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カテゴリー ダメダメ土曜講座(表現と作品 編)
配信日 10年1月30日
タイトル 聞く耳持たぬ系の物言い (問答無用の物言い)
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。
当事者意識がないというよりも、自分で考えることに心理的恐怖心を持っている。
だから、誰かの話を聞くにせよ「権威筋の考えを学ぶ」という一方的なスタイルから外れたくない。
「学ぶ」という文言は、視点を変えると「従う」だったり、「縛る」という意味でしょ?
ダメダメ家庭の人間は、そのようなマゾヒズムを持っていることが多いんですね。

一方的に学ぶだけにしておきたいので、権威筋認定の理屈、つまりいわゆる正論が通じない世界から逃避している。
まさにトルストイ描く「アンナ・カレーニナ」のように「ワタシに見せないで!」というだけ。

自分自身で考えたくないので、とにもかくにも、人の話を聞きたくない。
かと言って、そんな人は、自分の被害話は一生懸命に語っているもの。
被害話というか、グチをする相手は求めている。
しかし、相手からの話はやっぱり聞きたくない。
それこそバルザックの「谷間のゆり」におけるアンリエットのような状態。

じゃあ、どうやって相手の話から逃げるの?
あるいは、どうやって、相手に言わせないようにするの?
そんな方法をこのメールマガジンでは色々と取り上げております。
今回は総集編のように、それらを列挙してみましょう。

まずは、「やたらテンションを高く話す」ことによって、相手をゲンナリさせる方法です。
テンションの高すぎる相手に対しては、何も言う気が起こらないでしょ?

まったく逆のパターンとして、こちらからの話に無反応のローテンションのパターンも、話が弾まないでしょ?返事が「うーん・・・」「えーとぉ・・・」とかの相槌だけだったら、会話にならないじゃないの?
「あれをやった?」『ちょっと、それは・・・』
「じゃあ、どうしたいの?」『うーん・・・どうしようかなぁ・・・』
そんなやり取りだったら、次には続きませんよ。
結局は、やり取りも終了し、そして相談などのやり取りをしたというアリバイは獲得できる。

あるいは、相手がちょっと何かを言ったら、スグに「無意味な茶々」を入れたりする。
茶々を入れるパターン以外にも、小ネタを連続投入するパターンもある。まさにタイミング的に言わせないようにするわけ。
メールでのやり取りなら、「連続発信のメール」になるわけ。
メールのやり取りにおいても、本来なら、相手の返事を受けて、またこちらからの返事を発信する、そんな往復のやり取りでしょ?しかし、何本も連続してメールを送ったりするわけ。
往復というスタイルを否定されてしまったら、やり取りも進みませんよ。
「ワタシの話を聞く気あるの?」と思ってしまうでしょ?
まあ、本音としては、相手の話を聞く気がないというよりも、聞くのが怖いわけです。

また、「会話のタイミングに配慮しない」パターンもあります。
話しかける際には、本来は、相手が返事をしやすいタイミングで話しかけることが必要でしょ?
しかし、無意識的には返事がほしくないので、そんなタイミングも考慮しない。
むしろ相手が返事をしにくいタイミングで話しかけるようなことをする。

あるいは、表現も「一本調子」のダラぁ〜とした調子で、途中で聞く気も読む気もなくなってしまうパターンもあります。そんな話を聞いても、何も言えませんよ。だって最後まで聞き通すことができないわけですからね。
いわば「アンタの話を聞く気はないんだよ!」というスタイルを、無言で見せるわけ。
そんな人に対して、話をしようとは思わないでしょ?
本気でわかってほしいことがあるのなら、上手下手はあっても、ある程度までは表現も上達しますよ。

あるいは、当然のレヴェルの「社交辞令」も無視した話振りをするパターンもある。
慇懃無礼な丁寧さは必要ないにせよ、最低限の社交辞令もない人とはやり取りをしたいとは思わないでしょ?
そんな人に対しては何も言えませんよ。

あるいは、ある種、強圧的な話しぶりにすると、相手は黙ってしまうことになる。
それこそ「べき論」を連呼したら、もう相手は何も言いませんよ。

あるいは、やたら「上からの物言い」をしたりするもの。
あるいは、やたら、話を細かくしたりする。「枝葉末節ばかり」で、「で、結局は何が言いたいのかわからない。」そんな話になってしまったら、相手は何も言ってこないでしょ?

特に話を細かくするスタイルとなると、「あら探し」で、「揚げ足取り」ばかりのケースがポピュラーです。
それを、メールでやると「スサムメール」となる。
枝葉末節の揚げ足取りばかりで、場外乱闘に持ち込もうとする姿勢が顕著な人も現実にいるでしょ?そんな人は、それだけ、やり取りのペースを自分で握らないとマズイというコンプレックスを持っているんですね。だから「必死で仕切ろうとする」ことになる。

そんなことをしてくる人に対して、何も言いませんよ。
どうせ議論を進めても、何も得るものがないだけでなく、はっきり言って危険なんですからね。

やり取りをしても、相手が呆れてしまったり、恐怖を感じてしまう・・・
逆に言うと、そんな状態を作ることによって、会話の場から解放される。
つまり、「現実を見たくない!」と思っている人間にしてみれば、やり取りの端々において、そんな会話からの逃避のスタイルを示しているもの。
逆に言うと、そんなやり取りのスタイルをしている人は、現実や自分自身から逃避しているわけです。

現実を見たくないので、とにもかくにも、相手を黙らせたいわけ。
自分自身から逃避しているので、相手に対してわかってほしいことも、「合意してほしいことも存在しない」。
内心ではコンプレックスを持っているので、必要以上に難しい言葉を使ったりする。
あるいは、人の言葉の受け売りが多くなる。

しかし、本当にその言葉の意味をわかっているわけではないので、やり取りをしていても「コイツ・・・いったい何がいいたいの?」と思わされるだけ。
逆に言うと、それ以上は、やり取りが進まずに、相手も黙ってしまうことになる。
逆に言うと、相手を黙らせる能力ばかりが向上して、合意を得るための「説明能力」は低いまま。
そんな人に限って「どうしてミンナは、ワタシのことをわかってくれないの?!」とグチっているもの。

相手を黙らせる方法ばかり習熟して、相手を唸らせる説明とは無縁。
相手を唸らせる上手な説明となると、相手が直面している事態を、相手以上に説明すると、相手も唸ることになる。
まあ、そのレヴェルにまで到達するには努力だけでは不可能でしょう。
しかし、相手を黙らせることばかりやっている人は、そんな唸る説明と接する機会もないし、あってもわからないまま。
結局は同類ばかりとのやり取りになって、やっぱり「どうしてミンナはわかってくれないの?!」とグチの共鳴。
しかし、そんな程度のミンナとやらにしてしまったのは、当人なんですね。

そんな状態なので、たまに理解力がありそうな人を見つけると、「この人に構ってほしい!」とコンタクトを取る。
しかし、自己逃避で現実逃避で会話の精神が不在のままの人が、理解力のある人とのやり取りが成立するわけもない。
そんなパターンとなると、「人に合わせてばかり」のパターンになってしまう。

その場その場で、相手の言葉に合わせているだけ、言っていることが相互に繋がらない。
「Yes or NO」が明確ではなく、やり取りをしていても、どんな意見を持っているかがわからない。
場の雰囲気を悪くしないように配慮するという名目で、「情報の小出し」が多い。

だから、相手方も、やり取りをする意欲もなくなってしまう。
相手からの話を聞こうとしない人は、自分を騙すためのネタがほしいだけ。
だから、相手の話の都合のいい部分だけを見つけ、「ああ!やっぱりワタシはかわいそうな被害者なんだ!」と「自分流に納得する」ことになる。

相手の話全体を聞くつもりはない。
ヘタに聞いてしまうと、自分で自分を騙している状態が崩れてしまう。
そんな人は、相手の話を聞いて、自分を騙しきれなくなると、それこそ「捨てセリフ」を投げつけ、トンズラしてしまう。

人の話を聞こうとしない人ほど、スグに逆上気味になり、結局は捨てセリフでトンズラって、お約束の流れでしょ?
そんな人は、結局は集団化して、ボランティア団体や、「市民団体」などを作って、問答無用に説教をするようになる。
そんなシチュエーションでは、まさに相手の言葉を聞かなくても済むわけでしょ?
気に入らない相手には「つるし上げ」をするだけ。

これらのことって、実につながっていますし、同じ人が色々なパターンでやっているものでしょ?
結局は、自分自身から逃避し、現実から逃避している人たちなんですね。
ダメダメの心理的な土壌が共通しているから、行動も同じようなことをするわけです。

(終了)
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発信後記

以前にダメダメ家庭の人は、相手からのリアクションへの「ぎこちなさ」があることについて書いています。
会話の心理的ベースを持っていないわけ。
一方通行でのやり取りでしか、対応できない・・・と言っても、「一方通行でのやり取り」って、そもそもが論理矛盾。
だから、その無理が限界点を超えて、捨てセリフとなる。

まあ、実際に捨てセリフが登場する前から、そのリアクションへのぎこちなさから、「捨てセリフ」に至るまでの時間が、想定できたりするものなんですよ。
皆さんも、そんな観点で、ちょっと思い出してみては?
 R.10/12/31