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カテゴリー | ダメダメ土曜講座(表現と作品 編) |
配信日 | 10年1月2日 (11年2月13日 記述を追加) |
タイトル | ちょっとした逆説集 |
年始(10年)ということで、気軽に読める文章にいたしましょう。 ちょっとした逆説や警句を寄り集めた文章です。 たとえば、「アナタ・・・若いねぇ・・・」なんて言われる人は、実際には若くないでしょ?赤ちゃんや幼稚園児のように、実際に年齢が低い人に対して、「アナタ・・・若いねぇ・・・」なんて言ったりしますか? そう!「アナタ・・・若いわねぇ・・・」と言われる人は、歳を取った人でしょ? 世の中にはそんなちょっとした逆説が多くあるもの。 まずは、言葉と現実の間の逆説から見てみましょう。 一般的にはいいことであっても、別の面も存在することも多く、その点への視点が必要になってくる。 「正義感が強い」 →自分で考えることから逃避。権威主義。あるいは、汚れとの付き合い方ができない。 つまり「心が弱い」人間のケースもある。正義を必死に語る人は、逆に言うと、権威者認定の正義しか語るモノがなく、説明能力も低い。 「挨拶ができる」 →人に合わせてばかり。作り笑いが上手のケースもある。事件が起こったりすると、よく「あの子は・・・挨拶が丁寧ないい子だったのに・・・」となるでしょ? それは、こちらのパターンなんですね。 「ボランティア」 →自己逃避で、自分自身との付き合い方ができない、人に恵んでやるという立場に立ちたがる、いわば飴を使ったサディズムのパターンも存在する。人に恵むのはいいとして、人に恵んでいない時には、そんなにいい人なの?別の言い方をすると、善意があるというよりも、善意があると周囲から見える人。他人の問題にも対処しているのではなく、自分の問題に対処することができない人。 やらなくてもいいことまでやっている人が、やらなければならないことを確実にやっているものではない。むしろ、やらなければならないことをしないための理由として、やらなくてもいいことをしている。 人助けを熱心に語る人が、人を助けた例はない。 必死で語っている姿は、現時点で人助けをしていない証明である。 「自尊心」 →自分の弱さとの付き合い方ができない心。だから「オレは偉いんだ!」と盲目的に連呼するだけの尊厳のない人が持っている心情。 自尊心が強い人は、自分の欠点に直面すると、パニックになってしまう。 「信心深い」 →神様を見ることで、現実を見ることから逃避する。 「精神論」 →精神論が主流になるところほど、精神が貧しい。現実から逃避するという心の貧しさが、精神論という形で現れる。 別の言い方をすると、プラグマティックな発想からの逃避というパターンと言える。 強い精神は、精神の言葉で語られるのではなく、強い信念という形に結実する。 理念は他者に語り、信念は自分に語るもの。 人に語っている段階で、それは信念の不在の面がある。 精神論を語るからといって、信念があるとはいえない。 「前向き」 →現状なり過去について考えることから逃避する。「将来はこのことをやりたい。」という肯定形のパターンでの前向き以外にも、過去を振り返るのが怖いという二重否定的なパターンの前向きケースもある。 前向きと自称する人で、自分の将来の希望を語れない人も、現実にいる。 「正しい」 →自分で考えることから逃避して、権威筋の「ご高説」をありがたがる。それ以外の考え方は排除する。 「学ぶ」 →自分で考えることから逃避する。 「ふつう」 →自分の希望を考えることから逃避して、ただ人に合わせるだけ。 「勝利」 →自分自身について見つめることから逃避して、自分より相手を見ようとする。結局は、自分に負けている。 「時代が悪い」 →時代の問題点を主張する人は、その時代に子供を作った親の問題を語ることはない。 「どうして分かってくれないんだ?」 →そんな嘆きを語る人は、分かろうとする意欲のない人に対して、わざわざ語っている。 そして、分かってほしい内容を自覚していないし、分かってほしい人物のことも考えない。 一見は「いいこと」のようにみえるものでも、視点を広げると別の要素も見えてきたりするもの。 次には、ちょっと対象と集団との間の逆説を取り上げてみましょう。 逆説というほどではありませんが、こんなことを皆さんも思ったこともあるのでは? 「キリストは尊敬しているけど、クリスチャンは嫌い。」 「文学は好きだけど、文学青年は嫌い。」 「家族は好きだけど、家庭という枠組みはキライ。」 「野球の阪神タイガースは好きだけど、阪神ファンはキライ。」 「平和を尊く思っていても、平和運動は大嫌い。」 「女性を蔑視していない人も、フェミニズム運動を支持しているわけではない。」 「捕鯨は支持しなくても、捕鯨反対運動はもっとキライ。」 「アジアは嫌いではないけど、アジア好きを公言している人は大嫌い。」 次には因果系の逆説をとりあげてみましょう。 語ることは、メッセージの主張とは限らない。 語ることは自分の騙すために、自分に言い聞かせるために使われることも多い。 大仰に語る言葉は、善意であれ、敵意であれ、自分を騙すものでしかない。 やがては、自分を騙すために、必要以上の規模の行動につながることになる。 「生きていても何もいいことはない。」 →そんなグチばかり言っている人間ができるのは子作りだけ。 「児童虐待する親」 →そんな親の相手になってくれるのは自分の子供くらい。 「事件が起こった後になって、『命の大切さを教える』と言い出す学校」 →命の大切さを、そんな気軽に扱ってしまう、そんな学校だからこそ、事件が起こる。 「何かあるとインターネットの影響云々」 →スグに目先のものを犯人認定してしまう、そんな思考停止環境だからこそ、事件が起こる。 「人から誤解されたくない」 →そう思っているからこそ、弱い表現になってしまって、結果的に誤解される。 「人から嫌われたくない」 →相手の顔色を伺い、言っていることが状況によって変わってしまうので、そんな人が一番嫌われる。 「人から好かれたい」 →「人は人、自分は自分」と考え、そのように行動していれば、その方向性が違っていれば、距離をとるだけ。しかし、「ワタシを好いてよ!」とわざわざ寄ってくるから、人から嫌われる。 「ムダ使いをするな!」 →そのようにいわれ続けた子供は、レジャーをしない、ハメをはずさない。 だから、お金の使い方を教えない親の子供は、ストレスを溜め込んで、とんでもないムダな出費をする。 「老後のメンドウをみろ!」 →そのようにと言われ続けた子供は、過去を思い出すだけで不快な気分になるので、そんな親の老後のメンドウを見ない。 「最後に頼りになるのは、血を分けた家族だけ。」 →そんな言葉を語る親の子供は、最後の段階になっても、「親に迷惑を掛けてはいけない。」と実家を頼りにしない。 「いい人」 →いい人は、事態を解決できる人ではない。自分に累が及びそうになったらトンズラする人。「いい人」というものは頼りにならない。その人に信念がないから「いい人」になっている。 機能不全家庭の問題を、いい人によって解決することは不可能である。 いい人は、いても邪魔にならない人であり、いなくても困らない人である。 ちなみに、逆説的な表現となると、以前に「ワーニャおじさん」を取り上げたロシアの作家のチェーホフが、トーマス・マンから「チェーホフは反語的な表現を駆使する。」と評されております。 あるいは、これも以前に取り上げたアメリカの詩人のエミリー・ディキンソンは「逆説の詩人」と言われることもあるんだそう。 この手の逆説は、「肯定と二重否定の混乱」に起因することも多いもの。 あと、現実の問題として、このようなことが言えるのでは? 機能不全家庭の問題を政治によって解決することは不可能である。 親と子の間の1mの空間に政治が必要となっていること自体が、親としての機能不全である。 機能不全家庭の問題を言葉による説得で対処することは不可能である。 言葉を聞き、理解する機能自体が不全となっている。 機能不全家庭の問題を学校で解決することは不可能である。 機能不全家庭は学校を選択する機能も不全となっていて、そんな家庭が選んだ学校は、学校の機能として不全となっている。 子供のトラブルが頻発している地域は、地域全体に問題がある。 だから、地域全体で対処するとか、学校と家庭が連携しても、トラブルが隠蔽されるだけ。 そんなちょっとしたところに気がつくと、ダメダメの問題もよく見えてくるものなんですよ。 ただ、そんなちょっとしたところであるがゆえに、気がつくことは難しい。それが現実というもの。しかし、せめて指摘されれば理解するくらいはできるでしょ? そんな指摘から、自分の周囲を見てみると、今まで分からなかったことも分かるようになったりするものなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 バックナンバーを収録したサイトにちょっと前から「検索すると上位にくる文章」というトピックスを設けております。 意外な文章が上位に来ていて面白い。あと、ヒット数が色々あって面白い。 まあ、業界用語とかがある言葉だと、その業界の大票田に負けてしまうので、私の文章が上位にくることはありませんが、ちょっとした言葉だと上位に来たりする。 面白いもので、たとえば「序列意識」という言葉だと、それに関する文章は実に少ない。 それこそ2万ヒットもない。しかし、「被害者意識」となると、1千万以上がヒットする。 序列意識というものを、意識すること・・・それ自体が難しいんでしょうね。 大晦日の文章にも書きましたが、ダメダメというは、意識すること自体が難しいもの。 欠落していることがないことがわからずに、そのまま突っ走ってしまってドッカーンとなってしまう。 逆に言えば、自覚さえすれば、クラッシュは防げたりするわけ。 |
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R.11/2/13 |