との会見という関係チェックにより、「無理を押し付けると、従う。」という関係が確認できたことを踏まえ、より大きなトラブルを起こすことによって、その関係性をさらに強化するわけ。

まさに、前回以上に「強く」出てくることになる。
前回は、曲がりなりにも、ジェントルな依頼のスタイルを持っていたわけでしょうが、今回はより高圧的なスタイルをとることによって、大きな譲歩を獲得できるわけ。
大仰に怒った姿を相手に見せることによって、相手側(日本政府)をオロオロさせることができることになる。

頻繁に書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、いい子ちゃん志向がある。
達成したい目標が存在しないので、「減点面だけを注視し」、その減点をなくすことばかりを考えるわけ。
だから、周囲の人たちの気持ちに配慮した「いい子ちゃん」でありたい、というか、あるべきだと、いわば強迫的に思ってしまっている。
そんな「いい子ちゃん」は、目の前に顔を真っ赤にして怒っている人がいると、どうしていいのか分からずにパニックになってしまうわけ。

やり取りの相手方に配慮するのは、いい子ちゃんの鉄則でしょ?
だから、どうしても配慮しようとしてしまう。
相手の怒りを鎮めないといけないと焦ってしまう。

だから、どんどんと譲歩してしまうことになる。

これも頻繁に書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、「信頼と好意の区別がつかない」。
というよりも、信頼というものが理解できないわけ。
だからこそ、相手の「怒り」という感情面に対して過剰に反応することになる。
ということで、相手方の怒りを鎮めることに、強迫的になってしまうわけ。

あと、別のところで書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、相手から「被害を語られると思考停止になってしまう」傾向がある。
常に被害を語っていた親とのやり取りの体験があるので、相手が被害を語ってしまったら、「もう、何をしてもムダ!」と、心ここにあらずになってしまうわけです。だから、被害というかクレームをつけてきた段階で、思考停止になってしまうわけ。

まあ、世慣れた人は、そんな心理を見逃すわけがありませんよ。
相手に対して、怒った表情を見せておけば、オロオロするばかりなんだから、怒った表情をいつまでも保ち続けますよ。
怒りの感情はともかく、怒りの表情なんて作るのは簡単でしょ?
それくらいは、どこの国の人でも、交渉ごとのプロなら朝飯前。

以前より書いていますが、信頼というのは、対応がブレないことが必要になってくる。
しかし、好意だったら、臨機応変という大義名分のもとに、そして、相手の気持ちに配慮するという美名のもとに、断片的な対応を求められることになる。信頼というものを理解していないダメダメ人間は、相手の感情ばかりを見て、一本筋がとおっていない対応ばかりになってしまう。
まさに「人に合わせすぎる」状態。
人に合わせるということは、攻撃的になれば、いわば「あら探し」となる。

そんな観点からみると、管さんのスタイルも理解しやすいでしょ?
管さんは実に対抗心が強い人ですが、対抗心が強いということは、逆に言うと、当人自身でやりたいことがないということ。
だから、いったん守りに入ってしまうと、実に弱い。

人に合わせすぎる人間は、個人レヴェルだったら、その人の内面にストレスをため込み、集団を預かる人間なら、下の者に負荷を押し付けることになってしまう。
まあ、そんなことだから、管首相に対して、一般国民から「売国奴!」なるヤジが飛んだのかもしれませんが、管さんとしては、信念があって、売国をしたわけではないんですね。
ただ、相手からの好意を求めて、「人に合わせすぎて、パニック」になっているだけ。

そんな光景は、ダメダメ家庭の周辺では実にポピュラーなシーンと言えるわけです。
皆様も、個人レヴェルでは、そんな体験をした方も多いのでは?
以前にも書いていますが、学校において、「いい子」のクラス委員が、クラス内の乱暴者の言うことを必死に聞いていて、どうしていいのかわからずに、心身ともに疲れてしまっている状態と同じ。

ありふれたシーンなんだから、そんな心理の流れは、政治のプロである中国政府には手に取るようにわかっているでしょう。
相手をオロオロさせておけば、いくらでも譲歩するわけですからね。
と同時に、これだけオロオロしているんだから、「こうすれば、黙ってあげるよ。」という着地点を提示すれば、たとえそれがどんな条件であっても、まさに飛びついてきますよ。

そんな管さんを非難する人もいるでしょうが、あのようないい子ちゃん志向の、別の言い方をすると信念のない人間を、選挙で選んだのは、一般の日本国民。
そもそも、その人に信念があれば、みんなにいい顔というわけにはいかないでしょ?

抑圧的で、現実逃避になってしまうと、トラブルが発生した場合には、そのトラブルを解決するという発想ではなく、トラブルを見ないようにするという発想になってしまうわけ。
いわば、事態をうまく流してくれる指導者を求めてしまうことになる。
あるいは、トラブルを見ないようにしてくれる軽い指導者を求めることになる。
今回の管さんの対応も、何とかして、このトラブルを見ないようにしたいという発想でしょ?そして、そんな姿勢は、一般国民も共通しているわけです。
それだけ、国民全体に当事者意識がなくなってしまっていて、トラブルに対して覚悟を持って取り組む気概もないんですね。

一般国民が政治分野におけるトラブルに向き合う必要はないでしょうが、日頃のちょっとしたトラブルにおいても、見ないようにできればそれでいい・・・そんなスタンスになってきているでしょ?

そんな逃避的なスタンスは、これも頻繁に言及しておりますトルストイの小説の「アンナ・カレーニナ」がその典型。
彼女は、ちょっとでも不都合なことがあると、「そんなものは見せないで!」と逆上してしまう。
そんなスタイルは、今回の管さんでも、まさにそのままでしょ?

じゃあ、自民党だったら、ちゃんと対応できたかというと、アナログ的には差はあるでしょうが、本質的には変わらないでしょう。
そもそも、「精一杯頑張っております。働かせてください。」という同じ言葉の選挙キャンペーンで当選しているんだから、民主党も「自民党」も違いなどはほとんどありませんよ。
前にも書きましたが、投票した側の人間も、当選した側の人間も、トラブルを見えないようにすることはできても、たとえ人から嫌われてもトラブルを解決する意欲も発想も「覚悟もない」わけ。
だからこそ、選挙においては、皆から好かれる「芸能人が当選」してしまう。

トラブルを解決するためには、当人自身にも、それなりの覚悟や痛みを伴うもの。
それに対し、トラブルを見えないようにするには、それ相応のお金でも出せば済むでしょ?
そんな習慣があるので、自分で考えること自体から逃避するようになってしまう。

さて、今回の衝突事件は、典型的な関係チェックであることは最初に書いております。
事件の発生自体も、半分以上は故意でしょう。まあ、このような騒動が起こることは、この手の心理に詳しい人なり、政治のプロなら誰でも事前に予想できることですよ。

じゃあ、次の関係チェックはどんな事件なの?

歴史的には、まあ、お約束があって、それはその地に居住している人間の保護という名目を使う方法です。それこそ日本国内には、多くの中国人が住んでいますが、その日本在住の中国人が、日本人から暴行を受けたとか、殺害されたとかの事件を大きく取り上げ、騒ぐ方法です。それこそ、20世紀のナチがその方法を使ったでしょ?

まあ、ちょっと待っていれば、実際にそんな事件も起こるでしょう。
そうなったら、中国政府は大騒ぎするわけ。
「我々の同胞が日本人によって被害を受けた。謝罪せよ!補償せよ!」と、また、顔を真っ赤にして言ってくることになる。
そうなると、謝罪や補償だけで済むものではない。
「今回の事件で明らかになったように、日本の警察だけでは、我々の同胞を守れない。自国民を守るのは国家の義務だ!だから、中国の警察官や軍隊を日本に駐留させたい。」
そのように中国政府に主張されてしまったら、日本政府はやっぱりオロオロするばかりでしょうね。

まあ、いきなりの警察官の駐留とか、軍隊の駐留まではいかないでしょうが、中国人が被害にあった地区の所轄の警察署の署長の首が飛ぶくらいはあるのでは?

そうなると、実質的に、公務員の罷免権を中国政府に握られてしまう。
それに、中国政府としては、いつでも騒ぎを起こせるという手駒を持っているわけだから、選挙前にそんな騒ぎを起こすことによって、政権与党を変えることもできてしまうでしょ?日本の与党だって「配慮」してくれますよ。

そして、これらは、全部合法的でしょ?
それに、ナチスのような、歴史的な成功事例もある。

周囲に配慮した「いい子ちゃん」は、トラブルを解決できないだけでなく、譲歩に譲歩を重ねて事態を悪化させるだけ。
それこそ、ナチを受け入れたドイツ人の心理を考えたエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」の中に、このような記述があります。
権威主義的人間は相手が無力になればなるほど、いきりたってくる。」
サドマゾヒズム的性格に非常に典型的な、強者に対する愛と、無力者に対する憎悪・・・『宥和』は、ヒトラーのようなパーソナリティにとっては、必ずや友情ではなく嫌悪を引き起こす政策である。」

まあ、管さんとしては、中国側の好意を求めての譲歩のつもりなんでしょうが、それによって、むしろ相手方の嫌悪を引き起こす場合も多いわけ。
相手から嫌悪され、侮蔑されていることが感じられるがゆえに、ますます好意を求めて相手の要求に合わせてしまい、ますます相手から侮蔑される。そして、負荷をどんどんと抱え込んでしまう。
結局は、ため込んだ負荷が限界を超えて、ドッカーンとなってしまう。
何もこのようなことは国と国の問題に限らないもの。
未成年の事件があったりすると、「あんないい人のお子さんが、どうしてこんなことを?」などとご近所の人がコメントしたりするものですが、「いい人」のプロが、「いい親」のプロというわけでもないし、政治のプロというわけでもないでしょ?

その手の、いかにもな「いい人でしょ?オーラ」を出している親は、親としての機能や覚悟や信念がないがゆえに、人に合わせてばかりで、それゆえに、周囲の人から「いい人」とみなされている事例が多いわけ。
もし、みなさんが、現在の首相の管さんの対応に忸怩たる思いをなさっておられるのなら、そんな不満こそが、ダメダメ家庭の中にいる子供の不満を理解するための参考になるわけです。
やたら外面のいいトップを見ていると、「よそに対して、いい顔ばかりしているじゃねーよ!」「コッチは、もう、やってられねーよ!」と、冗談抜きで思っちゃうでしょ?
「あんないい人さん」が作っているダメダメ家庭の子供も、同じ気持ちなんですね。
 R.10/10/19