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カテゴリー | ダメダメ土曜講座(事件・トラブル編) |
配信日 | 10年6月5日 |
タイトル | クレーマー総論 |
このサイトでは、いわゆる「クレーマー」に関係した文章もあります。 ダメダメ家庭とクレーマーという存在は、実に密接に関係しているもの。 逆に言うと、クレーマーになるような人は、ダメダメ家庭出身者と見て、間違いがないでしょう。 だから、事態の理解なり、その解決に当たっては、ダメダメ家庭を考える視点が有効になり、そして必要になるわけです。 この私が、この「ダメダメ家庭」のサイトについて説明する際に、このクレーマーという切り口から説明すると、結構、食いつきがいいもの。 「ああ!そう言えば、あの時も、まさにそんな感じだったよ!」などと反応してくる。 まあ、皆さんもお困りだったのでしょうね。 クレーマーについては、このサイトで頻繁に言及しておりますので、アチコチに散発的に触れてしまっている。今回は、いわば総論という形で、このクレーマー問題をまとめてみます。 1. どうしてクレーマーになるのか?その背景は?(事態発生前) 1-1 強い被害者意識 ダメダメ家庭は強い被害者意識がある。そもそも、自分の子供を育てることでさえ、「親である自分が背負わされた被害」と認識しているのがダメダメ家庭の親。もともと強い被害者意識があり、それが充満しているので、ちょっとのことでスグに発火してしまう・・・そんな家庭環境であり、そんな雰囲気を子供も受け継ぐことになる。そして、「自分こそが一番かわいそうなんだ!」と確信しているので、「他の人間には何をやってもいいんだ!」と考え、過激なことをすることになる。 (関連項目:被害者信念) 1-2 被害しか語るものがない ダメダメ家庭は当事者意識がないので、自分自身の目標も持っていない。もし、あるとすれば「ふつうになりたい!」くらい。「ふつう」というと、ただひたすら「空気を読んで」「人に合わせる」というだけでしょ?だから当人自身としては、それまで何も達成したいものがないわけ。何も達成したいものがないんだから、人に語ることができる実績も持っていない。おまけに心理的に抑圧的されているので、好奇心もなく、だからおしゃべりのネタも持っていない。 だから唯一持っている、そして今回晴れてゲットした被害のネタを、声高に主張することになる。 1-3 被害への食いつきの強さ ダメダメ家庭は被害者意識が強いので、被害というものに基づいた心理的なベースができている。何かを、「自分が被害を受けた」という形で事態を認識し、そして、周囲に対して、自分が受けた被害という形で事態を語り、そして、相手に対して被害を与えるという報復を考えることになる。 物事を認識する際に、被害の方向性なり、その大小という形で認識することしかできないわけ。 (関連項目:幸福の心理的ベース) 1-4 被害競争 被害しか語るものがないので、「どっちの側が、より被害が大きいのか?」という点が、その人のグレードになってしまう。被害が大きい方が、いわば立場が上となるわけ。だから「フンっ!ワタシの方がもっとかわいそうなんだ!」という物言いになってしまう。 「どっちが、よりかわいそうな被害者なのか?」そんなことばかり議論している環境なので、ますます自分の被害に目が行くことになる。 (関連項目:被害者への対抗心) 1-5 対抗心 「自分は被害を受けた。」と感じているので、その被害に対して「報復」しようと考える。 逆に言うと、報復行為によって、「自分こそが被害者なんだ!」と自分に確認する儀式とするわけ。だから、「アイツをやっつけるんだ!」という行為に気合が入ってしまう。 1-6 それ以外のアイデンティティがない 単に、被害に対して食いつきがいいとか、過剰に反応するというよりも、被害者としてしかその人のアイデンティティがない状態。だからこそ自分が受けた被害を否定されてしまったら、その人の価値がなくなってしまう。だからこそ、「命がけで」自分の被害を主張することになる。自分の命よりも、「被害者としての立場」が優先されるわけ。 (関連項目:被害を認められない被害) 1-7 自分自身でやりたいことがない 被害者としてしかアイデンティティがなく、他にやりたいこともないので、まさにクレーム活動に打ち込めることになる。他にやりたいこともなく、実績もないので、逆に言うと、失うものもない。だから、クレームを付けることこそが人生の目標になるわけ。 (関連項目:対抗心に安住する) 1-8関係性に依存する心理 自己逃避であるがゆえに、「自分はあの○○による被害者」という他者との関係を含んだ形で自分を規定してしまう。自分本人よりも、その関係性が優位に立つので、自分の命を投げ出しても、その関係性を守ろうとすることになる。自分の命よりも、「自分こそが被害者である。」という関係性が優先されるわけ。相手との関係性が優先されるで「どっちの側が、悪いのか?」という点について執拗に主張することになる。 (関連項目:認定を守るための行為) 1-9安く見られたくない ダメダメ家庭の人間は、そもそも達成したいものが存在せず、そして会話の能力もないので、周囲からの協力も得られず、結局は、何も達成してしない。だから、自信がなく、コンプレックスが強く、常に「値踏みされている感覚」を持っている。 だからこそ、過剰なまでに「オレの方が上の立場なんだ!」と主張したがるわけ。 しかし、達成したものがないので、「上の立場」を主張する論拠がない。 だからこそ、「オレはオマエから被害を受けた。」ということを持ち出し「オレはオマエよりも、もっとかわいそうなんだ!」という被害者競争の理屈を出し、「被害者なんだから、立派なんだ!」「被害者なんだから、大切に扱え!」と言うことになる。 1-10そもそも被害を避けようとはしない ダメダメ家庭の人間は抑圧的であり、自分自身で現状認識し、判断することに心理的に恐怖を持つ。だからこそ、「このまま行ってしまうと、とんでもないことになる。」と誰でもわかるような状態でも、何も考えずに、突っ走ってしまって、結局はトラブルになる。当人としては自分が主体的な形で考えてはいないのに発生してしまったトラブルなので、まさに「ワタシは悪くない」という形で、「被害」という「受身の」スタイルで認識しているわけ。トラブルを避けるという判断そのものから避けるがゆえに、トラブルが多発し、避けるという判断を当人がしていないがゆえに、それを「被害」と認識してしまっているわけ。 (関連項目:反省しない、引き返す勇気) 1-11被害を語ると構ってもらえる 「ワタシはこんな被害を受けたのよ!」「ワタシはこんなにかわいそうなのよ!」と周囲に主張すると、「まあ!なんてお気の毒なの?!」という自称「善意」の人から構ってもらえることになる。会話の能力の欠如したダメダメ家庭の人間にしてみれば、以前からそんな成功体験」をしてきている。だから、その構ってもらうための方法論を繰り返すことになる。 (関連項目:グチに甘い環境) 1-12被害を語ると仲間ができる 語られた被害に対しては、「まあ、なんてお気の毒なの?!」と同情の声をかけ、そして「全部、あの○○が悪いのよ!」と犯人認定し、そして、「一緒に、その○○をやっつけよう!」と対抗心で盛り上がることになる。 そんな仲間は、自分たち自身の問題なり課題からは逃避し、他者を犯人認定してばかり。逆に言うと、一緒に自己逃避できるので、お互いにとって都合がいい。そんな仲間ができるので、ますますクレームに身が入ることになる。 (関連項目:活動家、つるし上げ 、グチで盛り上がる環境) 1-13日頃からの不満 子供時代から親からの一方的な扱いを受け、不満が溜まっている。 それに、会話の能力が不全なので、やり取りもうまく行かず、家庭の外でも不満が溜まってしまう。 そんな不満が充満しているので、ちょっとのことでその不満が爆発することになってしまう。 つまり、現実的に言うと、そのクレームの理由とされるトラブルによって、20度の水を100度に沸騰させたのではなく、95度のお湯を100度に沸騰させただけ。ただ、自己逃避であるがゆえに、もともと95度であったことが当人自身でも気がついていないわけ。 1-14自意識過剰 自分というものを持っていなくて、他者からの評価に依存するがゆえに、他者の言葉が気になってしまう。そして、他者からの「自分への間違った評価」を正そうとすることになる。逆に言うと、そんな活動によって、自己逃避ができることになる。 自分自身のアイデンティティがない分だけ、自分への評価が重要となっているわけ。 (関連項目:評価向上のための努力) 1-15過剰反応の習慣 いざとなったら、親が守ってくれると言う安心感がないので、どうしても子供の頃から過剰反応する習慣になっている。トラブルの際に、サポートしてくれる人とか相談する人が不在になっているので、常に切羽詰っているわけ。 それにダメダメ家庭の周囲は、その周囲の環境自体がダメダメになっており、過激なクレームを抑える役回りの人も不在。だから、過激な反応が習慣化してしまっている。 1-16被害主張という形での自己表現 ダメダメ家庭の子供は、自己表現を親から押さえつけられている。だからこそ、その反動で、「何とかして自分のことを認めてほしい!」と強い表現意欲を持っていることもある。しかし、被害を語らなければ、相手にされない家庭環境だったので、自己表現といっても、「自分が受けた被害」に関することしかないわけ。だからこそ、事故表現=自己表現となり、クレーマーになってしまう。 社会との関わりが被害を通じてのみになっている。その手の人にしてみれば、クレームをつけるという形で、社会参加しているわけですし、それ以外の参加のあり方をもっていないわけ。 1-17 過度に倫理的 自分の目標を達成するために、自分で判断をしながら行動するという、いわばプラグマティックな発想を持っていないので、逆に言うと、過度に倫理的になってしまう。そして、発想の基本として減点法であり、常にマイナス面に視点が向かってしまう。 そうなると、自分に瑕疵があれば、単なるミスというよりも、「倫理的な問題点」としてみなしてしまうわけ。 倫理的な問題としてみなしてしまうので、それを認めてしまうと、自分が倫理的に劣っていることになってしまう。 だからこそ、クレーマーは自分問題点を絶対に認めようとしないし、相手に対して執拗に謝罪を求めることになる。 そして、そんな行為を倫理の観点から肯定し、いわば倫理的な使命感をもって、クレームを付け続けることになってしまうわけ。 2. クレーマーとのやり取り(事態の最中) 2-1被害者認定を求める 被害者としてしかアンデンティティがないので、まずは「自分が被害を受けた側」であることを執拗に主張することになる。逆に言うと、クレーマーと交渉する側は、この時点で「どっちが悪いのか?」という議論を始めると、まさに過剰に反応し、ドツボにはまることになる。 2-2その「被害」も具体的で客観的に説明できない 被害者意識の強い親によって育てられてきたので、「親に迷惑を掛けてはいけない!」と切羽詰っている。だから思考や認識にアンタッチャブルな領域が多くある状態。 だから、どうしても、そのアンタッチャブル領域を避けながら、考え、説明する必要があるので、その説明も客観的でわかりやすいものにはならない。もともと、相手にわかりやすく伝えるという発想を持っていないので、そもそも説明能力がないだけでなく、感情が昂ぶっているので、ますます何を言っているのかわからない状態。 (関連項目:抑圧状況下における犯人探し) 2-3上からの物言い クレーマーは、本当は、自分に自信がなく、あるいは目的意識もないので、やり取りにおいて相手にわかってほしいこと、それ自体が存在しない。 むしろ、相手から値踏みされたり、相手から自分の痛いところを突かれなくない。だからこそ、「○○してやった」などの「上からの物言い」をして、自分がやり取りをリードしようとすることになる。 合意を取るというスタイルではなく、「反論させない」という強圧的なスタイルが多くなる。 (関連項目:仕切りたがり&鶏頭オンリー) 2-4着地点がない。 そもそも何かを達成するために、自分なりに認識し、考え、行動するという発想や習慣をもっていないので、トラブルの終着点なり着地点が自分でも想定できない。そもそも、判断から逃避しているんだから、「このような状態となれば、自分なりに今回のトラブルを終結させてもいい。」という判断もできないわけ。 (関連項目:手がける困難、達成する困難) 3. 終結へ 3-1 結論を得ようとしてはダメ クレーマーの人は、抑圧的で認識や判断から逃避しているので、「お互いが納得できるこの結論が得られれば、これで了承。」という明確な形では終結しない。終了するにせよ、「いつのまにか、向こうからは連絡してこなくなっているなぁ・・・」という「な〜んとなく」の曖昧な形にしかならない。 逆にいうと、「お互いが合意できる最終案を取りまとめよう。」とすると、クレーマーは「相手から判断を迫られた。」と感じ、より、逆上することになる。 (関連項目:判断を投げる) 3-2 「構ってほしい」だけ クレーマーは当事者意識がなく、自分なりに、達成したいものがない人たちと言える。 基本的には、クレーマーは、ただ「構ってほしい」だけ。だから、何も構わないと逆上するが、目的を達成するためや合意を取りまとめる議論をしようとしても、やっぱり逆上する。 3-3 交渉する人の選定の際に考慮すること その手の過激なクレームは、日頃からの不満を、たまたま発生したトラブルによって発火しただけ。逆に言うと、その日頃からの不満の原因とつながりのある交渉者だと、トラブルが悪化することになる。それこそ子供時代からの父親の不満が積もりに積もっていて、たまたま発生した別のトラブルで爆発した場合には、クレーマーの父親と似た容姿とか話し方の人間を向かわせると逆効果。 (関連項目:代替物攻撃) 3-4 反論しない そもそもクレーマーとは、自分の「かわいそさ」を感情的に語っているだけ。 逆に言うと、その感情面だけは認めてあげる必要がある。クレーマーの説明が論理的に破綻していたり、ウソが見受けられても、その点を突くと、逆上するだけ。 クレーマーはその被害や意向を、明確な形では説明することができなくても、相手から反論を受けると、その反論に対して反論することは、できる。 逆に言うと、反論しなければ、クレーマーも言うことがなくなってしまう。 着地点も想定できず、そして客観的な説明能力もないので、反論を受けないと、食いつきようがないわけ。 (関連項目:反論が反論を呼ぶ) 3-5.相手の主張に食いつかない とにもかくにも、自分たちの被害が拡大しないように配慮し、相手への反撃はしない。 相手への反撃は、クレーマーの更なる逆上を生むだけ。 上手な撤退に徹する必要がある。 (関連項目:撤退戦) 3-6 応対に当たっては感情を見せない クレーマーは自分の被害ばかりを考え、そして「どっちの側が、よりかわいそうなのか?」ということばかりを考える。 だから、そんな人の前で、泣き出したりしたら、「オレの方がもっとかわいそうなのに、コイツは泣くことで『自分の方がかわいそうなんだ!』と主張しているんじゃないのか?」と心理的に緊張状態に入ってしまう。あるいは、自意識過剰なので、ヘタに余裕がある態度を見せると、「見くだされている!」と感じ、コンプレックスが刺激され、やっぱり逆上することになる。 だから、クレーマーとの交渉に当たっては、感情を見せないことが必要になる。 (関連項目:泣いてはダメ!、泣いている子供に説教 生気のない顔) 3-7 ゆるい形で判断を投げるようにする それこそ、トラブルの収拾案として、2種類くらいの案を提示して、「どちらの収拾案がいいのか?」クレーマー側に検討させると、クレーマーなりに考えなくてはならないので、心理的に困ってしまう。クレーマーは判断することが心理的に苦手なので、二者択一の選択も苦手。 そして、二者択一の選択をしてきたら、クレーマーが選択した案を、よりブレークダウンして、やっぱり二者択一の選択肢を提示してみる。 すると、クレーマーなりには検討するが、やっぱり心理的には負担。 「どっちの案にするのか」を選択するのが、心理的に負担になっているわけ。 そうこうしているうちに、クレーマーが検討している時間間隔が延びてくる。 結局は、クレーマー側からはコンタクトを取ってこなくなる。 これが、最終案として、1つの案を提示する形だと、その案のあら探しをすることになる。 ゆるい判断を求められる形であるがゆえに、クレーマーなりに考え、心理的なプレッシャーを抱え、その案件から逃避してしまうわけ。 そうして、「な〜んとなく」で終結となるわけ。 逆に言うと、「な〜んとなく」のスタイルにしておかないと、終わらないわけです。 4参考 クレーマーは自己逃避の諸相の一つであり、自分自身よりも、「自分と相手との関係性」に依存する心理といえます。 ちなみに、当人が相手に対して抱く「否定的な関係性」に依存すれば、今回のクレーマーになり、相手に対して抱く「肯定的な関係性」に依存すれば、ストーカーになります。 クレーマーは相手を破壊するためには、自分自身も破壊されることを厭わないもの。 その背景には、当人たち自身よりも、その間にある関係性に依存している心理があるわけ。 あるいは、ストーカーは、相手との肯定的な関係性を守るために、相手なり自分自身を破壊することも厭わない。 繰り返しますと、ストーカーというものは「相手と自分は、良好な関係である。」という関係性に依存して、逆に言うと、相手そのものや自分自身が喪失しているわけ。 関係性を優位にすることによる、自己逃避・・・これが、クレーマーやストーカーの心理になるわけです。 (関連する芸術作品:映画「アンディ・ウォーホルを撃った女」、小説「冷血」 あるいは、関連する人物となると「ヘザー・ミルズさん」「過激な動物愛護運動家」「漫画家の家へのクレーム事件」) |
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R.10/6/16 |